12. 癌
高度な仮想社会が生まれた結果、情報は国境を越え、経済活動は世界を一体化させる。現実を遥かに上回る規模の電脳空間では、法の規制など意味を成さない――。
否、そんな事態は生まれなかった。
回線や設備提供者への接続監視義務、VRに適用される加盟国間統一規制。条約と新法に
殺人や強盗は、VRでも違法。匿名性はプレーヤー同士でのみ保証され、公機関には本名も所在地も筒抜けであった。
猛烈な反発を招いた各国の諸政策も、現在は当たり前のことと人々に受け入れられている。
この仮想ネットワークの現状がどうあるべきか、そんな議論は今はどうでもいい。
重要なのは、日本にサーバーの在るVRに関しては、全て転送課から侵入できるということだ。
現行犯を追うためであれば、裏口の使用も、データの改変も、なんなら世界の閉鎖も許される。
綾加と種崎課長が面倒な事後処理を請け負っており、涼也に控え目な捜査手段を選ぶ理由はなかった。
――まあ、多少は配慮しないと、課長が胃痛で寝込んでしまうけど。
ナルは転送課の設備の説明を受けると、直ぐに使い方を理解し、涼也の指示で作業に取り掛かる。
各仮想世界を貫通する穴。穴の周りを転移スポットとして設定し、一般人が立ち入れないように封鎖すれば、涼也専用のバイパスの完成だ。
八面のモニターを、文字と数値が埋め尽くす。
その情報の波と向かい合う涼也とナル。適切な転移地点の位置を巡って、時折意見を交わす以外、二人は黙々と仕事に没頭する。
「ラズダ氷原、Dの3中央」
「グランレイドの中央橋梁に繋いでくれ」
「ベアフレンズ、チェリータウン、噴水広場」
「フェス予定地の方がいい。噴水広場はモンクラのG倉庫へ」
チェリータウンはバルーンフェスが楽しいんですよね、などと思い浮かべる綾加だが、接続先の選択理由はさっぱり分からない。
涼也が昨晩用意したと思われる現実日本の地図が、モニターの一つに映されている。これもゲーム上の転移スポットと、どう関係するのか。
理解できないからといって真剣な二人の手前、退屈そうにするわけにも行かず、彼女はフムフムと一緒にモニターを眺める。
モンクラこと、モンスタークランの倉庫に穴を空けるため、ナルが追加データを探して彼女の方に振り向いた。
「オバサン、モンクラのGのメモリを取って」
「オバ……! こ、これでいいのかな」
「サンキュ」
この作業の間は、綾加がナルのお目付け役ということで、幣良木は公安課で本来の業務を片付けている。医療グループへの監視は、課が総出で遂行中だ。
またこれと同時に、センター近辺に捜査員の待機所を設営し、いつでも踏み込めるようにしなくてはいけない。こちらは捜査第一課が担当した。
県警は坂本殺害の捜査を糸口にして、センターの内情を探る腹である。
理事会メンバーとも接触を試みており、綾加の携帯端末には、その成果が逐一報告されていた。
転送課が協働捜査を行う際は、各部署の経過を随時閲覧する権限が与えられる。組織を横断して行動する彼らならではの優遇措置、この本部内をウロウロしづらい局面では特に有用だろう。
二課も虚偽申告や、私文書偽造の観点から、待機センターを洗い始めた。
現時点で、本部の主力のほとんどがセンターの捜査に加わっており、県警対センターの様相を呈しつつある。
坂本を消し、涼也を事件に巻き込んだのは、今のところ不要な
昼飯を挟んで夕方まで、バイパス設置の作業は続いた。
涼也は平常通りの涼しい顔、ナルは過去経験したことのない裏口操作に喜色を浮かべる。
疲れを見せたのは、何も細かな仕事をしていないはずの綾加一人だった。
「これでいいだろう。ゲーム間の接続は終了だ」
「やっとですか。次は転送ですね!」
呪文の応酬が終わると聞き、蚊帳の外だった綾加が立ち上がる。
「何を言ってる、ここからが本番だ。警察のチートぶり、見せてやろう」
「待ってました」
ナルが屈託のない笑顔でメモリの束を引き寄せ、涼也の指示を待った。
全く休む気配を見せない男二人に、彼女はこめかみを押さえて椅子へ逆戻りする。
「……幣良木さんが来たら、休憩に行かせてもらうわ。結果だけ教えて」
公安課長が来たのは、その半時間後、彼女が夕食に抜け、帰って来たのが六時半。
接続準備が整い、涼也のOKサインが出たのは、そのさらに二時間後だった。
綾加が食堂から持って来たカツ丼を頬張りながら、涼也とナルが接続前の最終チェックに目を光らせた。
幣良木は部屋の隅で、センター近くにいる部下と連絡を取り合う。
手持ち無沙汰な綾加が、この数時間の作業が何を意味するのか、男たちに尋ねた。
「システムごと、世界をマージしたんだ。捜査官のアバターはフローティング、マスターからも改変要求を受け付けない。フレイムスクワッドをベースにして、各種耐性や装備を盛れるだけ盛った。オバサンにも分かるように言うと、常時ノーマライズドが発動してるようなもんだね。警察のブラックボックスを援用して、最上層レイヤーを書き換え続けて実現してる。パッと見た目はニューロタワー並みのプロセッシング、こんなのチートコードの強制スワップ程度じゃ、対抗できないはずだよ」
「……これ、ホントにオバサン語?」
半笑いの涼也が、もう少し噛み砕いて解説してくれる。
