第6章

 1日の終わりに18部隊は隊長に報告する為例の如く会議室に集まっていた。

 だが会議室に集まった隊員にやる気は見えない。ほとんどがぼーっと宙を眺めて時折大きなため息をこぼしていた。

早期解決すると思われていた『霧』捜査が暗礁に乗り上げつつあるのがその理由だ。詳しく言えばシュナイザーが来る可能性が高いと潜入したエイジ伯爵のパーティー会場でその姿を見つける事ができなかったからだ。

 ニーナはシュナイザーと接触した事を報告しなかった。だからそういう事になっている。

 接触した事を報告すれば取り逃がした理由を説明するのにどうしてもハミルトンの事も報告しなければならない。

 誰よりも顔色の悪いニーナを心配して会議前に何人かが声をかけてくれたが、恐らくシュナイザーを見つけられなかったショックのせいだと思っているだろう。

 まさか仲間が重要な情報を隠そうとしているとは夢にも思っていない様子だ。

 ただ心配してくれるその優しさにとてつもなく罪悪感が募っている。

 今すぐ部屋に駆け込んでベットに飛び込みたいくらいに。

 ハミルトンを選ばなければずっとこの苦しみが続くのだろうか。

彼を選べば綺麗さっぱり仲間の事を忘れて生きていけるのだろうか。

 そうしたらハミルトンやシュナイザーと共に自分も武器売買の手伝いをするのだろうか。

 彼らと共にいる自分を思い描いてみたが、全く想像できなかった。

 決別か、合流か。

 合流すればもうIPUの仲間に会うことも連絡を取ることもできないだろう。

 決別すればあれだけ探し求めたハミルトンとの関係が完全に変わる。

 ただの家族ではいられなくなる。

 追う者と追われる者。

それに決別するとなれば問題はもうひとつある。

バルトの内戦も解決されていないこの状況で『霧』を解散させてしまえば『霧』から支援を受けていたスラムの人たちは確実に大きな資金を失う。

 それは彼らの命を危険にさらすという事。


『――この世はすべてが悪であり正義でもある。誰もが己の正義、価値観に基づいて行動する』


 脳裏によみがえるヴァンフォートの声。

 IPUとしてなら何も迷うことはない。

 ただIPUとしての敵を捕まえればいい。『霧』を捕まえる事、それだけを考えていればいい。

 でも『霧』は国が見捨てた人たちに手を差し伸べていた。

 そして『霧』はIPUを辞めてまで彼らを助けたいと願っていたハミルトンが結成した組織。つまりハミルトンにとっての正義だ。

 そもそも自分は何故IPUを目指そうと思ったのだったか。

 過去をさかのぼってきっかけを思い出そうとした時、パンパンとアッシュが大きく手を打ち鳴らした。

 宙をさ迷っていた隊員の視線がアッシュに集まる。

「捜査が空振りなのはいつもの事でしょう。この前はたまたま運が俺たちに味方しただけであって、これが本来の捜査なんです。9割空振りと思いながらも靴をすり減らす、それが基本です」

