第4話【遊】

医務室へ二人がやってくると、中から応える声が届いた。まだ慣れないNOAHの中での数少ない顔見知りでもある医者はどうやらまだ残っていたようだ。


「失礼します」


掴んだ灯の右手は、体中のどこよりも熱く、雅は更に不安げに表情を曇らせた。


「どうしたんだい?ああ、そっちの茶髪の子だね」


医者が灯を見る。そっと雅も視線を向けると、やはり苦しそうに眉を寄せている。


「はい。後天性特有の発作が起きたみたいで…」

「そっかそっか、それは辛いね。…とはいっても、病気じゃないから特効薬とかはないんだけど」


医者の言った通り、これは病気ではない。

これは字持ちだけに共通することだが、字持ちは能力を解放する際字のある部位に熱を通し、とある細胞を活性化させる。

この細胞自体は誰もが持っていて、通常は不活性状態にある。活性化、不活性化を切り替えるスイッチにあたるのが字だ。

また、字に熱を通すパスが中枢神経や末梢神経等の諸神経であるため、過負荷を与えると神経を焼き切ってしまう恐れがある。


「茶髪の…えっと、武藤さんは字が完全に定着する前に神経に何度も熱が通ったから、オーバーヒートしちゃったんだ。幸い神経が壊れたりはしていないから休息をとれば熱自体は引くけれど、明日には字が定着するだろうから、今日一杯は字を使わないようにね」


「それじゃあ、灯ちゃんは問題ないってことですね?」

「うん。あ、一応連絡先渡しておくから、もし何かあれば遠慮なくボクに掛けて」


メモ帳にさらさらと番号を書き、灯に手渡した。


「ありがとうございます…」

「それじゃあ、お大事にね」


もう一度礼を告げ、二人は医務室を後にした。


「灯ちゃん、多分お兄ちゃんももうすぐ帰れると思うから、今日は送らせて」


提案ではなく、懇願であった。灯は気にしなくていいと言ったが、千尋を捕らえるための策で辛い役目を負わせたのは自分であるという事実に、雅自身が耐えられなかった。

その気持ちを汲んでか、灯は素直に頷いた。


「本当?ありがとう、雅ちゃん」


灯は額に汗を浮かばせながら微笑んだ。雅もぎこちなく笑った。



*



翌日、雅達はNOAHに召集された(というよりは特別な用事がなければなるべく毎日顔を出すことになっている)。その日は休日で学校は休みであったため、いつもよりゆっくり身支度をしていた雅は、聖の一言に叩き起されたも同然であった。


「雅、今日は特に予定はないよね?」

「えー、あー…うん」


要領を得ない答えを返していると、聖は少し声を大きくして言った。


「今日は遊園地で任務だ」

「―えっ?」


数十分後、二人は自宅を出発し、NOAHへ向かった。遊園地、という単語に心を躍らせ、雅がいつもより身支度に気合いを入れていたのは言うまでもない。

NOAHへ到着するなり兄のひじりは早々に別の仕事で抜けてしまい、雅は一人ぽつんとロビーに立つことになった。今日はあまり人も多くなく、所在なげに高い天井を見つめていると、溌剌とした声がロビーに響いた。


