大晦日(水) 初詣が疑似デートだった件

 止まったと錯覚した俺の時間が、少女の白い吐息と共に動き出した。

 周囲の雑音は耳に入らず、透き通るような声だけが届く。


「……………………へ?」


 目の前にいたのは妹の梅と、その友達と思わしきお団子の少女。

 そして暖かそうな手袋に身を包み、可愛いニット帽をかぶった夢野だった。


「お兄ちゃん! 蕾さん! 望ちゃん! あけましてうめでとう!」


 目の前で少女達が新年の挨拶を交わすが、俺の脳内は新年早々大混乱だ。

 夢かと思ったが夢じゃない、夢野である。


「お兄ちゃん、うめでとうは?」

「え? あ、ああ。あけましてうめでとう……っておいっ!」


 あまりに驚いていた結果、流行らない新ネタまでやらされてしまった。

 そんな俺を見て微笑む夢野は、隣にいたお団子少女へバスガイドみたいに掌を差し出す。


「紹介するね。妹の望」

「お久し振りです。夢野望と言います」


 お団子少女は礼儀正しく頭を下げる。どこかで見たことがあると思ったら、前に梅の練習試合を見に行った時に遅れてきた相手チームの子か。

 黒谷南中と黒谷中の交流は何度かあっただろうし、梅には夢野の妹がバスケ部という話もしていた。どうやら俺の知らぬ間に、新たな友情が生まれていたらしい。


「望ちゃん望ちゃん。これが米倉家の長男と言いつつ実は二番目。立てば突っ込み座れば根暗、歩く姿は貧乏人の櫻お兄ちゃんだよ」

「普段カマチョー裏ではビビリ、買い物すればマッチョTシャツな妹が迷惑かけて悪いな」

「かけてないもんっ!」

「こちらこそ米……梅さんには色々と御世話になってまして……」


 パッと見た感じ性格は温厚で礼儀正しそうだし、活発な我が家の妹とは対称的だな。

 ぷくーっと頬を膨らませた梅だったが、ふと我に返ると傍を通り過ぎていく参拝客に目を向ける。別にこれといった特徴もない家族だが、一体どうしたというのか。


「…………あ……白バス……」

「ん?」

「気付いた望ちゃんっ? さっきも持ってる人いたから、どこかに屋台があるのかもっ!」

「本当ですかっ?」

「お兄ちゃん! ちょっと梅、望ちゃんと見回ってくるね!」

「行ってきます!」


 どうやら目的はアニメグッズだったらしい。姉妹だけあって実によく似ている笑顔を見せた後で、言うが早いか二人は運動部らしく駆け足で去っていった。

 残された夢野はといえば妹を呼び止めるタイミングを逃し、滅多に見せない驚きの表情を浮かべている。そんな少女を横目で見つつも、さてどうしたものかと頭を掻いた。


「もう、望ったら…………米倉君は、もう参拝済ませちゃった?」

「いや、まだだけど」

「それじゃあ、とりあえず並ぼっか」

「ああ」


 成り行きとはいえ、夢野と一緒の初詣は後ろめたさを感じる。もしも葵の事情を知らなければ、この疑似デート的な体験を思春期男子らしく素直に歓喜していただろう。


「そういやプレゼント、梅の奴も喜んでたよ。アイツの代わりに改めて礼を言うわ。本当にありがとうな」

「ううん、ちゃんと梅ちゃんからお礼は聞いたよ」

「え?」

「実は望経由で、連絡先は知ってるんだ」

「あ、そうだったのか」


 バスケ部ネットワークの浸食に驚きつつ、二列に並ぶ行列の最後尾に到着する。


「でもまさか米倉君もここで初詣だったなんて、ビックリしちゃった。桃さんも一緒?」

「いや、普段は家族で来てるんだけど、今年は姉貴がインフルに掛かってさ」

「えっ? 大丈夫なの?」

「大掃除手伝わなくてラッキーとか言ってたくらいだし、仮病を疑うくらいに元気だな」

「良かった。何だか米倉君の家って、行事とインフルエンザがよく重なるね…………あ、米倉君、先に行ってきていいよ」


 何やら気になる話の途中で、夢野は参拝者が身を清める手水舎を指さす。少女に任せて一旦列を離れ、看板に描かれている作法に従い左手、右手、口をそれぞれ洗い漱いだ。


「はい」


 水に触れた手が空気に当てられ冷える中、列に戻るとハンカチを差し出される。手を拭く物を持ち歩いていなかった俺は、ありがたく好意を受け取ることにした。


「悪い。サンキューな」

「どう致しまして」


 ハンカチを返すと今度は手袋を外した夢野が手水舎へ。一挙手一投足が丁寧な後ろ姿を眺めていると、戻ってきた少女は寒そうに掌を擦りながら息を吹きかける。


「ふぅー……寒いね」

「!」


 リスみたいな仕草を見せる夢野が可愛く、思わずドキッとしてしまった。

 俺は何も考えずポケットへ手を突っ込んでいたが、確かに清めたなら参拝まで手袋は付けるべきじゃないだろう。これが恋人同士なら手を繋いだり……なんて妄想をする中で、悟られないよう適当に話題を切り出す。


「そういえば、音楽部のクリスマスパーティーはどうだったんだ?」

「うん、楽しかったよ。でも陶芸部には負けちゃうかな」

「まあ、あれは規格外だからな。主に火水木が」


 逆に言えば、アイツがいるからこそ部活が楽しい。阿久津と冬雪と俺の三人だった頃は陶芸と勉強ばかりで、ゲームは先生を交えてたまに遊ぶくらいだった気がする。


「クリスマスって言えば、米倉君の家も何かやったって聞いたよ?」

「サンタの真似事をして大失敗だ。夢野の家には、まだサンタは来るのか?」

「ううん。うちのサンタさんは五年生が最後。六年生にはいなくなっちゃったんだ」

「珍しいな。普通は六年まで来そうなもんだけど」

「うん。六年生はサンタさんの代わりに、ヨンタさんが来てくれたの」

「何だその進化っ? まさか今でもゴータさんやロクタさんやセントさんが来てるのか?」

「クリスマスはヨンタさんが最後だよ。貰ったプレゼントも、それが最後」


 俺のボケが華麗にスルーされる中で、参拝の順番が少しずつ近づいてきた。

 かじかんだ手でお賽銭を準備しようとする夢野を見て、ポケットに入れていた五円玉を差し出す。梅の分として念のため用意した物だが、アイツも五円くらい持っているだろう。


「はいよ」

「え? ちゃんとあるから、大丈夫だよ?」

「梅のプレゼントの件もあるし、これくらい奢らせてくれ」

「うーん……それじゃあ、御言葉に甘えちゃおうかな」


 普段とは逆の立場となった夢野が、わざとらしく掌を差し出す。

 その意味を察した俺は少女を真似て手を重ね、お釣りを返すように五円玉を手渡した。


「ふふっ、ありがとう。米倉君の五円なら、御利益ありそうだね」

「別に普通の五円だっての」


 先に俺の順番が回ってきたので、前に出て軽くお辞儀をしてから賽銭を投げる。鈴を鳴らし二礼二拍手して祈っていると、隣で夢野が鈴を鳴らす音が聞こえた。


(昨年はありがとうございました。今年も宜しくお願いします)


 神様を信じちゃいないが、罰が当たるのも嫌なので真面目にお参り。願いを言わないのは欲がないとかじゃなく、参拝は来たことを報告する場なんて話を以前耳にしたからだ。

 最後に一礼をしてから列を離れる。神様に粗相のないようニット帽を脱いで参拝中の少女は、丁度両手を重ねて目を瞑ったところだった。

 梅達との合流も考えながら、遠くに並んでいる屋台を凝視する。勿論そう簡単には見当たらず探すのを諦めようとした矢先、ふと目に留まるものがあった。


「………………」


 売られているのは300円のバナナ……それ以外の何物でもなかった。 

 改めて考えてみれば、300円という価格自体が充分なヒントだったのかもしれない。

 何かの値段にしては随分とキリの良い、消費税を無視したような金額。

 桜桃ジュースも自動販売機で買えば120円だが、コンビニやスーパーで買えば価格も変わる。バナナなんて尚更な話で、姉貴も言っていた通りピンキリだろう。


『――――あっ! 惜しい――――』


 ただ世の中には消費税なしの、300円で売られているバナナが存在する。

 場所によっては200円。安ければ100円だってあるかもしれないが、いずれにしても消費税のないピッタリな金額であることに変わりはない。

 300円とバナナから遠足なんて用語を連想する遠回り……もしも素直に300円のバナナを探していれば、もっと早い段階でこの答えに辿り着けたと思う。


「っ!」


 そしてそのバナナは、特別な時にしか出てこない。

 だからこそ、遥か彼方へ忘れ去っていた記憶を呼び戻すまでに時間は掛からなかった。


「お待たせ。米倉君、どうかしたの?」

「………………思い出した」

「え?」

「あの時の……夏祭りの、チョコバナナか……?」


 決して全てを思い出した訳ではなく、蘇ったのは断片的な記憶のみ。

 そんな俺の答えを聞いた夢野は、ニット帽をかぶりなおした後で微笑みながら答えた。どれだけ月日が経とうと変わらない、幼い頃の面影を残す笑顔を見せながら…………。




「うん、正解だよ」と。

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