 確かにそうだと何人かが頷いて、会議室の空気がわずかに軽くなった。

 だがアッシュは「まあ空振りは空振りでも何かしらの収穫を取ってこれてこそプロですがね」と傷をえぐる。

 何人かが机に突っ伏した。

 それを見て楽しそうにアッシュが笑っている。

 こんな空気でもいつもと変わらず隊員で遊んでいるらしいアッシュにニーナは軽く尊敬の念を抱いた。

「まあまあ落ち込まないでください。幸い18部隊は素晴らしいチームです。それぞれに得意不得意があり、お互いにそれが補えるようになっている」

「チーム……」

 確かに18部隊はプライベートでも仲が良く、部隊全体の雰囲気もいい。

 それに新人なのに好き勝手やって、口数も多い自分をなんだかんだ許してくれるし、意思を尊重してくれる。

 休暇だって取りすぎなくらいなのにハミルトンを捜す為だと知っているから文句のひとつも言われない。

 背中を預けられるのはこのメンバー以外いないと思う。

 でもだからこそ、信頼しているからこそハミルトンの事は打ち明けられない。

 少なくともどちらかを選ぶと決めるまでは。

また思考の海に沈みかけたニーナの視線の先でアッシュが「今回は俺の得意分野でしたから」と心底楽しそうに笑っていた。

「なんとパーティー会場でシュナイザーをよく知る人物に出会ったんです!」

「シュナイザーの!?」

 会議室にどよめきが広がっていく。

 切れかけていた糸をかろうじてアッシュが繋ぎとめてくれていたらしい。

 ニーナは無意識に手を握りしめていた。

「名を、タッセル・ガーデンといいます。彼は御年64にしてハミューズ王国南部の街ローゼンを治める現役の公爵です」

「ローゼン――。確か、シュナイザーのフルネームはローゼン・シュナイザーでしたよね?」

 フィジーが手を上げる。それにアッシュが子供を褒める教師のような笑顔で頷いた。

「そうです。まさにシュナイザーの名前はこの街から取っていたのです。何せシュナイザーはタッセルの養子ですから」

「!!」

「でも名前が違いますよね?」

 動揺しているのか手も上げずに質問をしたキースだが、その心中を理解しての事なのか咎められる事はなかった。

「シュナイザーの戸籍上の名はローゼン・シュナイザー・ガーデン。ガーデン公爵が名もなき子に与えた名です」

「先程から気になっていたのですが、養子や名もなき、というのはつまり……」

「つまり彼は元孤児です」

 しっかりと手を上げて質問したフィジーを視線の先にとらえたアッシュがその先の言葉を続けた。

「――シュナイザーが、孤児?」

 急に頭に靄がかかったかのように鈍くなる。

 ニーナの前に現れたシュナイザーはいつもきっちりとスーツに身を包んでいた。

 仕草や話し方も気品に溢れていた。それこそ公爵の子息にふさわしい雰囲気だった。

 彼が孤児だったなんてとても信じられない。

「ガーデン公爵が言うには出会った頃から頭の良い少年だったようです。その才能を殺してはいけないと周囲の反対も押し切って養子にしたのだとか。シュナイザーも勉強は嫌いではなかったようで名門パブリックスクールを主席で卒業し、ハミューズ国際大学へ進んでいます。ちなみにここも主席で卒業しているとガーデン公爵は嬉しそうにおっしゃってましたよ」

「ハミューズ国際大学と言えば世界トップ10に入る名門じゃないか!」

「そこまで行ってなぜこんなことを――」

「支援パーティーにガーデン公爵が来ていたという事は、彼も支援活動には関心があるわけですよね?それなのになぜ『霧』として活動をしているのでしょうか。相談すれば家から多少なりとも援助金が出たのでは?」

 ざわつき出した会議室で再び手を上げたフィジーがまわりの声に負けないよう少しだけ大きな声で質問する。

 その答えを聞き逃さない為か、会議室に再び静寂が戻ってきた。

「――ひとりふたり助けるのとでは規模が違う。孤児や難民は年々増え続けているし、法律の問題や知識不足でろくな仕事につけない彼らを養うには、裏の仕事に手を出すしかなかったのかもしれない」

 意外にもそう推測したのはヴァンフォートだった。目を閉じたまま何かを考え込むように腕を組んだ彼を横目に見ながらアッシュも同意を示すように「バルトの内戦が治まらなければ根本的な解決にはならないでしょうね」と頷いている。