「おはよう雅ちゃん!」

「灯ちゃん、おはよう。もう大丈夫なの?」


雅が駆け寄ると、灯は胸に掛かる豊かな茶髪を揺らしながらせわしなく言った。


「うん、寝たらすっきりしたよ。試しに今朝何回か字を使って見たけど、昨日みたいにすぐ疲れは感じなくなったから、もうバッチリ!」

「そっか…よかった」


ほっと胸をなで下ろす気持ちでいると、ハイヒールの足音が聞こえた。その音の主は案の定因幡であった。


「すまない、遅れたか。…ん?あと二人足りないな」

「二人?」


雅が聞き返すと同時に奥から早足でやってくる者がいた。


「わりぃ、時間あったから先にちょっと便所行ってたわ」

「黒宮!」


相変わらずの風貌で現れたのは、先日灯に字の使い方を指南した【影】の字持ち、黒宮誠治だった。雅は初対面であったため、その見た目に少し驚きつつ、黒宮の返答を待った。

灯が声を掛けると、黒宮は隻眼を丸くしたり細めたりしながら、軽快に返した。


「おお、武藤!字の調子はどうだ、もう慣れたか?」

「昨日ちょっと発作出ちゃったけど、もう平気。―あ、因幡さん、昨日はご心配お掛けしました」


灯が因幡に向き直り頭を下げると、因幡は慌てて頭を上げさせた。


「気にしなくていい。こちらこそ、無理をさせて申し訳ない」

「いえいえ!アタシもNOAHの一員ですから、大変なことなのは分かってますし、覚悟も出来てましたから!」


このまま謝罪合戦になりそうなのを察するが早いか黒宮が止めた。


「そーそー、こいつはもう立派な字持ちだよ。もっと経験積ませた方がいいと思うぜ」

「お前らもう来てたのか。はえぇよ」


欠伸混じりに足りなかったもう1人がやってきた。


「千尋くん、おはよう。今日は千尋くんも任務に行くんだね」


昨日雅達と戦闘の後、NOAHに入局した桐生千尋だ。お互い拳―厳密には字だが―を交えたことで、千尋の態度は幾分柔らかくなった。


「あァ。何だ、わりぃか?」

「ううん。よろしく」

「…おう」

「遅いぞ、桐生」


因幡が叱ると、護送車の中で懲りていなかったのか、千尋はしたり顔で反論した。


「集合は10時だったろうが。時間ピッタリに来たんだから文句ねぇだろ」

「時間通りに来るんだ…千尋くんって本当は不良じゃないんだね」


今までは殆ど彼の姿にも注意を払って来なかった雅は、改めて千尋を見て率直な感想を述べる。それを聞き千尋は鼻を鳴らして答えた。


「フン。弱っちいナリしてたら嘗められるだろうが。―あと、こうしときゃ、俺だって直ぐに分かるからな」


最後の一言が気になるが、今この場で深く追及してはいけない事のような気がして、雅は慌てて任務の方へ話題を逸らした。


「そ、それより任務だよね!」

「…あ、ああ。そうだな、今日は遊園地での任務だ。緊張感のない場所だが、万が一ということもある」

「俺を見んなよ…」


因幡が千尋を見た、ということは戦闘も有り得るという意味だ。雅と灯は自然と背筋を伸ばした。


「相手によっては制圧しきれない場合もある。そのため、今回は黒宮と桐生にも参加してもらうことになった」


雅はまだ黒宮の字を目の当たりにしたことはないが、千尋の実力が充分なことは知っていた。恐らく黒宮も強いのだろう。二人の字持ちを頼もしく思った。


「また、今後は私も現場に同行する。何かあってからでは遅いからな」

「心強いです!」

「えー武藤、俺はー?」

「黒宮が戦うところ見たことないもん」


武藤がさらりと言ってのけると、黒宮がぐぬぬと唸った。


「じゃー今日は恰好いいとこ見せてやっからなぁ!」

「黒宮、うるさい。では、そろそろ出発する」


またいつもの護送車ではないだろうか。雅は少し心配したが、運転手が表にまわしてきた車はいたって普通の大型自動車であった。

続々とメンバーが乗り込んでいく。


「よかった…」

「ん?どうしたの雅ちゃん」


灯に訊ねられ、雅は答える。


「いや…護送車で遊園地行くのは嫌だなぁ、と思って」

「ああ、そういうこと」


立ち止まって話していたため、因幡が遅れた雅達を急かした。


「二人も早く乗って」

「あ、はい。よろしくお願いします」

「お願いします」


まだ若いであろう運転手は人のよさそうな笑顔で二人を迎えた。


「はい、任せてください」


因幡に聞いたところ、運転手は字持ちではないらしい。普段NOAHで見掛ける局員の内半数以上は、現在の字持ちと一般人の在り方に疑問を抱いたり、或いはそもそも偏見のないような、字を持たない人間だった。

多くの字持ちがNOAHにいるとは言っても、そもそもの頭数も少ないため、今いるメンバーの倍ほどしか在籍していないと因幡は言った。


「では、遊園地―テーマパーク・ウサミーランドへ向かいます」


字持ち5人を乗せた車は、安全運転で進み始めた。

後部座席には男性陣が座っている。千尋は早くも頭を凭れ寝に入ってしまい、黒宮はそんな千尋にちょっかいを出そうとこっそり字を解放していた。

真ん中の席に並んで座った女性陣が互いを見合いながら雑談を交わしていると、ふと、灯の携帯端末が震えた。


「灯ちゃん、携帯鳴ってるよ」

「ん?あ、ホントだ…あーしつこいなぁ、もう電源切っちゃえ」

「武藤の友達か?」


携帯の電源を切ってしまい、ポケットに仕舞うと、灯は首を傾げた。


「うーん…もう過去形…かも」


雅が何故かと問うと、灯は苦笑した。


「アタシ達昨日千尋くんとったじゃん?その時アタシが字持ちになったのみんな知ったからさ、“どういうこと!?”ってがねー」


そうだった。あの時は気にしている余裕などなかったが、あれをきっかけに灯も字持ちになったことが公になったのだ。更にNOAHの局員だということも護送車で分かったはずだ。


