34話【組】
「お待たせ!あれ?千尋くんもいたんだ!」
廊下の角から出てきた灯が茶髪をふわりと揺らし、微笑んだ。
足音からして元気な彼女を見たのは数時間ぶりで雅も知らず笑みが零れる。
「灯ちゃん、用事はもういいの?」
「うん。ごめんね、待たせちゃって」
鞄に何かをしまいながら灯はこちらへやって来た。そのまま下駄箱まで行き、それぞれ靴を履き替える。
その間も下駄箱越しの会話は止まない。昇降口に二人の声が響く。
「ううん、千尋くんとお話ししてたから大丈夫だよ」
「そっか〜。千尋くんも待っててくれてありがとうね!」
「ん。行こうぜ」
「うん」
電車に乗っている間も雅と灯の囀りは止まず、千尋も時折混じりながらの道程は終始賑やかであった。
NOAHの8階―会議室に入ると、既に黒宮が席に着いていた。相変わらず長い前髪で眼帯を隠すように覆っている。
彼のそれは一体どんな事情で付いた傷なのだろうか。いつか話してもらえるのだろうか。
「よう、おつかれさん」
「黒宮さん、お疲れ様です」
黒宮は片手を軽く上げ、雅はそれに会釈で応えた。その後ろからひょっこりと顔を出し、灯が訊ねる。
「因幡さんは?」
「班長なら今局長に呼ばれてるぜ」
「お兄ちゃんが?何の用事だろ…」
もしや五人の字持ちを引き入れる任務の件―つまりは山崎紫乃に関する事だろうか、と予想してみるが、黒宮からの答えは欠伸混じりの呑気なものであった。
「上の事は上にしか分からんよ」
不意に雅のコートのポケットが震えた。席に着き、そっと確認してみる。
『お疲れ様です、平塚です。よろしくおねがいします』
(あ―平塚さんからメッセージだ)
『うん、宜しくね』
『はい!あ、そうだ、雅ちゃんって呼んでもいいですか?』
『うん、いいよ』
我ながら淡白な返信だが、束のような可愛らしい文章を打つのも柄ではない。三人の会話に適当な相槌を挟みながら画面に文字を打ち込んでいく。
『わあい♪さっそくですけど雅ちゃん、コンテストの件です!』
元々はその目的で連絡先を交換した事をすっかり忘れていた。続けてメッセージが来る。
『今年のテーマは、“私の好きなもの”です。雅ちゃんの好きなものはなんですか?』
『私の好きなもの…』
すぐには思いつかず、オウム返しに返信してしまった。
『好きな色でも食べ物でも、何でもいいですよ!まずはテーマに沿って衣装を決めて行きましょう!』
『うん、分かった』
『ところで、もう一人のパートナーってもう決められました?エントリーは明日までなんですけど…』
『ごめん、まだ灯ちゃんに話してなかった…今NOAHにいるから、話が決まったらまた連絡するね』
『分かりました』
無理矢理会話を終わらせたような、そんな後味のする冷たい文章に思えてしまい、雅は慌ててもう一文送信した。
『あ、あと、テーマの好きなものも考えておきます』
『は〜い、了解です!それじゃ、NOAHのお仕事頑張ってください♡』
束の返信を見てほっとしつつ、携帯を再びポケットに収めた。居住まいを正していると、珍しく千尋から話しだしていた。
「そういやさぁ」
「ん?なになに?」
「再来週文化祭あんだろ、あれの…」
「なんだよ、口ごもって。珍しいな」
黒宮がにやにやとからかう。千尋が不愉快そうに黒宮を睨み、また視線をこちら側に戻した。
「うるせぇ。その…アレだ、コンテストって奴に出る事になってよ」
「ええ!?千尋くんが!?」
「千尋が!マジかよ!」
「パートナーはもう決まってるの?パートナーのエントリーは明日までだけど…」
雅が訊ねると、千尋はうんと唸った。その様子からして、誰にも頼んでいない―というよりは、頼む相手がいないのだろう。
千尋は雅と灯の顔を交互に見て、言いづらそうに口を開いた。
「…森山か武藤、お前らどっちか頼めねぇか?他の奴らはちょっと…な」
「あー…それなんだけど…」
雅は参加規格を鞄から取り出して言った。
「私も…出る事になっちゃったんだよね…成り行きで」
「み、雅ちゃんも出るの!?どーりでエントリー期日とかしっかり覚えてると思った!」
親友である灯にすら言っていなかった事だ。千尋も信じられないというような表情でこちらを見ている。
黒宮は参加規格を斜め読みしながら他人事のように呟いた。
「お前ら随分積極的になったなぁ…」
「成り行きなんですってばー…」
そもそも目立ちたがり屋な性格でも無いのだから、束に頼み込まれるという事情が無ければ、きっと雅は出なかっただろう。
「雅ちゃんのパートナーは?」
「平塚さん…」
「うっそ…本当に?」
灯は開いた口が塞がらないといった様子で雅を見ていた。
「おい武藤、それそんなに驚く事なのか?」
いまいちピンとこないのか、黒宮が訊ねた。灯はまるで知らない者はモグリだと言わんばかりの勢いで語り出した。
「黒宮知らないの!?あの有名読者モデルのHanataba.にコーディネートしてもらえるんだよ!すごい事だよ!」
「ガキっぽい雑誌のモデルなんか知るかよ…」
女性向け雑誌のモデルなのだから知らなくても無理はないだろう。が、灯にここまで言われてしまい悔しかったのか、黒宮は口を尖らせた。
まだ語り足りなさそうに灯も似たような表情を浮かべる。
「むう…。でもなんで平塚さんが?」
灯に訊ねられ、雅は事の経緯を簡単に説明した。
「うん、それが…平塚さんもゲストとして出ないかって言われてたらしいんだけど、それを断る為に裏方として私のパートナーに…みたいな」
灯ご執心の束が、もうじき引退することは雅の口からは言えなかった。
「なるほどね〜。うん、分かった!平塚さんなら安心だし、雅ちゃんの事は任せよう!…という訳で千尋くん、千尋くんのパートナーはアタシがなるよ!」
灯と組めないのは少し残念に思ったが、かといって灯以上に千尋のパートナーとして適している人間も(恐らく)他にはいないだろう。
「おう、助かるわ」
「んで、千尋はなんで出る事になってんだ?」
「このコンテスト、エントリー枠…要は自薦枠とは別で投票で決まる他薦枠があったらしくてよ、投票で俺が選ばれてたみてぇだ」
驚くほどの沢山の票が入ったわけではない、と千尋は言うが、300人以上いる生徒の中の上位5名に選ばれたのだ。それでも千尋には満更でもないといった様子は見られない。
「千尋くん厳ついけどかっこいいもんね」
「晒し首にされたようなもんだろ…」
にひひ、と口に出して灯がおだてる。
当人はげんなりとしているが、実際、千尋の母親譲りのはっきりとした二重瞼と、バランスの良い鼻筋。そしてきっと父親譲りの少し薄めの唇。―彼は少し三白眼気味だが、それを差し引いても千尋は充分に整った顔立ちをしていた。
「…なにじろじろ見てんだよ」
「ご…ごめん」
「キャー千尋クンカッコイイ!」
「おまっ…気色わりぃ声出すんじゃねぇ!」
わざとらしい裏声で黒宮が茶化しに入ったタイミングで、丁度会議室にノックが響いた。案の定その音の主は因幡であった。
「何だか盛り上がっているな」
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