元旦(木) 逃げるは恥だが逃げるが勝ちだった件

「すまないっ! ちょっと失礼するよっ!」

「ミナちゃん先輩っ?」


 そんな声が後ろから聞こえた。

 追って来る足音を耳にして、俺は再び加速する。


「っ!」


 泣きながら逃げる青年と追いかける少女……普通は逆だろ、このシチュエーション。

 涙を拭いて神社を抜けた俺は、屋台の並ぶ小道を走った。

 脇目も振らずに走り続けた。




 ……………………そして、追いつかれた。




「はぁっ、はぁっ、はぁっ――――」


 横へ並ばれた瞬間に気持ちだけで走っていた足が止まり、腰を曲げて両膝に手をつく。最初に夢野から逃げる時に一度、全力疾走したのが仇になったか。

 そんな恰好悪いことこの上ない俺を前にして、初詣だろうと変わらずボーイッシュな私服姿の阿久津は、肩で息をしながら長い黒髪をかきあげた。


「ボクから……逃げ切れると……思ったかい……?」


 どこの大魔王だよお前は。

 辿り着いた先は神社から少し離れた公園。誰一人いないという訳でもなく遠くでは大学生っぽい人達が戯れており、デートを楽しむカップルも少々といった感じだ。


「さて…………ん……? はい、もしもし?」


 どうやら電話が掛かってきたらしく、阿久津がスマホを耳に当てる。この隙に逃げようかと思ったら、どうやら読まれていたらしく左手でガッシリと手首を掴まれた。


「ああ、すまない。急な用事ができてね…………まあ、色々だよ。この埋め合わせは後で必ずするから………………ああ、本当に申し訳ない。感謝するよ」


 前言撤回。どこの社会人だよお前は。

 少女は通話を切るなり、今度はメッセージを打ち始める。一緒に並んでいた後輩以外にも連れがいたのかは知らないが、こうした気配りは実に阿久津らしい。

 アフターフォローが終わった頃には、お互いの息も充分に整う。幾度となく除夜の鐘が聞こえてくる中、幼馴染は俺の手首を離すなり傍にあるベンチを指さした。


「座って話そう」


 別に怒っても呆れてもいない雰囲気でやんわりと言われるが、米倉フィルターを通すとどういう訳か『座れ奴隷』と変換されているから不思議である。

 元旦の深夜に、片想いの女の子とベンチで二人きり。個人的にはブランコというのも悪くないと思うが、いずれにせよ普通に考えれば誰もが喜ぶであろうシチュエーションだ。

 しかし今の俺には、このベンチが公開処刑場となる未来しか見えない。


「新年早々に神社の裏手から走って来るなんて、黒谷町にも変な人が増えてきたと思いきや、まさかキミとは予想外だったよ。それも泣いているなんてね」

「季節外れの花粉症だ」

「そういう冗談は、花粉症体質の桃ちゃんに怒られるんじゃないかい?」


 同じ両親から生まれてきたのに、三兄妹の中では唯一花粉に弱いんだよな。

 既に涙は止まっているが、何度も拭ったせいで目元は赤くなっているだろう。何より直接見られている時点で、誤魔化そうとしても無駄なのかもしれない。


「人が泣く理由は色々ある。感動の涙。悲しみの涙。悔し涙。玉葱の涙。流石のキミでも、初詣に神社で玉葱料理をしていたなんてことは…………ふむ。あり得るね」

「いや、ねーから」

「そう言われても、キミは何かと普通じゃないから困る」

「悪かったな」

「別に否定はしていないよ。寧ろ個性は伸ばすべきだ」


 いつもと変わらない調子で語る阿久津。このままくだらない話で終わればいいのにな。

 普段は遠慮なく物言う少女だが、今日は珍しく遠回りしながら尋ねてくる。


「高校生にもなって涙を見られたことが、そんなに恥ずかしいのかい?」


 そりゃそうだ。

 徐々に踏み込んできた質問へ沈黙で答えると、阿久津はやれやれと溜息を吐いた。


「キミの泣き顔なんて、ボクは何度も見ているけれどね。一緒に佐藤君の家へ遊びに行った帰り道、一人で勝手に走り出したかと思ったら道に迷って泣いただろう?」

「…………」

「食べたアイスのゴミをドブに捨てたのは覚えているかい? キミは仲間の前で母親に叱られて大泣き。一緒に遊んでいた友達も全員、逃げるように帰っていたね」

「………………」

「先生にもよく怒られていたじゃないか。給食の時間に喋ってばかりだったり、自習の時間に出歩いていたり、宿題を忘れたり。その度にキミは泣いていた気がするよ」


 よくもまあ、次から次へと出てくるもんだ。

 小学校低学年から中学年にかけての、苦笑いを浮かべそうになる思い出を挙げていった阿久津は、口を閉じたままの俺を前に再度溜息を吐いた。


「別にボクは逃げるのを悪いと思わないけれどね。RPGのゲームだって、強敵が出てきたら逃げの一手を選択するだろう? 寧ろ逃げない方がおかしいくらいだよ」


 最近のRPGは戦歴システムがあって、そこには逃走回数が記録されるものもある。その表示を0のままにしたいが故に、逃走縛りをするプレイヤーは割と多いぞ。

 それに例えチキンナイフの方が強くても俺はブレイブブレイド派だから逃げないし、そもそも『しかしまわりこまれてしまった』をリアルでやったお前が逃げろとか言うなよ。


「勿論、時には逃げられない敵だっているさ。そういう場合は潔く全滅して、セーブ地点からやり直せばいい。そんなの当たり前なのに、今の世の中は電源を切る人ばかりだ」


 何だか自殺問題の比喩として使えそうな話だ。

 仕事が理由で鬱状態な社会人なら、職を辞めてしまえばいい。全滅して金半分みたいなペナルティはあるだろうが、電源を切る……つまり死ぬよりは遥かにマシである。


「ボクはキミを追いかけて捕まえたけれど、雁字搦めに縛り上げちゃいない。やろうと思えばいつでも逃げられるじゃないか。まあ逃げ続けるのもどうかと……ん……すまない」


 震えるスマホを確認した阿久津は、脱走する気はない俺の手首を再び掴む。

 先程より力の入っていない綺麗な手を、何も考えずにボーっと眺めていた。


「家族想いの優しい妹に感謝するんだね。今のキミは考えてもいなかっただろうけれど、どうやら夢野君の方は心配いらないそうだよ」

「えっ?」

「どうして夢野君と一緒にいたことをボクが知っていたか……かい?」


 思わず驚き振り向いた結果、ずっと逸らし続けていた目を合わせてしまう。

 阿久津は謎解きをする探偵みたいに、得意気な笑みを浮かべた。

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