23話【問】
「…お前、兄貴の字無効化出来んだろ。なんでしくじった」
千尋が言い放った一言によって、医務室にひやりとした空気が漂う。医者も剣呑な空気に困ったのか、奥の方へ引っ込んでしまった。
聞いてはいけないような、それでもやはり聞くべきである問いだっただけに、雅の体は自然と強ばっていた。
「すまない…油断していた」
申し訳なさそうに謝罪する蒼亜の前に立ち、灯が代わりに頭を下げた。
「ごめんなさい。千尋くん、蒼亜さんを責めないで…悪いのはアタシだから」
「どういう意味だそりゃ」
「あの人、字を使わなくてもすごく強かった。軍人みたいっていうか…慣れてるって感じ。それでアタシを先に狙ってきて、蒼亜さんが庇ってくれて…」
あまりの素早さと徹底ぶりに圧倒され、灯と蒼亜は連携を乱されてしまったらしい。最後の方は声が少し震えていた。
「あいつは元々喧嘩などをするタイプではなかった。一体どこであんな技術を…」
「ただのイカサマ野郎って訳じゃなかったんだな」
千尋は話を聞いて多少納得したのか、いつもの声色に戻った。
「本物の字持ちって、そう言う意味だったのかな…」
「…誰かを責めるつもりは無い、けど。今回のは、采配ミスだったってことだよね…遠藤律の制圧は千尋くんと私で問題無かった。だから、黒宮さんの代わりに灯ちゃんが入って、蒼亜さん、因幡さんと黒宮さんの三人で当たるべきだった」
「あ……」
今回の敗因を見つけたことで、雅達は自身の詰めの甘さと実力不足を改めて感じた。
―自分達には想像力が足りていなかった。もしかすると相手に戦闘経験があったかも知れない。字以外に何か武器を持っていたかも知れない。そういった想像力の欠如が、なにより今回の逆転を生んでしまったのではないか。律のような人間もいる事に気付けていなかったのではないか。
―それと、もう一つ。
「私達にはまだ、緊張感というか…責任感が足りないんだと思う」
「責任感…」
上手く伝わらず、灯は首を傾げた。
「ごめんね、上手く言葉が見つけられないんだけど、任務の時だけは対象を最優先にして、仲間の優先度は下げるべきだと思うんだ」
「俺が武藤を庇ったのは、優先順位を間違えたということだな」
蒼亜の言い方に無い棘を探してしまい、雅は首を竦めた。
「ごめんなさい、本当に責めるつもりは無いんです」
「大丈夫だ」
蒼亜もそれに気付いたのか、そのような意図はないことを声色で伝えた。
雅はこの先がきちんと伝わるが自信が無いようで、今度は探るように周りを見回しながら言った。
「その…お互いを守るためにも、個々のスキルアップが必要なんじゃないかって話なんだけど…」
「なるほどな。要は字に頼らなくても戦える実力を付けて、お互いの足を引っ張らないようにしようぜって事だろ」
言葉は相変わらず荒い。だが、あまり主張の得意でない雅の意図を察するのには、この中では千尋が一番適していた。
「まだ私達三人は高校生だし、難しいかも知れない。蒼亜さんも、字は戦闘向きじゃないし…」
添えるように雅が言うと、話を飲み込んだ蒼亜がうんと頷いた。
「自分を守れるようになる事が味方を守る一番の手段ということだな」
「はい。私はそう考えています」
それでようやく合点がいった灯も、ぽんと手を打ち、ふわりと茶髪を揺らした。
「そういう事なら分かった!アタシも、もっと考えて行動していかなきゃだよね」
「ま、俺らはまずテストだけどな。補習で出てこれねぇとか洒落になんねぇぞ」
雅の言った通り、まだ自分達は学生で、軍人でも警察官でもない。まずは定期考査を無事に終えることが最優先である。
「そうだね、灯ちゃんは勉強大丈夫そう?」
「アタシ、ヤマ張るの得意だって言ったでしょ?任して!」
ウィンクを決め込み灯は笑うが、雅はそんな灯をつつきながらたしなめた。
「そんなこと言って、去年の今頃赤点スレスレ取って、期末で困ってたじゃない」
「うっそれは言わないで」
一転して首と肩を竦める様子は甲羅に戻る亀のようであった。その様子がやはりおかしくて、雅がつい笑いをこぼしてしまうのは二人の間では見慣れた光景である。
「もう…」
「そういえば千尋くんは普段ちゃんと授業出てるの?」
「…日による」
千尋は目を逸らして答えた。テストだ勉強だと言った当人が出席率が低いとなるとやはり後ろめたいらしい。
