元旦(土) 駄々っ子は子育ての悩みだった件
「もしもし? 水無月ですけれど、今から帰ります。それでハル君の服なんですが、申し訳ないことに泥だらけになってしまいまして…………はい。お願いします」
何だかんだで一時間以上は遊んだだろうか。阿久津の機嫌も何とか元に戻ったらしく、家に帰る旨を電話で伝え終えた少女は大きく息を吐いた。
ちなみにハル君はといえば、遊ぶことに全力を出し切ってしまい歩く体力すら残っていない様子。阿久津が電話を掛けていた今は俺がおんぶしているが、どうやらあっという間に眠ってしまったのか背中からは寝息が聞こえている。
「すまないね。代わるよ」
「寝ちゃったみたいだし、このままでいいぞ」
「大丈夫かい?」
「これくらい余裕だっての」
とか言ってはみたものの、ぶっちゃけ結構重かったりする。なあハル君よ、そろそろおんぶは卒業して、自分の足で歩いて帰る体力を残すことを覚えような。
それでも不定期ながら続けている筋トレの成果を見せるには丁度良い機会かもしれない。数年振りにやってきたものの通学路と違い何一つ変わる気配のない小学校を改めて見渡した後で、俺は阿久津と共に校門を抜けて帰路に着く。
「本当にすまないね。すっかりこんな時間まで付き合わせた上に、服も汚してしまって」
「気にすんなって。何だかんだで楽しかったし、いい気分転換になったよ」
「気分を転換する必要があるような正月を過ごしていたのかい?」
「いや、寧ろ正月気分を終わらせる意味での気分転換だな。昨日と今日は単語の記憶をサボっちったし、冬課題の残りもちょっとだからさっさと終わらせないと」
「…………」
「ん? 何だよ? そんな顔をして」
「キミは誰だい?」
「米倉櫻だゆぉっ? 頬を引っふぁんな頬を!」
人がハル君をおんぶしていて手出しできないのをいいことに、俺の頬を摘むなりグニグニ上へ下へと引っ張る阿久津。痛みを感じるほど強く引っ張られてはいないし、異性に触られるというのは中々に新鮮であり気分は悪くなかったりする。
しかしどこぞの怪盗じゃあるまいし、ベリっと剥がれて正体を現したりする訳がない。ひとしきり俺の頬で遊んだ少女は、ようやく手を離すと腕を組んで納得した。
「ふむ。夢じゃないみたいだね」
「本人確認じゃなかったのかよっ? 夢かどうか調べるなら自分の頬を引っ張れよ!」
「いや、すまない。正直、驚いてしまってね。まさか冬休みも単語の記憶を続けているとは思わなかったし、冬課題だってキミのことだから未だに手を付けていないんだろうと決めつけていたよ」
「そりゃまあ、今までの行いを考えればそれが普通だし疑うのも仕方ないけどな。それにそんなに驚いてるけど、阿久津は冬課題なんてもう終わらせてたりするんだろ?」
「終わらせたのは昨日だけれどね。年を越す前に済ませておきたかったんだよ」
「流石だな」
「そんなことないさ。キミだって頑張っているじゃないか。英単語を一通り覚え終わったら次は文法だね」
「…………」
「ん? そんな顔をして、どうしたんだい?」
「いや、何でもない……」
心の奥底では阿久津に物凄く褒めてもらえるんじゃないかなんて、早乙女みたいなことを考えて頑張っていたものの、さらりと新たに激重な課題を提示されてげんなりする。
正直に言って、御褒美の一つや二つ貰ってもおかしくないくらい努力した。それこそいつぞやみたいに膝枕をしてくれるとか、そんな妄想を幾度となく繰り広げたことか。
まあ勉強は誰のためかと言えば自分のためなんだし、阿久津に対価を望むのは間違っていると充分理解しているが…………もしも勉強したら癒してくれる異性を一人一人に配備する制度とかが始まれば、日本の学力って物凄く上昇するんじゃね?
