04. 帰還刻限

「なんで火が……?」

「家に入るぞ! 考えるのは逃げてからだ」

「は、はいっ」


 オレンジの雪は、あっという間に勢いを増す。

 家の玄関扉に取り付くまでの一瞬で、ブリザードと称せるほどに炎が渦を巻き出した。

 皮膚を焦がす火の粉が一面に吹きすさび、地面のあちこちが炎上している。綿生地の軽装では、火を払い続けないと、直ぐに服へ着火しそうだ。

 玄関ポーチの小さなひさしの下、彼は扉をゴンゴンと乱暴に叩いた。


「開けてくれ! 警察だ」


 案の定と言うべきか、中から応答は聞こえない。ドアノブを回し、戸を引き開けた瞬間、彼は真横に飛び退く。


「下がれ!」

「えっ、はい!」


 腕を引っ張られ、戸惑いながらも綾加は玄関脇へ退避した。

 一拍置いて、彼らが立っていた場所を、中から噴き出た猛火が舐める。バックドラフトという程は激しくないが、火種が室内で燻っていたらしい。

 開いた玄関から酸素を送り込まれて、家は内側から炎上した。

 こうなると、燃え落ちるのも時間の問題だ。


「真崎さん、あっちに自動車が」

「無傷なら乗ろう。行くぞ」

「はいっ」


 火の中を車で走って大丈夫なのかという懸念は、一先ひとまず脇に除ける。今は小さくてもいい、屋根が欲しい。


 家の隣に、コンクリで囲われた車庫が見える。開け放たれた鉄網のゲートの奥には、白いランドクルーザーが停まっていた。

 舞う火は車庫内にも入り込むが、車に届いてはいない。最奥まで入庫した住人に感謝しつつ運転席に近寄った涼也は、ドアに手を掛けて口許を緩める。


「博物館級のセキュリティだ。何年前の車だろうな」


 在るのは鍵穴だけ、オンライン化されていないどころか、生体認証も無い。ドアハンドルを引くだけで、車は彼を簡単に迎え入れた。

 大方、年配者が昔を懐かしんで、山野を乗り回すために用意されたのであろう。

 待機センターの仮想世界内で、車泥棒をする馬鹿はいない。

 ロックは無用となれば、当然――


「オーケー、鍵付きだ」


 涼也がキーを捻ること数回。

 若干、もたついたエンジンも最後には震動とともに始動する。

 助手席に乗り込んだ綾加が、髪や袖をパンパンと叩くと、細かな火の粉が車内に散った。

 灰土にわだちを作りながら、白い車が発進する。加速で激しく揺さぶられる車の中、ここまで我慢していた疑問が綾加の口をつく。


「何が起こってるんです?」

「俺にも分からん。そのシャツ、昨日の夜も着てただろ?」

「聞き込み用に新調したんです。若い子たちに混じっても目立たないように――」


 捜査対象は、圧倒的に十代から二十代が多い。綾加の細い襟の青シャツにデニムのボトムなら、確かにスーツより彼らに馴染むだろう。

 だが、涼也が言いたかったのは服のチョイスについてではなかった。


「コーヒーをこぼしたのは夜だ。左の袖を見てみろ」

「あれ? 洗面所で頑張って染みを落としたのに」


 綾加の袖口は、コーヒー染みが付いた直後のように焦げ茶に変色していた。


「センターに来た時は、薄かったよ。アバターの設定からしておかしい」


 入り口通路でスキャンしたデータでアバターを作った、その所長の説明では納得できない現象だ。

 県警本部に潜入されていたのでなければ、脳内の記憶を再現したくらいしか考えようがない。そんな仕様は、現代のVRの技術レベルを逸脱している。


「アバターの話はともかく、火の雪なんて、大掛かりな改竄をしないと無理だろう」

「でも、所長の話では、ハッキングされた様子はなかったんじゃ」

「実際に火達磨なんだ。セキュリティを突破されたのは、既定事実だよ」


 これだけ派手な改竄を前に、ハッキングされたかどうかは、議論するのも馬鹿らしい。考えるべきは、どうやって、更には誰が、だ。


 まだ五分経過の通達は無い。残り時間は十分と少し。

 同じく刻限を気にしていたのだろう、腕時計を見ていた綾加が、車の前方に視線を戻した。


「どこへ向かってるんですか?」

「焼け野原を探索しても無益だ。右手に山が見えるだろ」

「山は北でしたっけ」

「そう。だから西に進んで、交流広場に行く」


 世界の中央、住民によるイベントが開催される交流広場。

 噴水のある広場に隣接してダンスホールや食堂が設置され、大人数が集える施設“交流館”もあった。

 中央管理室で見た地図の記憶を頼りに、涼也はハンドルを操る。


 灰の大地に、やがて舗装道路が出現し、方向は正しいと裏付けられた。

 緩やかに蛇行するアスファルトの道、その左右には消し炭状の木立が続き、一部が再炎上して煙が立ち込める。


 交流広場に近付くほど、少しずつではあるが火勢が強くなって行くようにも思えた。

 何度かカーブを越えて、直線道路に出ると、ようやく遠方まで見通せる。


「真崎さん!」

「見えてるよ。何だありゃ」


 煙は相変わらず酷いが、その合間から、遥か先の空に改竄の象徴がそびえ立つのが見えた。

 垂直に吹き上げる火柱が、西の娯楽エリア辺りで真っ赤な存在をアピールする。まるで噴火中の火山だ。