「養父とは言え関係は悪くないようですから、これからはガーデン公爵にも監視をつけましょう。彼に接触してくる可能性がないわけではないですから」

 スラム街での聞き込みは継続しつつガーデン公爵の監視も行うという捜査方針が決まり、会議は終了した。

 結局最後までハミルトンの事は報告出来なかった。





 その夜。疲れ切っていたニーナは食堂へ行こうというキースの誘いを断り、早々に自室として与えられている部屋に戻ってきた。

 長い間ハミューズにいるのでもはや仮宿という感覚が薄れつつある部屋に入ると鍵をかけそのままベットに飛び込んだ。

 身体が重い。何をする気力も湧いてきそうになかった。

 シャワーは明日の朝浴びる事にして、そのまま目を閉じる。

 何も考えたくないのに頭の中でハミルトンの姿が消えない。

 どうしてこんな事になってしまったのか。

 目指していた道は同じだったはずなのにいつの間にか全く違う道を進んでいた。

 それも正反対の道だ。

 けれどまだ選択次第では繋がれる。

 家族か仲間か。

 考えても考えても答えは出ない。

 苦しんでいるといつの間にか目の前にハミルトンの姿があった。

 けれど小さい。恐らく15歳くらいの時の姿だ。

 そんなハミルトンの腰にぶつかっているニーナも小さい。

 その時に初めて夢を見ているのだと気づいた。

 この頃にはもう支援活動の為世界中を巡っていたハミルトン。もっともニーナは6歳くらいだったので当時は休みのたびにどこかへ出かけてしばらく帰ってこないハミルトンが何をやっているのかを理解できず、会うたびにこうして不満をぶつけていたのだ。