「そういえば宝くじはどうだったんだい?」
「全部外れだ」
「それはまた残念だったね」
「まあ元から大して期待はしてなかったし、ウチも明日には親戚の集まりがあるから暫くはお年玉で何とかなるさ」
「仮に子守り役が必要だったら、呼んでくれれば今度はボクが付き合うよ」
「いや、ウチは集まるのが婆ちゃんの家だし、まだ結婚してる従兄もいないからこういう風に子守りをすることはないな」
「ふむ。それなら役に立てそうにないね」
逆に言えば子供が生まれた場合、今回みたいな状況が訪れる可能性がある訳か。まあ仮にそうなったとしても、梅辺りが面倒を見ると思うし多分何とかなるだろう。
「そっちは随分と盛り上がってたみたいだな」
「そうだね。親戚一同による、叩いてかぶってジャンケンポン大会で白熱していたよ」
「遊びが古いっ! 従兄はゲームとかやらないのか?」
「ボクよりも年上ばかりだし、基本的に遊ぶ場合はトランプが多いかな。優勝者には図書カードなりクオカードの景品も用意されてね」
「へー」
阿久津家の正月事情なんて今まで知る機会が無かったが、やはり一人っ子の正月は色々と違う様子。トランプなんて陶芸部で週に二、三回は遊んでるのにな。
「その叩いてかぶってジャンケンポン大会は誰が優勝したんだ?」
「父親さ」
「流石は現職警察官」
「今年は少しハプニングもあったんだよ。用意されたのがボクの生まれた時から使っていたプラスチック製の桶だったんだけれど、それが叩いた際に壊れてしまってね」
「プラスチックが壊れたって、何で叩いてたらそうなるんだ?」
「新聞紙を軽く丸めただけの、柔らかい棒さ」
「そりゃまた恐ろしい親戚がいるもんだな。ゴリラ並のパワーなんじゃないか?」
「壊したのはボクだよ」
「え」
思わぬ種明かしをした後で、阿久津は肩を落としつつ大きく溜息を吐く。軽率な自分の発言を後悔するが、少女が落ち込んでいたのは全く別の理由だった。
「長年使われていた物だから多少なり脆くなっていたんだろうけれど、かれこれ17年の歴史を持つ大事な物を壊してしまったと思うと気が重くてね」
「そうは言っても、形ある物はいつか壊れる訳だしな。こればかりは仕方ないだろ」
「キミの言う通りだよ。ボクも頭ではわかっていたつもりだったけれど、何だかんだでショックは隠せなかったかな。そんな時に丁度ハル君がぐずりだしたから、気分転換にボクも付き添うことにしたのさ」
こうして外に出て遊んだことで少しは気が晴れたらしく、話している阿久津の口調は軽い。前に冬雪が言っていた通り、悩んでいる時は身体を動かすに限るってことなんだろう。
「しかしこの辺りも、少し見ないうちに随分と変わったね」
「ああ。向こうにあった中華料理屋が無くなってたのはショックだったな。学期末で午前授業になった時、帰り際に覗いてみたら窓ガラスの向こうで先生達が御飯食べてたことがあったのとか覚えてるか?」
「懐かしいね。区画整理も進んで知らない道も増えているし……ここは何の店だろうね?」
「何だろうな? 雰囲気的に居酒屋とかじゃないか?」
「居酒屋なら行くことはなさそうかな。ボクも付き合いで少しお酒を飲まされたけれど、何が美味しいのか全くもってわからなかったよ」
「おい警察官の娘」
「仕方ないじゃないか。ボク以外の親戚は全員二十歳を超えているし、その警察官が「これはお神酒だから問題ない」なんて言って奨めてきたんだからね」
「いい加減だな…………ん? ああ、そういうことか!」
「何がだい?」
「いや、何でもない。こっちの話だ」
「?」
阿久津の様子が普段と違い、色々とおかしかったことに思わず納得する。恐らくは飲まされたお神酒のせいで、一種のほろ酔い状態になっているんだろう。
当の本人に自覚はないみたいだし、ここは余計なことを言わずに黙っておいた方が良さそうだ。寧ろ阿久津同様にお神酒を飲んでいる俺は大丈夫なのか不安になってくるな。
「さてと……ハル君。家に着いたよ」
「んぅ…………?」
「無理に起こさなくてもいいんじゃないか?」
「どうせこの後で着替えてお風呂に入ることになるからね。櫻、下ろしてくれるかい?」
「そういうことなら……よっと」
泥だらけの身体をゆっくり下ろすと、ハル君は寝惚け眼を擦る。空いていた手を阿久津が握ると、寝起きの少年の意識が少しずつ覚醒していくのが手に取るようにわかった。
「ほら、ハル君。お風呂が待っているよ」
「おふろ……みなちゃん、いっしょにはいろう?」
「ぶっ」
「ボ、ボクとかい?」
「うん。みなちゃんいっしょがいい」
「お家に帰ったらママもパパも待っているよ?」
「やだやだ! みなちゃんといっしょ!」
「ママやパパと一緒に入らないのかい?」
「やーだーやーだーやぁーだぁーっ!」
最後の最後になって本日一番の駄々をこね始めるハル君。これには流石の阿久津も困った様子で、どうしたものかという表情を浮かべている。
「仕方ないね。構わ――――」
「駄目だ阿久津! こういうところで甘やかしたらいかん! ちゃんと親にやらせろ!」
ほろ酔いのせいか危うく了承しかけた少女の言葉を即座に止めた。ハル君よ、そんな我儘が許されると思ったら大間違いだ。俺だってミナちゃんと一緒に入りたいんだぞ?
