06. 神炎

 涼也たちの衣類は現実そのものであるが、携帯端末や武器などの機器は再現されていない。

 その中で、綾加の腕時計だけはVR内でも左手首に巻かれていた。

 今時、腕時計なんていう物はファッション用のアイテムでしかなく、しかも機械式となれば実用で使う者は少ない。

 服の一部として、この腕時計が認識されたのは幸いだった。今回ばかりは、旧型の時刻表示器が現状把握に役立ちそうだ。


「転送から今まで、何分経った?」

「車に乗ったのは正午過ぎ、今が一時なので、一時間は過ぎてます」

「腕時計の進みは、体感と変わらないな。帰還は何時になるのやら」


 ちゃんと十五分の潜行に設定されたのか怪しいものだと、真崎はうんざりと考察する。

 仮に内外が同速だとすると、二時間半がどちらの世界でも経過することになり、色々と辻褄は合いそうだ。

 時間軸が双方で狂っている中、滞在時間が優先されたということ。その場合、一年前にここへ送り込まれた患者が過ごした時間は、同じく一年となる。

 食事は不要、睡眠欲求は日暮れと共に湧く仕様だが、夜が無いなら眠れなかったはずだ。

 気がおかしくなるには、充分な日数か――。


「私たちは、後二時間ほどで帰れるんですよね?」

「どうだろうな。それまで交流館で待機してもいいが、もうちょっと調べとこう」

「何かアテが?」


 最も気になるのは西エリア、しかしそこまで火の海をくぐり抜けるのが面倒である。となると、この近辺に建つ施設を当たった方がいい。

 下里は「灯台下暗し」を狙って隠れたと、自身の行動を説明していた。神堂一派は、中央へ頻繁に来ているらしい。


「このすぐ近くに、各エリアの監視所があるはずだ。まだ機器が生きてるなら、リアルタイムの映像を見られると思う」

「ああ、メッセージの発信機もあるんでしたっけ」

「そう、神堂はそれが目当てで中央に来てるんだと思う。ここを出て、噴水の右だ」


 ただ、短い距離とは言え、屋外を突っ切ることになる。火の粉を防ぐために、何か手立てが欲しい。

 美術室に入った涼也たちは、窓の端に纏められた遮光カーテンに目を付けた。

 耐火性能の高い一般的なカーテンをVR化したもので、これなら防火布代わりに使える。

 一枚をレールから外し、一階へ戻った二人は、頭からカーテンを被った。


「車の脇から、割れた玄関ウインドウを抜ける。いいか?」

「はい」

「走れ!」


 まだ燻るランドクルーザーの横を駆け、火の雪が降りしきる外へと、涼也たちは再び走り出る。右へ直角に曲がり、三十メートルの全力疾走だ。


 煉瓦造りの洋館風の建物が監視ビルで、交流館よりもずっと小さい。

 玄関扉は開放されており、手の甲をいくらか火傷しつつも彼らは無事進入に成功した。


 カーテンを投げ捨て、涼也が建物の中を観察する。

 こちらも廊下の照明は点きっぱなしで、通電状況に不具合は無い。使えないのは通報器だけで、玄関脇のボタンはこれも役立たずだった。


「さっきは安全策を取ったが、素直にエレベーターを使うか。監視室は二階だ」

「交流館よりは散らかってますね」

「床のほこりが荒れてる。しょっちゅう人が出入りしてたようだ」


 エレベーターもスムーズに起動して、彼らを二階へと運ぶ。

“監視所”などと名付けられているが、プライベートを重視する住民に配慮して、各所の映像を得られたりはしない。見られるのは、各エリアのかなり上空から映される俯瞰映像だけだ。

 世界の監視はあくまで外のセンターの仕事であり、本来、ここの映像に利用価値は無いだろう。綾加の言った通り、監視所の最大の機能は、住民全てに脳内メッセージを送れる伝令装置だった。