 まだ養成学校に入っていないニーナは力任せにぶつかっていくことしかできず、力の使い方をわかっているハミルトンに軽くあしらわれていた。

「ははっニーナは元気だなぁ」

「んー!」

 全力で押してもビクともしない。あの感覚は未だに覚えている。どんなに押しても動かないので足に重りをつけているのではないかと本気で考えてこともあった。

「いつもひとりでどこに行ってるの?どうしてニーナをおいてくの?」

「あんまり治安の良いところじゃないからね。さすがに連れてはいけないな」

「ちあん?」

「怖くて危ないものがいっぱいある場所だよ」

「お兄ちゃんも危ないよ!」

「俺はいいんだ。これでもIPU養成学校生だから。鍛え方が違う」

「じゃあニーナも学校に入ったら一緒にいける?」

「そうだね。学校に入ってどんな悪者も倒せるくらい強くなったら行けるよ」

「じゃあニーナ強くなる!一緒に悪者倒す!」

「ははっ、いいね。一緒に悪者を倒そう」

「うん!」

「まずは頑張って学校に入らないとな!頑張れニーナ!」

 そう言ってハミルトンはニーナを抱き上げて空に近づけた。

 その笑顔につられてニーナも声を上げて笑う。

 突然視界が闇に包まれて、闇が晴れた時大人になったハミルトンと向かい合っていた。

 エイジ伯爵の屋敷にある渡り廊下だ。

「俺は『霧』のリーダーだ」

「――――!!」

 激しい動悸と共に飛び起きた。

 一瞬自分がどこにいるのかわからなかったが、徐々に記憶が整理されて、昨夜会議が終わった後夕食も取らずに寝てしまったのだと思い出す。

 汗をかいたのか服が肌にまとわりついて酷く気分が悪い。

 電気をつけて時間を確認すると深夜の1時だった。

 中途半端な時間だが、脳裏にハミルトンの言葉がちらついてもう眠れそうにない。

 眠ることは諦めて部屋に備え付きのシャワールームでシャワーを浴びる事にした。

 どうせ両隣は空いている。人様の迷惑になることはないだろう。

 ふうっと息を吐き出してベットから抜け出した。

 シャワールームへ向かうニーナの頭の中でひとつの会話が蘇る。

「……私たちはもう、一緒にいられない?」

「……そうだね。君がIPUであるかぎり」

 それは事実上の拒絶だった。

 胃の辺りがキリキリと痛む。

 夢の中でニーナを抱き上げて笑っていたハミルトンはもう居なくなってしまったのだろうか。

 あの頃に戻りたいと心から願った。





 その日から眠るたびにハミルトンが夢に出てくるようになった。そして夢はいつもハミルトンの拒絶で終わる。

 日を重ねるごとに眠れない時間も伸びていき、比例してニーナの精神もすり減っていった。

 目の下の隈が色濃くなり、最近では18部隊のメンバーのみならず支部に滞在している16、17部隊のメンバーにも心配されるほどだ。

 いよいよ誤魔化しきれなくなってきたと感じていた時、ついにヴァンフォートから個別の呼び出しを受けた。

 いつも使っている会議室ではなく、小さな応接スペースだ。

 中に入ると木目調のローテーブルをはさんだ向こう側で難しい顔をしたヴァンフォートがすでに座っていた。

 遅れた事を詫び、促されるまま正面に腰を下ろす。

「何故呼び出されたかわかるか」

「業務に身が入っていないからですか?」

 後ろめたい事があるせいでまともにヴァンフォートの顔を見られない。

 視線をテーブルに固定したまま問いに答えた。

「そうだ。今のところ支障はないが最近ぼーっとしている事が多いそうだな。食事もあまり食べていないと報告を受けている」

「……すみません」

「管理者として自己管理のできない者に業務を続けさせるわけにはいかない。このままの状態では注意力も欠け、重大な事故にもつながりかねないからな」

「はい……」

 上司からのお叱りはいつだってダメージが大きい。自分への劣等感がとてつもなく大きくなっていった。

 先程より肩を落として小さくなったニーナを見たヴァンフォートがふぅっと息を吐き出す。

「――まだ己の正義を見失ったままか」

「――――」

 沈黙を肯定と取ったヴァンフォートが再びため息を吐いた。

「言ったはずだ。お前はIPUだ。IPUの正義感に疑問を抱いたらここを去らねばならないと」

「はい」

「しかしそれだけではないんだろう?お前の悩みは」

「え――!?」

 まさかの言葉に驚いて顔を上げると澄んだブルーの瞳とまともに視線がぶつかる。

 その視線に心の内をすべて読み取られているような気がしてすぐに視線を逸らした。

 だがそれでヴァンフォートは確信を得たらしい。

「己の正義に疑問を持った時もこれほど憔悴していなかった。何か他の要因があると考えるのが普通だろう。そしてそれはエイジ伯爵の屋敷に潜入した日に起こった何かが関係している」

「…………」

 さすがの推理力にニーナは早くも降参しかけるが、この秘密は簡単に話せるものではない。

 下手に話せばその瞬間にIPUでの居場所を失う可能性もある。

黙っていると「沈黙は肯定だ」と圧をかけられた。

もういっそ委ねてしまおうか。

ヴァンフォートは嫌がるだろうが、やはり人に委ねるのは楽だ。ひとりで考えても答えが出ない時は特に。

投げやりな気持ちになってついにあの日の事を打ち明ける決意をした。

「……エイジ伯爵の家でハミルトンに会いました」

「ハミルトン?お前の兄の名だな。ハミルトンが何故エイジ伯爵の屋敷に?支援活動に熱心だとは聞いていたが、まさか」

 ヴァンフォートの頭の中ではすでに様々な推測がなされているらしい。

 ブツブツと独り言を言っている。

 そんなヴァンフォートに真実を告げる恐ろしさを感じながらもニーナはさらに言葉を続けた。

「ハミルトンが一緒にいたのはシュナイザーです」

「――――!」

 今度はさすがに声も出ないほど驚いたらしい。

 瞳が零れ落ちそうなほど目を見開いてニーナを見ている。

「あの、シュナイザーと?それは、一体どういう――」

「ハミルトンが本当の『霧』のリーダーです」

「!!」

 数秒間、沈黙の中で見つめ合っていた。

 何よりも重い沈黙の後「証拠は?」と予想に反して冷静な声が返ってくる。

「証拠はあるのか?ハミルトンが『霧』のリーダーだという証拠は。今までの捜査でハミルトンの存在はまったく浮上してこなかった。それは『霧』関係の施設や関係者の付近に一切姿を現さなかったからだ。それなのになぜ今回シュナイザーと共にエイジ伯爵の屋敷に現れた?あの事件の後シュナイザーの関係先が洗われている事などわかりきっているはずだ。今までバレないように身を隠していたのだとしたら不用心すぎる。不自然なほどに。それともそれほどまでにエイジ伯爵は重要な人物なのか?」

「私にもわかりません。ただ、そう告げられただけなんです」

「ハミルトン本人から?」

「はい……」

「ならなぜそんな事を言ったのかという疑問も出てくる。お前がIPUに所属している事を知らなかったのか?」

「いえ、私がIPUに所属している事は知っているようでした。恐らくシュナイザーから聞いたのだと思います。教会襲撃事件の前に彼にはIPUであることがバレてますし、伝え聞いていてもおかしくはありません」

