secret base

シメサバ

第1話 

 10年前の夏。

 僕は、そこで君に出会った。

 僕は忘れない。

 楽しいこと。愉快なこと。少しだけ悲しいこと、少しだけ寂しいこと。

 君は、僕に色々なことを教えてくれた。


 僕が『ヤクモ』に出会ったのは、10年前。僕がちょうど10歳の夏だった。

 母さんに連れられて、母さんの実家である茨城県の山の奥にある村を訪れた。山と自然に囲まれたそこはいわゆる山村地帯で、当時、テレビゲームとテレビアニメにどっぷり浸かっていた僕にとって高いビルも煌びやかな看板もないその世界はちょっとしたカルチャーショックでもあったが、温室育ちの僕の心は物足りなさを感じていた。つまらないとこ、田舎だなあというのが僕の最初の感想。だってそうだろう? 電車の音も車の音も聞こえない。聞こえるといったらせいぜい色んな種類のセミの音と子供の笑い声。耳を澄ませば近くを流れる川の音とかどこかのオジサンが畑を耕す音とか聞こえてくるけど、たかだか10歳の子供に『ああ、風流だ』なんてそんな気持ちがあるほうが珍しいだろう?

 夏の初めに母さんに連れられてやってきた僕の頭を、祖母は嬉しそうにくしゃくしゃと撫でた。

「お帰りヨウちゃん。よく来たねえ」

 大きくなったね、という祖母の顔はとても優しかった。けれど、当時とても人見知りな僕にとって5年ぶりに会う祖母というのも恐怖の対象であり、僕は白いワンピースの裾をぎゅっと握って母の背中に隠れていた。

 祖母の家は大きかった。それはただ単に幼い僕の世界と背丈が小さかっただけではなく、周りにあるコンクリートでできた新しい家と比べて単純に大きかった。祖母の家は木造建築ですごく古くて廊下を歩けばぎしぎしと音を立てるようなお化け屋敷だったが、突き抜けた襖はあるし庭に池はあるし小さな子供の5,6人は軽く鬼ごっこやかくれんぼうができるだろう。それで、帰郷した母さんと祖母が居間でなにやら話をしている間に僕は襖を開けたり閉めたり長い廊下にビー玉を転がしたりミニ四駆を走らせたり色々ひとり遊びをしていたが、そのうちに飽きて僕は外界に探検に行くことに決める。

 家を出た僕の青いスニーカーは、今だ歩いたことのない砂利街をぽてぽてと進んでいく。すごい静かでそして暑い。天からは真っ赤な太陽が降り注いで、白い雲がふよふよと浮かんでいる。僕は慣れない田舎道をきょろきょろ見回しながら進んでいく。何もない。看板もないし電車も見えない。見えるのは山と木だけ。あとはぽつりぽつりと家がある。みーんみーんという音にまぎれて、ちりんちりんという音が聞こえる。ぎょっとして前方を見ると、郵便屋さんが赤いポストを背負って自転車を走らせていた。途中、暑さでくらくらとしてきた僕は、どこかに自動販売機でもないかと探すのだけれど、あるわけがないということに気がついて脱力をする。でも、そこから30分ほど歩いて川を見つけた。靴下を脱いで足をつけてぺちゃぺちゃとしていると、次第に汗も引いてきて僕なんだか穏やかな気分になってきた。すごく気持ちがいい。僕が住んでいた町の用水路とは全然違い、水は青くて澄んでいて魚が泳いでいて、岩の形がはっきりわかる。深い溝に突っかからないように恐る恐る水の中を歩いたり、適当な岩場に腰掛けてべちゃべちゃバタ足をしていると、背後から誰だ? という子供の声が聞こえた。僕は反射的に体を強張らせて恐る恐る後ろを振り向いた。 

 そこにいたのは僕と同年代の少年だった。半袖に半ズボンといういかにも少年という格好をしていてなぜか裸足。靴下どころか、靴も履いていない。気の強そうな顔をしていて、ああ、こいつは多分親分とかガキ大将とかそういったタイプの人間だと僕は判断して、思わず直立不動になる。

「お前、この辺じゃ見ない顔だな」

 と、眉をよせて僕の顔をしげしげと観察するそいつに、僕はあわあわと体を震わせていた。

「新入りか?」

 その言葉の意味をキチンを理解したわけじゃなかったけれど、僕はただただ怖くてこくこくと首を上下させた。そいつはふうんと僕の上から下を眺めると、

「いい服着てんな。ひょっとして東京モンか?」

「え……違うよ。埼玉から……」

「ふうん。東京モンは色白で弱っちいって聞くけど、それって本当なんだな」

 こいつの中では東京も埼玉も同じらしい。僕が住んでいたところは埼玉でも大分北寄りにあって、ここほどじゃないけれど田んぼに囲まれたド田舎だ。僕だってそれなりに日焼けをしていたつもりであったが、白いTシャツと紺色の半ズボンといういかにもって感じで真っ黒に日焼けした彼の眼には、僕は身なりのいいお坊ちゃまに見えたらしい。

 彼は、僕がひどく注意しながら進んできた岩の上とか水の中とかをそれこそひょいひょいと飛ぶようにして軽々と渡って、僕のすぐ近くまでやってきた。彼の気の強い瞳が僕を射抜くようにして見つめている。僕は人見知りだ。年上であれ年下であれ同姓であれ異性であれ、初対面の人間とそんなに目を合わせられるほど太い神経を持ち合わせているわけがないのだけれど、なぜかそいつの眼は僕をひどく引き付けて、僕は眼をそらすことができなかった。

「お前、名前は?」

「え……」

「名前だよ。あるだろ? 名前」

「よ、陽一。加藤陽一」

 僕はおどおどとしながら名前を名乗った。すると、そいつはにいっと笑って右手を差し出した。

「俺、ヤクモ。よろしくな」

 戸惑いながらも僕は、年相応の笑みを浮かべるそいつの手をぎゅっと握り返した。そいつは笑う。そいつが笑ったことが嬉しくて、僕も笑う。

 なんにしろ、それが僕と『ヤクモ』の出会いであったのだ。

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