「ええ!それであの成績?すごい!」
「いつ勉強してるの?」
「家で」
「へぇ、やっぱ真面目なんだね」
「優秀な家庭教師がいるんだよ」
雅の言葉に、千尋はまるでうんざりしたような口調で言った。
そんなに真面目と言われるのが嫌なのだろうか。雅は内心首を傾げた。
灯はそんな千尋の様子を気にすることはなく、むしろこの会話について来られない蒼亜を気にかけていた。
「ふーん。…あ、ごめんなさい蒼亜さん、アタシ達で騒いじゃって」
「いや、構わない。…しかし学校か」
捜査と任務を経て今は随分と打ち解けているが、蒼亜について、プライベートな事は殆ど知らない事に気付いた。
「あれ、蒼亜さんいくつでしたっけ?」
「今年二十歳になる」
「蒼亜さん落ち着いてるからもっと上だと思ってました。高校時代はどんな感じでした?」
「…俺達すずのいえの字持ちは学校には行っていないんだ。勉強はすず姐が見てくれたが」
「あ…そうなんですか…」
気まずそうに雅は口を閉じた。
「あの女頭はいいんだな」
遊園地での恨みがまだあるのか、千尋は面白くないといった顔をした。
「…っていうかあの人普段何してるの?」
灯の疑問に、蒼亜は事も無げに答えた。
「すず姐の仕事か?字持ちのいる家に家庭教師として行っている」
「今は何校かの高校には行けるようにはなったけど、まだ小中学生は上手く字のコントロールが出来ないって理由で中々認可校が増えないですしね…」
雅達より下の年齢層はまだ少ないが、徐々に字持ちの人数は増え始めているらしい。
NOAHとすずのいえで協力して、何とか身の安全を保証することは出来ないものだろうか。
「けどこのご時世だ、働き口とかどうしてんだ?義務教育も受けてねぇ奴がどこで働くんだよ」
憲法上子供に義務教育を受けさせるのは文字通り保護者の義務だ。だが、例によって字持ちはその対象外となる。そんな字持ちがどうやって働くのだろう。NOAHでも採用はしているが皆が皆NOAHに来る訳にもいかない。
つくづく字持ちに厳しい社会だ、と雅は内心ため息をついた。
「とりあえず中学レベルまではすず姐が教えて、その後高卒認定を受けさせる。それでひとまずバイトをして、上手く行けば定職に就いて、結婚するやつもいればすずのいえに残って生活を助けている者もいる」
高校が義務教育化してからはあまり恩恵は無いが、高卒認定試験制度はまだ生きていたらしい。そのせいと言うべきか、中卒労働者の多くがリストラを免れる為に駆け込みで受験しているのが実情だ。
だが、それでも字持ちとっては決して細くない蜘蛛の糸となる。
「上手く出来てるんですね」
「そうだな。俺もわざわざ特科高校なんか選ばねぇで中学で学校辞めりゃよかった。そうすりゃ…」
「どうしたの?」
何か言いたげだったが、千尋はそれをそのまま飲み込んでしまった。
「…いや、何でもねぇ」
深く追求することでもないだろう、と雅は再び蒼亜へ質問を向けた。
「蒼亜さんはNOAHに来る前は…?」
「俺は…この一年はフリーターだった。それ以外の時間は下の子供たちの面倒も見なくてはならないからな」
先日も子供たちの面倒を見ると先に帰っていた。食事の用意や、吉川の出した宿題―彼女が期日を決めて子供たちに配っているらしい―を見てやったり、遊びの相手になったりしているらしい。
「偉すぎる…」
日頃自分の事だけで手一杯な灯はいかに親が偉大な存在なのか、蒼亜と両親を重ねて改めて感謝をした。
雅も、兄にいつも甘えている事を少し反省し、これからは手伝いを増やそうと決めた。
「駆け足で入局しちゃいましたけど吉川さん…でしたっけ―は何も?」
「俺にNOAHへ行くように言ったのはすず姐なんだ」
「そういえばそんな感じの事も言ってた気がする…」
「すずのいえの家族である前に、俺と紅麗は肉親だからな。―そんな紅麗が、なぜ…」
蒼亜が目を伏せる。雅はその様子を痛々しく思ってしまい、慌てて会議室での話をした。
「…紅麗も、組織のような存在について言っていた。―次こそは、何としてもあいつの真意を聞く」
拳を強く握り締める蒼亜は、今日の敗北を誰よりも、心の底から悔しがっているように見えた。
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