「だとしたらなぜ正直に正体を明かすような真似を?お前と敵対していると告げるようなものだ。――お前が苦しむとわかっていてそんな事を言ったのか」

「…………」

「『霧』のリーダーだという事が本当なら私たちが捕縛しなければならない対象だ。あのハミルトンがその構図を読めなかったはずはない。それとも告げる事でお前に手を引かせようとしていたのか?」

「……自分の事は追わないでほしいと」

「やはりそういう狙いか」

「あの!でもハミルトンにも事情があったんです。スラムの人たちの為に仕方なく――」

 珍しく舌打ちして怒りを露わにするヴァンフォートに弁解するようにニーナは早口でハミルトンがなぜ『霧』を結成するに至ったのかを説明する。

 しかしすべてを説明し終わってもヴァンフォートの眉間には深いしわが刻まれたままだった。

 また重い沈黙が落ちて、どう打ち破ろうかと考えだした時ヴァンフォートが先に口を開いた。

「――ハミルトンはやり方を間違った。確かに資金を得るためにはそうしなければならなかったかもしれないが、罪は罪だ。ニーナ、お前は道を間違えるな」

 強い視線がニーナを射抜く。

 ニーナは逸らすこともできずにただその視線にとらわれていた。

「私たちはお前を失いたくはない。お前がすごく難しい決断を迫られているのだと理解した上で言うのは卑怯だともわかっている。お前の人生を決めるのはお前だが、私たちがそう思っているという事だけは忘れないでくれ。もし私たちと共に行くというのならお前の悩みは共に背負う。今までがそうだったように。お前に銃を向けさせるような事だけはしてくれるな」

「ヴァンフォート……」

 声をかけると熱くなっていた事を恥じるかのようにヴァンフォートが深い深呼吸をして自らを落ち着かせるような行動を取る。

「――厳しい事を言うがハミルトンは最早罪から逃れる事は出来ない。この事は会議にかけるぞ。もう何年も消息不明だったハミルトンから足取りを追う事は難しいだろうが、どの道情報は共有しなければならない」

「……はい」

 その夜、18部隊の会議でハミルトンが『霧』のリーダーであることが伝えられた。

 ヴァンフォートからの報告に、耳が痛くなるほどの静寂が部屋に訪れる。

 呼吸する事さえもはばかられるような重い沈黙にニーナはただひとり居心地の悪さを覚えていた。

 そしていつ彼らの罵倒を受けるのかと怯えていた。

 犯罪者の身内を信用などできないと切り捨てられても文句の言えない立場だ。

 それぞれがそれぞれの感情と葛藤しているのが伝わってくる。

 審判を待つ罪人のようにニーナはひたすらその空気に耐えていた。

 しかし予想に反してその内なる感情をニーナに向けるものはいなかった。

 始めの沈黙を除けば拍子抜けするほどいつも通り捜査会議が進んで行く。

「ハミルトンと親しくしていた者がハミューズにいないか探ります」

「難しいと思うが頼みますね、フィジー」

「はい」

「引き続き他のメンバーはシュナイザーの関係先を洗ってください」

 アッシュが手に持ったペンをプラプラと振りながら隊員に指示を出していく。

「牧師の取り調べはその後どうなっていますか?」

「新しい情報は特に出てません。牧師はシュナイザーについて詳しいことは知らないと一貫して話していますが、その発言に間違いはなさそうです。武器密輸に関わったという証拠も弱いですし、彼はこのまま釈放になりそうです」

「そうですか。仕方がないですね。彼は孤児たちのお守役という感じですし、巻き込まれただけなんでしょう。念のため勾留期間いっぱいまで聞き取りはして、何も出なければ釈放してください」

「はい」

「それからこれから1週間ライラックには休暇を与えます」

「え――!」

 急に自分の名前を呼ばれて心臓が跳ね上がった。

 まさか突然の解雇通告かと一瞬思ったが、その後のアッシュの言葉にそうではないのだと安心した。

「まだ腕の傷は完治していませんし、色々あって心の整理も必要でしょうからヴァンフォートが休みを取らせた方がいいと。ただし時は常に動いています。待つのは1週間だけです。その間に答えを出してください」

「――はい」

 これはただの休暇ではない。

 この1週間でどんな答えを出すのか。それで自分の人生が変わってしまう。

 人生の方向を決めるとても重要な1週間になる。

 『霧』かIPUか。

 ハミルトンか18部隊の仲間か。

 1週間で選ばなければいけないのだ。

「ただし1週間後に復帰した時捜査状況がまるでわからないでは困りますから、捜査会議には出席するように」

「はい」

「皆さんはライラックが欠けた分はそれぞれフォローし合ってくださいね。今日はこれで会議を終わります」

「お疲れ様でした」

 全員が立ち上がってヴァンフォートに頭を下げる。

 ニーナはメンバーにどんな顔をしたらいいのかわからず逃げるように会議室を飛び出した。

 そのまま自室へ向かおうと階段に足をかけたところで名を呼ばれて足を止める。

 振り返れば走ってきたキースが2メートル程先で足を止めたところだった。

「お前覚えてるか?絶対落ちる前に引き上げてやるって言った事。俺は絶対お前に手を伸ばすから。辛かったり苦しかったり自暴自棄になってやばい時は手を伸ばせって」

「――うん」

「あれ訂正する。俺はお前がいなくなるなんて絶対嫌だ。だからお前が手を伸ばさなくてもどこかに行こうとしたら無理やりこっちに引き戻す。覚悟しとけ!」

 真剣な口調とは裏腹にどこかどや顔のキースに身体から力が抜ける。

 でもだからこそいつも通りの自分を取り戻せた気がした。

「……キースのくせに生意気!体術で私に勝った事ないくせに!」

「それでも向かってくしかないだろ。お前の事、失いたくないんだから」

「え――」

「そ、それだけだ。じゃあゆっくり休めよ!」

 顔を赤く染めたキースが乱暴な足音を立てて走り去っていく。

 しばらくその後ろ姿を眺めていたが、その姿が角に消えて見えなくなった頃にようやくキースの言葉が浸透した。

 それから混乱。

「え、え?今の、え?」

 失いたくないというのは仲間としてという事なのだろうか。それとも――。

 その先を想像してカーッと顔が赤くなっていく。

 そんな想像をしてしまった事自体恥ずかしく、ニーナもまた乱暴な足音を立てて階段を駆け上がって行った。





 昨日の事が原因でもしかしたらまともにキースの顔を見られないのではないかと思ったりもしたが、朝食堂で顔を合わせた時にいつも通り会話できた事に心底ほっとした。

 朝食のメニューについてあれこれ話しながら、最終的にキースが今日も牧師の取り調べを担当するという話を聞く。捜査に加われる事を少し羨ましく思いながらニーナは休みなので部屋でゆっくりすると伝えた。

 まだハミルトンに対する自分の立場を決められていない。

 1週間じっくりその問題に向き合うつもりだった。

 だがそれからあっという間に3日が過ぎてしまう。捜査も相変わらず進展がないままだった。

 捜査に加わる事が出来ない罪悪感でとても部屋でゆっくりしていられなくなったニーナは気分を変える為街をぶらつく事にした。

 思えば観光で来た時以来この街をじっくり見て回るという事はしていなかった。

 最近は頭を使いすぎている気がするから久しぶりに何も考えず街を歩こうと私服で支部を出る。

 確か朝市が行われる会場となっている広場の近くに森林公園があったはずだ。支部から一本東の大通りに出てバスに乗れば15分ほどで行ける。

 すぐに足を東に向け、バス停で5分ほど待ったところでやってきたバスに乗った。

 森林公園前で下車し、広い公園をプラプラと歩く。

 森林公園と言うだけあって公園は綺麗に整えられた芝生の広場や、噴水広場以外は6、7メートルはあろうかという背の高い木々が適度に光が入り込むように間隔をあけて植えられていた。遊歩道を進んで行けば公園を一周できそうなことを公園内地図で確認して、右回りに歩き出す。

 木々の隙間からボールを追いかけて芝生を駆け回る子供たちの姿が見えた。

 そこでふとスラム街にはこんな風に緑あふれる場所がなかった事を思い出す。

 スラムに住む子供たちはあんな風に楽しそうな声を上げてボールを追いかけた事があるのだろうか。

 せめてもう少し人らしい生活を送れるようにしてあげたいが、個人の力ではとても無理だ。増え続ける難民が流れ込んでいる事もあり、ハミューズのスラム街は大きくなりすぎた。だがそれでも国は表面的な救済をしただけで根本的解決には至っていない。

 ハミルトンたちが『霧』を結成せざるを得なかった理由も理解できる。

 けれどIPUとしてそれを認める事はできない。

 『霧』を捕まえる、それがIPUとしてやるべき事だ。

 だがそうすればハミルトンとの関係は変わってしまう。あれだけ探し求めた兄と命を奪い合う事になりかねない。そしてその可能性は限りなく高いように思えた。

 何せ『霧』は武器密輸組織だ。武器の調達は容易い。

 それにハミルトンは現役を離れているとはいえ、IPUでも一目置かれる存在だったのだ。射撃が苦手な自分が彼を止めようとすればどちらも無事では済まないだろう。

 よりによってなぜ『霧』の担当が18部隊なのか。

 せめて別の部隊が担当してくれていればここまで悩まなかったかもしれない。

「はぁ……」

 堪え切れなかったため息がついにこぼれ出た。

 広場から離れ、周りに見えるのは綺麗な緑だけだ。

 ニーナは遊歩道沿いに置かれたベンチのひとつに腰を下ろした。

 平日の昼間ということもあるのか、この辺りには誰もいない。

 風が葉を揺らす音だけを聞いて目を閉じる。

 その音を聞いているだけで心がとても安らいだ。

 何も考えずただ風の音を聞く。

 そのままどのくらい目を閉じていたのか。

 不意に感じた人の気配に目を開けると、正面に目を細めて微笑むシュナイザーが立っていた。

 通りで足音がしなかったはずだ。

「驚かないんだね」

「まあ、殺気がなかったので大丈夫かと」

「ふふっ、そうか。――隣いいかな」

「どうぞ」

 手で空いている右隣りを示せばひとり分の間を開けてシュナイザーが腰を下ろす。

まさかひとりで来たわけではないだろうと周りを見渡すと、案の定ふたりの男が離れたところに立っていた。視線はどこかを向いているが、意識はしっかりこちらに向けている。

 銃も持っていない完全プライベートな相手にも警戒しなければいけないなんて大変だなと少し同情した。

「偶然じゃないですよね。まさか監視していたんですか?」

「相手の状況を探るのはお互い様だろう。悪く思わないでくれ」

「それはそうですけど。わざわざ何の用です?」

「随分せかすね。世間話はなしかい?」

「……そんな仲じゃないのはあなたが一番わかっているはずです」

「――そうだね。ねぇニーナ、少し痩せた?」

「なんですか突然」

 お互い遊歩道の向こうの木々に視線を向けたまま交わされる会話。

 表情は見えないが、声からは本当に心配している感情が伝わってくる。

 なぜそんな声を出すのか。シュナイザーがこうして接触してきた理由もわからず戸惑った。

 これでは本当に友達のようだ。

 これ以上心を乱さないでほしい。

 そう思うのにシュナイザーは簡単にNGワードを出してくる。

「――ハミルトンと同じだよ」

「――――っ」

「ハミルトンも痩せた。ああは言ったが君と同じで内心ではかなり動揺しているみたいだ」

「――それを私に伝えてどうしたいんですか」

「答えを聞きたいんだよ。君に再会してからどうも仕事に身が入っていない。それは君も同じはずだ。お互い自滅する前に立場をはっきりとさせないと。君が我々の敵か、味方かをね」

「――――!」

 まさかIPUではなくシュナイザーからその問題を突きつけられるとは思ってもいなかった。

 だがどの道選ばなければならないのだ。ここではっきりさせるのもいい。できるかはわからないけれど。

「……答えを出す前にいくつか聞かせてください」

「どうぞ」

「『霧』の組織を解散するつもりはないんですか?シュナイザーは美術商もやっているんですよね?そちらの仕事だけでも十分収入はあるはずです。わざわざ犯罪に手を染めなくても支援活動は続けられるんじゃないですか」

「いくら金があっても難民は増えづつけ、それと同時に孤児も増える。まともな仕事をしていてはとても助けられない。助けようと手を伸ばした先でその儚い灯は消えていく。この悔しさがわかるかい?」

 そう問われ、あの葬式の日を思い出す。

 暗く重い雲に覆われた空。小さな棺に納められた小さな身体。

 助けようとした命が失われる苦しみは身を持って知っている。

 あんな思いをシュナイザーはどれほど味わってきたのだろうか。

 己の身を落としてでも失いたくないと思えるほどに、失ってきたのだろうか。

「……あなたたちの売った武器で失われる命の事は考えないんですか」

「そもそも国内の問題だからと君たちが傍観していたからここまでひどくなったんだろう?国同士の問題じゃなくてもその争いを逃れた難民たちがハミューズに流れ込んだ時点で解決に乗り出すべきだった。僕たちは目の前の命を助けるだけだよ。君たちにはそれすらできないじゃないか」

「――――っ!」

 頭をガンと殴られたかのような大きな衝撃に息が詰まる。

 その時ヴァンフォートの言葉が脳裏をよぎった。


『この世はすべてが悪であり正義でもある。お前の正義はどこにある?』


 正解なんてわからないけれど、でもやっぱり『霧』のやり方は間違っていると思う。自分たちの犯罪行為によって失われる命だって誰かに大切にされている命だ。

 自分たちの手の中にない命はどうなってもいいなんて、そんな考えには同調できない。

 IPUが完全正義の組織でないことはわかっている。助けられない命だってもちろんある。犯罪を取り締まる過程で犯人の命を奪う事も。

 でもそれでもやはり自分の正義はIPUと共にある。

 完全正義の組織でないのなら、内側から変えてやる。

「――確かに私たちには出来ないことも多い。犯罪に手を染めなきゃ助けられない世界だって言うのも理解できました。でもやっぱりそのやり方は賛成できません。私たちは私たちなりに世界をよくするために努力を続けます。合法的なやり方で世界を変えます」

「ふっ、世界か。随分大きく出たね」

 あからさまに馬鹿にしたようにシュナイザーがフっと鼻を鳴らした。

 自分でも子供じみた事を言っているとわかってはいるが、努力を続けるしかないのだ。挫折しても、諦めたらそこで終わってしまう。

 綺麗事でも主張を止めてはいけない。

「私は『霧』を壊滅させます」

「兄と敵対すると?」

「罪は償うべきです。例えどんな理由があろうとも。それに私はIPU。私には私の信念があるし、プライドだってある。私の信じる正義の為に戦います」

「――そう。じゃあここでお別れするしかないね。次に会うときはもう優しくできないよ。君がハミルトンの愛しい妹だろうと、彼の邪魔をするものは排除する」

「――あなたはどうしてそこまで兄のために?」

「知っての通り僕たちの組織に所属する者の殆どは難民や孤児だ。彼らは僕たちの信念に賛同して着いてきた。僕もまた、ハミルトンに救われたひとり。理由はそれだけでいい。僕たちの中で神はハミルトンだけなんだよ」

「神……?」

 それに、救われたひとりとは一体どういう意味なのだろう。

 戸惑って何も言えないでいると立ち上がったシュナイザーが「答えは聞けたし、もう行くよ」と立ち上がる。

 見上げれば悲しみに満ちた瞳がニーナを見下ろしていた。

「本当に運命って残酷だと思うよ。――さよならニーナ」

 迷わないと決めたのに早くも揺らぎそうになっている自分に迷うなと言い聞かせながらその後ろ姿を見送る。

 でもやはりもうこうして話す事もないのだと思うと寂しく思う気持ちは止められなかった。

 果たして次に相見える時迷わず銃を抜けるのだろうか。

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