 二階の部屋は二つしか存在せず、一つが監視室、もう一つが伝令室である。涼也は監視室のドアを開く。

 四面のモニター、各種インジケータと操作盤。モニターには焼けるエリアが映っている。装置は正常だ。

 各エリアに二カ所ある監視地点の内、火柱が立つエリアは西の二枚目。

 赤く燃え盛る点は、直ぐに分かった。

 タッチパネル式の操作盤を何度か指で繰り、彼はスライド型の調整ツマミが並ぶ画面を表示させる。

 W‐2と記されたツマミを動かすと、西エリアの画像が拡大した。


「火の中心は……」

「図書館みたいですね」


 画面上に施設名を重ねて映すと、確かに赤い発火点は図書館に在る。

 他の住民の様子などの情報は、得られそうにない。通りも建物も黒焦げで、炭化した残骸が転がるのが判別できる程度だ。


 過去の画像が無いか、操作盤をあれこれいじくってみるものの、記録機能は無いらしい。

 各エリアのモニターも同様に操作して、観察を終えると、涼也は伝令室に移ることを提案した。


 監視室の向かい側、伝令室は黒く円盤状の集音マイクが天井からぶら下がり、その下には操作盤を兼ねるモニターパネルが設置されている。

 パネルを指で押していった彼が、部屋の中を探索する綾加を呼び付けた。


「こっちはログがある。メッセージの履歴が聞けるぞ」

「音声記録ですか?」

「ああ」


 最新は約百六十時間前、今から一週間程度遡る記録だ。

 全住民に向けたそのメッセージが、彼の操作で再生された。


 ――未だ全ての者が浄化されておらん。火は罪を焼き尽くすまで続くだろう。

 山に逃げし者よ、樹林に隠れし者よ、神の赦しは自らが選び歩む道。

 その脆弱な足で、神炎しんえんの元に集うがよい。

 迷える者を待つ神の慈悲にすがるべし。永劫の救済の機会に感謝を。


 この回のメッセージはここまで。内容からして、神堂とか言う男の言葉と思われる。


「典型的な狂信者だな。もしくは、この世界の有様に狂わざるを得なかったのか」

「火は天罰とでも言いたいんでしょうかね。拝火なんちゃら教でしたっけ」

「知ってるのか?」

「資料を見た覚えがあります。捜査対象ですよ、確か」


 続けて前々回の記録を流した時、綾加の顔が凍り付いた。


 ――不信心者は帰依するのを待てばよい。神は寛容だ。いつでも其方そなたらを受け入れて下さるだろう。

 しかし、神に害為す者は罰せられる。言葉を否定するだけでは飽き足らず、我々神の従者を亡きものとしようとした男、中木尚なかぎしょう

 邪に取り込まれし男は、今朝、神炎を浴びて獄界へと旅立った。

 かの者の魂が、業火で清められんことを。


「中木尚、唯一の死亡者ですね」

「……こいつら、焼きやがったな」


 これで仮想殺人の容疑者は、神堂玲巌となった。精神が衰弱したところを、焼き殺され、現実の肉体にも影響が及んだと推測される。


 神堂のメッセージは、月に数回流されており、内容はどれも似たり寄ったりだ。

 ほとんどが、教義の説明と信仰の呼び掛けで始終していた。キリスト教やゾロアスター教など、既存の宗教のパッチワークのような教えに、目新しい独自性は見当たらない。


 それでも、たける火柱が教義の裏付けとなったのであろう、熱心な信奉者もいるようだ。

 いくつかのメッセージは複数の違う声で記録されており、神堂を“教主様”と呼んでいる。差し詰め、こいつらは教団幹部とでもいう存在であろう。


 過去四十件ほどでログは途絶え、それ以前の記録は残っていなかった。

 神堂の音声は証拠たり得るが、この特殊な仮想空間では極端に双方向性が抑えられているため、現実に持ち出す方法が無い。


 いくら仮想とは言え、こうも好き勝手させてしまうとは。

 なぜこんな事態が生じたのか。仮想内の様子を、外から知る手段は本当に存在しないのか。帰ってから所長に詰問する内容を考えていると、脳裡に機械音声が響く。


“帰還まで残り五分です”


「やっとあと一時間くらいですか」

「残っていたログは全部聞いた。こちらからも何か言うべきだろうな」


 涼也はパネルを操作して、伝令モードに切り替える。開始ボタンをタッチすると、黒いマイクに向けて話し始めた。


「こちらは転送捜査官、警察だ。この仮想世界の異常を調査に来た。我々の帰還後、全員の接続を一度解除する」


 脳内にも同じ言葉が再生されていることを確認して、綾加が小さく頷く。


「この世界は、すぐに閉鎖される。無謀な行動は避け、解除まで身の安全を心掛けて欲しい」


 伝えるべきは、これくらいだろう。異変の原因は涼也たちにも分からないので、詳しく説明しようがない。

 神堂と争う者がいるなら、それを抑止するので精一杯だ。


 ここからは、監視所の内部に留まり、更なる情報収集に努める。

 私刑に処せられたらしき中木や、他のエリアにいる住民を探して、もう一度監視室の映像も精査した。

 残念ながら、映像から何かを読み取ることは出来ない。俯瞰画像では屋内が見えない上に、外も火の粉が邪魔だ。


 徒労となった一時間が経過し、最後のアナウンスが流れると、さしもの涼也も少し安堵した表情を見せた。


“帰還時刻です。接続解除に備えてください”


「まったく、酷い世界だった」

「接続解除後は、患者たちの聞き取り調査ですね」

「所長もな」


 二人の会話は、電子音と暗転で途切れる。

 再び目を覚ませば、そこは青白い光が照らすカプセルの中。蓋が開くのを待って、涼也たちは上半身を起こした。


 余計な仕事が増えたせいなのか、不機嫌そうな職員が、彼らを追い立てるように機器の電源を落として行く。


「……所長は?」

「所長室に戻られました」

「案内してくれ」


 壁掛けの液晶時計を一瞥した涼也は、職員の後を追うのをやめて、時刻を睨みつけた。

 柱に付いた傷を、もっと注意深く考察するべきだったと、彼は自分の迂闊さを反省する。


「どうしました?」

「正しく十五分の潜行だった。見てみろ、今はまだ正午過ぎだ」

「そんな! じゃあ、時間差は――」

「十倍速だな。あいつらは共有空間に十年も閉じ込められてるんだよ」

「…………」

「急ごう」


 綾加が絶句するのももっともだ。現実での一時間は向こうの十時間以上。あまり悠長にやってると、犠牲者が増えかねない。

 所長室は接続室を出て、廊下を進んだ二階の奥に在った。扉の前で職員を帰らせて、涼也はノックと同時にドアを開ける。


「あっ、刑事さん」

「異常事態にも程がある。さっさと全員の接続を切れ」

「ええっ!? そう仰っしゃられても……」

「被害者はいくらでも増えるぞ。あれじゃ治療用じゃない、牢獄だ」


 彼と綾加が、仮想空間の状況を交互に詳しく報告し、一刻も早い切断を命じた。だが、坂本所長の反応は鈍い。


「私の一存で、全解除するわけにはいかないんです」

「じゃあ、誰が責任者なんだ。アンタが所長だろ」


 のらりくらりと煮え切らない所長の態度に、涼也も語気を強めた。

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