「前に言ったけど…今後は灯ちゃんも避けられたりするかもしれない。NOAHの局員ってことも知られたなら…まだ大丈夫かも知れないけど…」


日々メディアで字持ちの危険性を訴えている割に、NOAHに対する信頼は案外厚いらしいことが先日のカフェで垣間見えた。―最終的には物騒な言葉を投げ掛けられたが。


「仕方ないよ。…ショックといえばショックだけどね」


力なく灯は笑う。


「…私は絶対に灯ちゃんを一人にはしないから」

「雅ちゃん…」

「でもね、今は好奇心とかで色々問い詰めたり、怖がったり面白がったりしてるけど、それでも灯ちゃんと友達だったのは嘘じゃないと思うよ」


今後、本当にもう友人でなくなったとしても、楽しかった時間は思い出として残せばいい。全てを否定するのは虚しいだけだ。雅はそう思った。それは灯にも伝わったらしい。


「…うん。落ち着いたら、アタシの方からも話してみるよ」


話を聞いていた因幡がうんうん、と頷きながら言った。雅達に感心しているようだ。


「それがいいな。…二人共結構大人なんだな」

「私達、こう見えて高3ですよ」


雅が言うと、因幡はまるでそれを忘れていたかのように目を丸くした。


「ん、それもそうか」


雅と灯はそのわざとらしくおどけた様子にくすくすと笑いを零した。そして、雅がいつか聞こうとしていた問を投げ掛けた。


「ところで灯ちゃん」

「なに?」

「灯ちゃんが字持ちになったこと、ご両親にはもう伝えた?」


雅はそれなりに緊張感を持って訊ねたつもりだったが、灯はいつものようにあっけらかんとした声色で答えた。


「うん、伝えたよ。実は―字が出てきてるよって雅ちゃんに言われた日にもう話してたんだ」

「そうなんだ。…それで、ご両親は…?」

「最初はショック受けてたみたい。そうだ、アタシこの間カフェで誰でも字持ちになる可能性があるって言っちゃったけど、それってあんまり知られてないんだね」


やはり、自分の娘が社会的に悪とされている存在の一人になると聞けば、少なからずショックは受けるだろう。


「うん。知ってる人は知ってるって程度かな」

「そうなんだ…なんで情報広まってないんだろ―あ、それで、親はアタシが雅ちゃんと友達なのは知ってるから、助け合いなさいって」


字持ちに関する情報はどういうわけか為、心の準備すら出来ていなかったはずだ。


「そっか。受け入れてもらえたんだね」


―何故NOAHを認めておいて、そのことは周知させない?

雅は何かほの暗いものを感じたが、それを押し隠し笑顔を作った。


「うん、いい両親で良かったよホント。…そっか、雅ちゃんはお兄さんと二人暮らし、なんだっけ」


上目遣いに灯が言う。雅は別段隠している事でもないので、この際だからと話すことにした。


「うん。物心ついた時から二人暮らしで、お母さんの事は…ぼんやり、かな。だから生まれつき字持ちだからって驚く人は周りにいなかった。―それで、灯ちゃんの事が気になっちゃって」


兄妹共に先天性の字持ちで、雅が生まれてすぐに施設へ預けられたらしい。

聖が施設を出た後、設立して間もなく局長が行方不明になり混乱していたNOAHを彼はまとめあげ、ただの字持ちから局長代理、そして新局長となった。あの若さにしてその手腕は国にNOAHの存在意義を訴えるには充分で、そのお陰で雅達は高校にも通えるようになった。

その作り話のような経歴を持つ兄を、雅はどこか遠い存在のように感じていた。

雅が話すと、因幡は聖が局長になる以前からNOAHに在籍していたのかあまり驚いていなかったが、灯は無意識にかぱちぱちと手を打っていた。


「お兄さんすご…超カリスマじゃん。そういえば、お兄さんの字ってなんだっけ?」

「そっか、言ってなかったっけ。お兄ちゃんの字は―」


言いかけると、華やかな音楽と共に現実離れした建物が目に映った。思わず車内(千尋を除く)は目を奪われた。


「みなさん、そろそろ到着します」


運転手の男性の一言で、はっと我に返り、因幡が指示を出した。


「各自降りる用意をするように。桐生、起きろ、そろそろ着くぞ」

「あん…?…おう…」

「ばあ」


まだ寝ぼけている千尋の眼前に、【エイ】の字で座席下に潜り込んだ黒宮が飛び出した。

その突拍子もない出来事に千尋は肩をびくりとさせ、遠吠えのような声を上げた。


「うおおおおお!?おいてめっ、眼帯野郎!」


千尋が殴り掛かろうとするも影を伝ってするりと躱され、挙句の果てには大笑いを見舞われた。―黒宮も人が悪い。雅は内心呆れていた。


「ぶはははは!!お前見事に引っ掛かったな、くくく…」

「この野郎…」


このまま喧嘩の流れでは…と、雅が危惧したがそれは杞憂に終わった。


「車内で騒ぐな!」


因幡の一喝は効果絶大のようだ。

運転手も肩を竦めている。

ドアを開け、因幡が降りる辺りで運転手が言った。


「お疲れ様でした、みなさん。楽しんで…あ、いや、任務頑張ってきてください」

「はい!」


楽しい―かどうかは分からないが―任務の始まりである。

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