 火柱は上空で拡散して、周囲に火を撒き散らす。これが火の雪の原因なのは明らかだった。

 車は出火元、西へ走っていたのだから、燃える雪が勢いを増すのも当たり前である。


 炎がフロントグラスを覆い始めたため、涼也は気休めの洗浄液を噴射した後、ワイパーを起動した。それしか方法が無い以上、彼の判断は間違ってはいない。

 ただ、洗浄液で消えるような火ではなく、車体の両側に寄せられた火種はより激しく炎上する。

 ボンネットに積もっていた炎とも繋がってしまい、ガラス越しに熱がジワリと車内を侵した。


「これじゃあ、蒸し焼きになります!」

「この車は昔懐かしいガソリン車だ。先に燃料タンクへ引火するだろうよ。到着まで爆発しないのを祈っとけ」

「そんな無茶な!」


 車を降りて火の吹雪の中を走るのも、無謀に変わりはない。爆死か焼死か、或いは突っ切るか。

 前方にやっと姿を現した交流広場へ向けて、涼也はアクセルを踏み込む。

 広場の噴水が間近に迫るにつれ、綾加がチラチラと横を窺い、遂には警告を発した。


「ブレーキ! ぶつかります!」

「レース系も慣れてる、心配するな」

「ゲームで慣れてるからって――」

「一緒だよ」


 ――火を凌げそうなのはどこだ?

 彼は噴水を挟んだ反対側、チラっと見えた交流館の玄関に目を付けた。

 噴水を迂回するために、一度外へ膨らむコース取りが必要だ。焦る彼女とは裏腹に、涼也は直前までスピードを緩めず、噴水を引き付ける。

 急ブレーキと共にハンドルを右へ。すかさず逆ハンドルを切ると同時に、シフトダウン。


 後輪を滑らせた車は、鼻先を噴水の縁石に擦らせながら、ロータリー状の広場をグルリと回った。

 ヘッドライトの片方が砕け、破片と火の粉が車体の左へ飛び散る。

 円の四分の一を越えたところで、再びハンドルを反対へ切り替え、アクセルをベタ踏みした。

 振り子のように揺れる車内、それでも綾加は進行方向を把握しようと、目を見開く。


「真崎さん、前っ!」

「黙ってろ、舌噛むぞ!」


 交流館の玄関は、観音開きのガラス扉。彼女は当然、そこに車を横付けでもするのかと考えていたが、涼也の想定するゴール方法は違う。


 玄関の横、スモークグラスの壁面ウインドウに正面から突っ込み、車体でガラスを粉微塵に砕く。

 ランドクルーザーは百八十度回転し、後部を建物の中に向けて停車した。

 ドアを跳ね開けた二人は、ロビーへと走り出る。


「住民はいるか!」

「見当たりませんっ」


 誰も巻き込んでいないことを確かめて、涼也たちは奥へと進む。

 大ホールへ続く扉に涼也が手を掛けた時、轟音を立てて自動車のボンネットが吹き飛んだ。


「間一髪だったな」

「色々とやり過ぎですよ。運転は上手かったけど」

「アンタもゲーム技能で抜擢されたんだろ。レースは苦手か?」

「その手のジャンルはあまり……」


 彼の反射神経は優れているものの、それだけでプロレーサーのようなドライビングが出来るわけではない。

 タイヤのグリップ力、車体の安定性、旧型車らしからぬ加速力、どれも仮想空間だからこそ。


 ――この世界、現実と全く同じと言うわけではなさそうだな。

 ハンドルを握ったことで、涼也はそのVRならではの感触を看破していた。


 仮想ならではのメリットを熟知し、生かし切るだけの経験を積んできたことが、涼也の誇る能力だ。

 一つのゲームに特化したプレーヤーには叶わずとも、多岐に亙るジャンルに精通する。一昔前ならプロゲーマーを職にしたであろう彼も、今はもっと適任の仕事が存在した。


 大ホールの中に入ると、火の脅威からは逃れられ、涼也たちも落ち着きを取り戻す。こちらにも人影は無し。

 壁に設置された緊急通報器を調べた綾加は、その役立たずぶりに首を傾げた。


「押した跡がありますね」

「外に通報が届いてないってことだ」


 一般的な火災報知器と同じで、通報器もプラスチックのカバーを割って押し込むボタンである。カバーが外れてるからには、一度使用したことは間違いない。

 駄目と知りつつも、涼也もスイッチを何度か押してみた。途中離脱は不可、やはり数秒待っても広々としたホールの風景は変わらないままだ。


「帰ったら、全員の接続を解除するしかないな」

「それまでどうします?」


 外を探索するのは自殺行為、なら交流館を調べるくらいしかないだろう。

 しかし、一つ気掛かりなことがあった。


「ここに来て、何分経った?」


 腕時計を見て、綾加が即答する。


「十分弱です」

「おかしいだろ」

「体感的にも、それくらいかと」

「違う、アナウンスはあったか?」


 五分毎と設定された、帰還へのタイムカウント。

 最初に残り十五分と告げられて以来、まだ次の知らせが聞こえていない。

 その事実に気付いた綾加は、不安を隠すように眉間に深いしわを刻んだ。

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