7章:俺の後輩が真摯だった件

初日(水) 僕の初恋が夢野さんだった話

 ◆


 貴方の初恋はいつですか?

 そんな質問をされると、大半の人は何を初恋とするか考えると思います。


 幼稚園児や小学生の『大きくなったら結婚しようね』なんて約束?

 中高生の思春期におけるトキメキ?

 大人になってから人生の伴侶として相応しい相手との出会い?


 初恋の定義は人それぞれで、恋愛というのは割と曖昧です。

 僕の場合、小学生の頃に好きだった女の子は引っ越し。中学時代は周りの目が気になって行動に移せず、その子が別の男子と付き合うのを遠目から眺めるだけでした。

 いつだって、ぼんやりとしたものばかり。

 それはきっと高校でも変わらない……そう思っていた僕こと相生葵あいおいあおいは一年前の四月末、演劇部と音楽部どちらに入るかを悩んでいました。


『ボサッとすんなぁっ! 気合い入れろぉっ!』

「っ」


 屋代学園にある芸術棟の四階。ボーっとしながら歩いていたのでビックリしたものの、これは僕に向けた怒りじゃなくて吹奏楽部から聞こえてくる恒例の叱咤激励です。

 前に見学へ来た時は驚くと同時に、音楽部も怖い先生だったらどうしようかと物凄く不安になりましたが、幸い顧問のタカミー先生は優しかったので安心しました。

 一方で演劇部の先生も面白く、部活内容も甲乙つけがたいところ。部活動体験期間の終わりが近づく中、両方の部活を体験して決めようと音楽部へと向かいます。


「♪~」

「?」


 不意に聞こえてくる、ピアノに合わせて発声練習する声。

 しかしそれは音楽室からではなく、その向かいにある準備室の中からでした。

 先週見学した時に入部を決めた子が同様の発声練習をしていたため、タカミー先生が音域と声質を聞いてどのパートか判断しているんだと何となくわかります。


(…………先に挨拶しておいた方が良いかな?)


 じきに終わるだろうと、準備室の前で少し待機。

 耳を澄ますとドアの隙間から、透き通るような声が漏れてきます。


「♪~♪~♪~♪~」


 何てことのない、ただの発声練習。

 それなのにとても綺麗で心地良い、そよ風のような歌声でした。

 言うなれば一目惚れならぬ、一聴惚れでしょうか。


『ガチャ』


 恍惚としているとピアノの音が止み、ドアがゆっくりと開きます。

 中にいたのはタカミー先生と、声に相応した可愛い女の子でした。


「それじゃあこっちで……お! 相生君、また来てくれたんだね」

「は、はいっ!」


 深々と頭を下げた後で顔を上げると、女子生徒と目が合います。

 僕を見るなり、天使みたいな笑顔を返してくれる少女。

 今度は紛れもない、完全な一目惚れでした。


「あ、あの……音楽部に入部します!」


 きっとこれが僕の初恋。

 相生葵が夢野蕾ゆめのつぼみさんのことを好きになった瞬間。

 何故ならあの笑顔を、僕は今でも鮮明に覚えているから……。




 ★★★




「――――葵君? どうかしたの?」

「えっ? あっ、ご、ごめん。少しボーっとしてて……」

「どうせまた映画のこと考えてたんだろ?」

「葵っちっぽーい」


 今日はゴールデンウィーク最終日。去年はこれといって何もなかった連休だけど、今年は僕と夢野さんに音楽部二人を交えた四人で一緒に映画を見に行ったんだ。

 最初はテスト前の勉強会で集まるくらいだったけど、SNSでグループ会話するようになってから少しずつ話が弾んで、どこか行こうって流れになったんだよね。


「でも面白かったね」

「そーそー。最後のシーンとか、ちょー良かったー」

「ああ、真っ暗になってから監督の名前が出るところな」

「えぇっ? そこっ?」

「わかってるっての。映画泥棒のダンスも良いって言いたいんだろ?」

「違うよっ?」


 企画してくれたのはこの冗談好きな友達。櫻君やアキト君同様に僕が夢野さんを好きだって知ってるから、色々と気を回してくれたり相談に乗ってくれたりするんだ。

 ちゃっかり二人は二人でいい感じみたいだから、いつかお互いが付き合ったらこの四人でWデートなんて冗談をよく言われたり……できたらいいな。


「んじゃ、またな」

「ばいばーい」


 路線が違う二人と駅で解散して、残ったのは僕と夢野さんの二人だけ。まあ夢野さんとは方向が逆だから、すぐに別れることになっちゃうんだけど……。


「(ニコッ)」

「ど、どうしたの?」

「はいこれ、葵君にプレゼント!」

「えっ?」

「明日、誕生日でしょ? 去年貰ったから、そのお返しに♪」


 驚きのあまり、物凄く間の抜けた表情を浮かべてたと思う。

 覚えててくれただけでも嬉しいのに、プレゼントまで用意してもらえるなんて考えてもなかった。夢かと思って頬を抓ったら、夢野さんがクスっと笑う。

 ちなみに去年の9月8日、夢野さんの誕生日に僕がプレゼントしたのはハンカチタオル。何にするか散々迷った挙句、この時は兄さんに相談したんだっけ。


「あ、開けてもいいかな?」

「うん」


 ワクワクしながら掌サイズの細い箱を受け取ると丁寧に開封する。四角いケースを開けば、その中にはシャープペンとボールペンが一本ずつ入っていた。


「わぁ、ありがとう!」

「どう致しまして。大した物じゃなくてゴメンね」

「そ、そんなことないよっ! 凄く嬉しいし、大事にするからっ!」


 良い雰囲気だった。

 今なら言える気がする。

 今日こそ僕の気持ちを、はっきりと伝えよう。


「…………あの、夢野さ――――」

『間もなく、一番線に電車が参ります』


 無情にも鳴り響くホームのアナウンス。

 遠くから近づいてくる電車が見える中、夢野さんは首を傾げる。


「どうしたの?」

「う、ううん。ま、また皆で一緒にテスト勉強しようねって」

「うん。御世話になります……なんてね♪」


 そんなの、お安い御用だよ。

 頭の中ではそう男らしく応えるけど、実際には若干しどろもどろだった気がする。ここぞという時になると、いっつも緊張してばっかりだ。

 まだまだ一緒にいたい気持ちとは裏腹に、夢野さんの乗る電車が駅に到着。僕も一緒に乗って家まで見送るなんて、昨晩はそんなことを何度も考えたっけ。


「それじゃあ、またね」

「うん。また明日」


 そこまで踏み出せる勇気があれば、告白なんてとっくにできている。

 下手なことをして嫌われたらどうしようと不安しかなく、扉が閉まった後も手を振ってくれる少女を普通に見送ることしかできなかった。

 だから僕は電車が完全に見えなくなった後で、大きく溜息を吐く。




「…………今日も言えなかったなあ」


 ◆

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