「要は、限界までチート能力を積み込んだってことだ。どの世界に行っても、同じ装備が使用できる」
「センターの共有現実でも?」
「そのはずだ。自分自身が、改変の核だからな」
「はあー、ウイルスに変身! みたいなものかな」
涼也とナルは、彼女の感想に顔を見合わせた。
「間違っちゃいないか。ウイルスねえ……アスタリスクも俺たちも、世界を土台から浸蝕するって点では、癌細胞がもっと近い」
「あっ、イメージが掴めてきました」
耐火コートにプラズマライフル、フローターバイクや各種センサーと、各ゲームの寄せ集め装備でアスタリスクに挑む。
通信機能は現実世界との交信にも対応したパーティーVR“アミルタ”から、アスタリスク追跡機能は消火アクションゲーム“フレイムスクワッド”から拝借した。
当初は自分も潜ると息巻いていた綾加も、聞き慣れない装備名が多出するのを聞いて、不安を覚えたらしい。
彼女にも操作が出来るものなのか、心細げな質問が飛ぶ。
「大丈夫だ。人手が欲しいのは事実だからな、使えるようにしといたよ」
「でも、ライフルとかは使用経験が――」
「麻痺銃より簡単、引き金を絞るだけなんだから。別にモンスターを狩るわけでもないし」
「むっ、それなら行けるかも。狩るのは神堂ですもんね」
神堂の名前が出て、涼也は首を横に振る。
「確かに奴もターゲットだよ。でも、まずはアスタリスクだ」
「神堂がアスタリスクってことは?」
「新興宗教の教祖に、こんな真似が出来るか? 別人と考えた方が自然だと思う」
アスタリスクがセンターの共有現実を改竄し、その結果を教祖が利用した。これが彼の推理だ。
いずれにせよ、どちらも拘束対象であり、二人が同一人物でも不都合は無い。
食事の終了とともに、涼也と綾加は接続カプセルの中へと入った。
彼らが接続してる間は、ナルがナビゲーターを、その監督を幣良木が受け持つ。
「それじゃあ、こっちは頼みます」
「ナルを見張るだけだ、大した仕事じゃない。VRは専門外だから、そっちの助力は期待しないでくれ」
閉じ始めたキャノピーへ公安課長が軽く手を挙げ、転送捜査官たちを見送る。ナルはもう、モニターに集中して、捜査官たちを見てはいない。
暗転まで数秒。
力が抜け、一瞬の浮遊感の後、涼也は木造建築が立ち並ぶ田舎町の中央へと出現する。
――アニマヴィル、二足歩行の動物たちが暮らす世界。
巨大なリンゴの樹を、立ち入り禁止の電磁サークルが取り囲む。彼が立つのは、茂る葉が陽差しを遮る木の根元、空中に開けられた穴の隣。
少し遅れて、綾加も無事、隣に現れた。
彼女は薄いブラウン、涼也はグレーのトレンチコートに似た耐火装備を羽織る。彼の肩から掛けた大型ライフルが物々しい。
「もっとファンタジーな格好かと思ったら、渋いですね、これ」
「昔の捜査官のイメージだよ。身分表示を常時オンに」
「はい。こうかな……」
彼女が左腕を前に伸ばし、掌を二度振るとメニュー画面が空中に浮かぶ。
ID表示を口で指定すると、頭上に“転送捜査官”の文字と識別ナンバーが現れた。
「ベアフレンズと同じインターフェイスですね。分かりやすい」
「わざとだよ。これなら使えるだろ」
円の外へ動き出す前に、装備の説明が涼也からされ、彼女は教えられた機能を確かめて行く。
理屈には弱くても、綾加もゲームの腕を買われた捜査官、操作方法は直ぐに飲み込んだ。
リンゴの樹の下に人がログインしたことを、町の住民たちも気付き始める。野次馬、いや野次兎や野次犬たちが、最初は遠巻きに、次第に封鎖サークルの縁にまで近寄って来た。
好奇心旺盛な猫型住民が、思い切って二人へ声を掛ける。
「二人はお巡りさんなのかニャ? 何の事件ニャー?」
「可愛いですね! ニャーニャー言ってますよ」
「アンタもクマクマ言ってたじゃないか。中身はオッサンだぞ、多分」
「そんな夢を壊すような……」
「おーい、危ないから道を開けてくれ! 悪質ハッカーを追い掛けるんだ」
住民たちは素直に通りの両側に寄って、涼也たちが出るスペースを作った。
「ビークルコマンドからフローターバイクを選択しろ。乗り方は、現実世界のと一緒だ」
「一緒って、リアルでフローターなんて――ああ、スクーターと同じという意味ですか」
目の前に実体化したバイクに車輪は無く、宙に浮かんで搭乗者を待つ。
操作はアクセルとブレーキのみで、スクーターよりも単純だ。綾加もハンドル周りを見ただけで構造を理解し、彼に倣ってサドルに跨がった。
「あー、スピードだけはVR準拠だから。オートトレースで、俺の後をついてこい」
「速いんですね。安全運転でお願いします」
涼也の右手が、アクセルを捻る。ブォンと起動した車体は、滑るように長閑な街路へ飛び出した。
自動追跡が働いた綾加のバイクも、その後を追って発進する。
「ひゃあ、凄い加速……ちょっ、速い、速いっ!」
瞬時に数百キロを越えたバイクを、動物たちがワンニャンと歓声を上げて見送った。
彼はこれでも、手加減したつもりだ。ドライバーには反慣性が発生するため、この超加速でも後方へ飛ばされるような負担は掛からない。
流れ溶ける周囲の光景に、綾加は金魚を真似て口をパクパクさせ続けた。
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