「甘やかすなと言われても、ハル君はまだ子供じゃないか。それにボクも汚れているし、どうせ入ることになるなら別にハル君と一緒でも同じことだろう?」
「いいかよく聞け阿久津。仮に電車の中で泣いている子供がいたとする。そして親が静かにさせようと努力していたなら、子供なんだからと暖かく見守って許すのはいいことだ」
「そうだね」
「ただ親が何もせずに、泣いているのは子供なんだから仕方ないと言い出すのはおかしいだろ? 子供なら座席に靴で立っていいのか? 荷台に上がって良いのか? 世の中には守るべきルールってものがあるだろ」
「それは……そうだけれど……」
「例え子供だろうと守るべきルールを破った場合、子供なんだから仕方ないと許すんじゃなくて、注意してあげることこそがその子供のためになるんだ。違うかっ?」
ルールを破った時まで子供なんだからと許してしまうのは寛容じゃない。ただの妥協だ。
そして言っておくがこれは断じて嫉妬じゃない。ただの躾だ。
「キミの言うことも一理あるけれど、幼稚園児にはまだ少し早くないかい?」
「…………」
「………………」
「ハル君は大きいから、もう一人でお風呂に入れるよな?」
「やだ」
「ミナちゃんと一緒じゃなくても、一人でできるもん!」(裏声腹話術)
「やーだー」
「ほら見ろ! 大丈夫だって言ってるぞ!」
「キミの頭が大丈夫かい?」
「それでも駄目だ! とにかく駄目だ! 絶対駄目だ!」
「やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだーっ!」
まるでラッシュでも打ちそうな勢いで騒ぎ始めるハル君。中々に信念を曲げない黄金の精神を持っているようだが、こちらも負けるわけにはいかない。
「やっぱりボクが――――」
「しなくていいから! 泣けば思い通りになると勘違いした我儘小僧になるぞ! 両親だって育て方の方針とかあるんだろうし、お前がそこまでやる必要はないっての!」
「方針……確かにそうかもしれないね」
「ハル君の将来のためを思うなら、駄目なことは駄目とはっきり言うべきだ。わかったら早く親の所に連れていけ。そんでもってお前は少し休め」
「ふむ。ひとまずそうさせてもらおうかな。さあ、行こうかハル君」
「やぁーーーーーだぁーーーーー」
これくらいのことも正常に判断できないなんて、やっぱり阿久津は酔っていたんだろう。子供の面倒を親が見るのは当然の話だ……うん。俺の言い分は間違ってないよな?
こうして思い通りにならず泣き叫ぶハル君は、警察官の娘によって家へと連行されていくのだった。これも忍者ならばインガオホー! オタッシャデー!
「ふう…………ただい……ま……?」
「梅と!」
「桃の!」
「「梅桃コント~」」
「…………」
「それではどうぞ」
「聞いて下さい」
「「ちょっといい気分」」
ドアを開けるなり、玄関前でニヤニヤ顔の姉妹が出迎える。
スマホの画面をタップするなり音楽が鳴り出し、リズムに合わせて謎ダンスが始まった。
「梅桃コントが始まるよっ!」
「ちょっといい気分~♪」
「「ハイッ!」」
「今日はぶっつけ本番でっ!」
「ちょっといい気分~♪」
「「ハイッ!」」
「蕾ちゃんから年賀状っ!」
「ちょっといい気分~♪」
「「ハイッ!」」
「新年早々ミナチャンスっ!」
「ちょっといい気分~♪」
「「ハイッ!」」
「それでは皆さんまた明日っ!」
「ちょっといい気分~♪」
「「ちょっといい気分~♪」」(ハモリ)
「「ハイッ!」」
「どうも」
「ありがとうございました~」
「…………」
「あうっ!」
「痛いっ! ちょっと櫻~? 暴力反対よ~」
「やかましいわっ!」
脳天チョップをかましてもニヤニヤが止まらない姉妹をよそに、新年一日目にしてドッと疲れた俺は自分の部屋へと戻るのだった。どいつもこいつも酔っ払い共め!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます