医学と性行為と女性 その②

 さて前回はトンチキな売春治療可能論とともに、過度な性行為は危険であると考えられていたということを述べました。今回からしばらくは、行き過ぎた性行為がなぜ危険とされたのか、という事情に触れていきます。


 もともとヨーロッパでは、近代的な生殖学の創始者ウィリアム・ハーヴィー(1578~1657)の研究成果から、あらゆる生物に共通の生殖要素は卵子であり、大多数の動物では精液は生殖に無関係であると信じられていました。が、この「卵子派」の前に、思いもよらないものが立ちふさがったのです。

 高校で生物を選択した人ならおなじみのレーウェンフック(1632~1723)のもとに、ある日一人の医学生が夢精に悩む男性の精液を入れたガラス瓶をもってきました。そしてレーウェンフックに、自身が観察した極微生物の存在を確認してほしい、と頼んできたのです。レーウェンフックは、当時並ぶものなき顕微鏡の観察の腕をもっていたから。

 こうしてレーウェンフックは、現代の私たちが精子と呼んでいるものの存在を確認しました。この存在が病気のために生じたのではないことを確かめるため、健康な男性の精液を観察してみても、やはり同じ物体が存在しました。しかも、うじゃうじゃと。

 レーウェンフックがこの発見を発表すると、すぐに他の学者も精液調べに熱中しました。ある学者は馬の精液の中に小さな馬が見えたと報告し、また別の学者はロバの精液の中には小さなロバがいたと報告する。更に、精子には雄と雌がいて、雌雄の精子が結合することで小さな精子が生まれるところを見たと言う者までいたそうです。うーん、みんなして変なヤクでもキメてたんですかね? 

 いやね、私だってこれが顕微鏡が発明され、精子が実際に観察される前の話だったら、「まあそんな理論も生まれるよね」と微笑ましく受け取れたんですよ。前回の自然発生説と同じで、そこに至るまでの過程がなんとなく理解できるから。でも、実際に観察してみて、「馬の精液には小さな馬がいた!」て。ほんと、みんなして何を見てたんでしょう。もうここまでくると、軽い戦慄を覚えてしまいますよね。 

 ……まあとにかく、上記の精液の観察熱の中から、頻繁に射精すると精子の数が減ること、年齢や健康その他の要素が精子の数や活発さに影響を与えることが明らかにされました。そうして、生殖における男性の重要性が明らかになり、一部の医学理論で精液の役割が注目されるようになったのです。


 最初に性行為の危険性を憂慮する文書を発表した一人は、十八世紀医学界の第一人者ブールハーフェ(1688~1737)でした。ブールハーフェは著書の中で、次のように述べたのです。


「精液の無分別な消費は倦怠感、体力の低下、動作の鈍化、ひきつけ、体力消耗、乾燥、発熱、脳膜の痛み、痴呆その他の害をもたらす」(カッコ内全て本からの引用です)


 と。この主張、いくつかは「ふーん、つまり賢者タイムのことね」と納得できますが、それ以外は「ほんと何言ってんの!?」って感じですよね。ですが、当時の医学界の第一人者の主張であるから、他の者は後に続くことを躊躇いはしませんでした。

 ブールハーフェの見解に基づき、十八世紀の理論派学者は、セクシュアリティのある側面を病気と見なす理論を展開しました。以下で、ブラウンという人の理論について少し見ていきましょう。

 ブラウンさんの理論の基本になっているのは、興奮性エキサイタビリティという概念です。ブラウンさんは身体の状態の全てを興奮と興奮の欠如という観点から説明しようとしました。

 興奮性を司るのは神経系で、刺激が少なすぎる状態も良くないが、過度の刺激は神経を枯渇させるためなお悪い場合がある。興奮が不十分だということは空気不足の状態で火を灯すようなもの。さすれば、火はたちまち燻って消えてしまうだろう。

 一方、過度の興奮は火を風で煽るようなもので、火は激しく燃えるあまりすぐに燃え尽きてしまうだろう。従って、病気には過度な興奮から起きるものと興奮不足を原因とするものがあり、男女の性的な触れ合いは神経を興奮させるし、性交でも度を越さなければしばしの安らぎを得ることができる。しかし、あまりに頻繁に絶頂に至るとエネルギーを放出しすぎてしまうし、精液を多量に失うことも避けるべきである、と。

 

 それまでにも小説家や詩人、宗教家がしばしば放埓な女性と関係を持つと、視力の低下、骨髄の消耗、知力の衰え(これ、二つは単なる老化現象じゃないんすかね?)などを招くと主張していました。そして、一度科学者がそれは事実だと断言すると、以前のように戯言だと無視することができなくなったのです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る