六日目(火) 夢野蕾が悪戯っ娘だった件
「…………………………はい?」
外れって、何が?
言葉の意味がわからずにいると、少女は立ち上がり笑顔を見せる。それはコンビニで見せる営業スマイルでもなければ、先程見せた無邪気なものでもない。
例えるなら小悪魔というべきか……そういう類のニヤリとしたほくそ笑みだった。
「120円の時は、米倉君が私に桜桃ジュースをプレゼントしてくれたお返しだったでしょ? 今回の300円も同じ、私からのお返しだよ?」
「ちょ、ちょっとタイム。えっと…………」
「米倉君が私にお礼するんじゃなくて、私が米倉君にお礼したいの。300円のね」
「でもそれならクラクラは? 昔の呼び方ってのは――――」
「間違ってないよ」
俺の唇を、少女の人差し指が優しく抑える。
二週間ちょっと前、120円の桜桃ジュースを受け取った時と何一つ変わらない。
「私はクラクラの彼女であって、米倉君とは友達だから」
「…………?」
いまいち言ってる意味が分からない。
まるで俺とクラクラが別人みたいな言い草に悩んでいると、少女は呆れ半分に笑った。
「米倉君って真面目だよね」
「え?」
「そんな理由で、私の呼び方に悩んでたんでしょ?」
「なっ?」
どうやら気付かれていたらしい。
俺の心が見透かしていた少女は、こちらが言い訳する前に口を開く。
「私の一言なんて、そこまで気にしないでいいってば。わざと気になることばかり口にする、ただの構ってちゃんだよ。米倉君が思ってるより、ずっと性格悪いんだから」
「そうなのか?」
「うん。借りてた120円を、十年間返さないくらいにね」
それは性格が悪いとは違う気がする。そもそもあれは貸したというより、あげたつもりだったんだけどな。
「じゃあ練習! 米倉君の好きな呼び方でいいから、私のこと呼んでみて?」
「ゆ、夢野さん」
「それは駄目」
「何故にっ?」
「だって米倉君、水無月さんのこと何て呼んでるの?」
「え? 阿久津だけど……」
「冬雪さんは?」
「冬雪」
「火水木天海」
「火水木」
「福沢諭吉」
「福沢」
「ね?」
「いやちょっと待てっ! 最後何かおかしいぞっ?」
「まあまあ、そんなノリで。はい、私は?」
満面の笑顔を見せつつ、悪戯っ娘は自分を指さす。好きに呼んでいいと言いつつ選択肢はないらしく、俺はやれやれと溜息を吐いてから彼女を呼んだ。
「わかったよ、夢野」
「うん。今はそれでいいかな。そうだ。米倉君、携帯貸して」
「ん?」
「連絡先。まだ交換してなかったでしょ?」
「ああ、言われてみれば。赤外線は……できないんだったっけ」
「うん。私がアドレス打ち込むから」
あんなに便利だったんだから、スマホにも赤外線通信が搭載されればいいのにな。
言われた通り自分のデータを表示させたガラケーを手渡すと、夢野は操作しながら淡々とした口調で質問してきた。
「そういえば米倉君って、水無月さんのこと好きなの?」
「それ、前にバスケの練習試合で夢野と会った時にも、阿久津から同じようなこと言われたぞ? キミは彼女のことが好きなのかいってさ」
「何て答えたの?」
「修学旅行の夜に盛り上がる男子じゃあるまいし、躊躇いなく人の恋愛事情を聞くな」
「えー? じゃあもし私が米倉君のこと、好きって言ったらどうする?」
「梅じゃあるまいし、そういう誤解を招く発言は困るからやめい」
口振りから冗談とすぐにわかったが、思春期男子にそういう挑発やら質問は勘弁してほしい。幼稚園の時でも仲良く話してたし、この三人って割と考え方とか似てるのかもな。
そんなことを考えつつ、話題を変えようと周囲を眺める。改めて見ると屋上っぽさはないが、見える景色は中々のものだった。
「この場所って、音楽部全員が知ってるのか?」
「ううん、そんなに知らないらしいよ。私も葵君に教わったんだ」
「ほー。葵がねえ」
「芸術棟がFハウスから近ければ、ここでお昼も良いかなって思うんだけど……送信っ」
携帯が少女から返却される。
受け取った直後にメールが届き、そこには彼女の電話番号と簡素な一文が書かれていた。
『米倉君の誕生日って、バレンタインだったんだね♪』
「………………」
そういや電話番号とかアドレスのところに、一応登録しておいたんだっけ。
本命どころか義理ですらない「誕生日なんだ? じゃあ用意してあげる」という『同情チョコ』を渡される敗北感を避けるため、正直あまり知られたくはなかった。
「夢野の誕生日はいつなんだ?」
「私は九月八日だよ。だからこのトランちゃんは、一ヶ月遅れの誕生日プレゼントかな」
「それはそれで、何か恩着せがましい気がするな」
「ううん、凄く嬉しかったよ。ありがとう!」
喜んで貰えて何よりだが、これで状況は振り出しに戻るか。
過去の自分が300円の何を渡したのかボーっと考えていると、夢野がくすりと笑う。
「米倉君、考えてること顔に書いてあるよ」
「それはマズイな。消しゴムで消さないと」
「ふふ……じゃあ今回は特別に、私のお願いを聞いてくれたらヒントをあげよっかな」
「お願いってのは?」
「こう、両手広げてみて」
頭上に?を浮かべつつ、言われるがまま身体で十字架を描くように両手を広げる。右指から左指までの長さが身長と同じになるらしいが、まさかそれを調べる訳でも…………。
――ギュッ――
「………………」
ええと、落ち着いて状況を整理しよう。
とりあえず目の前にいた少女が、どういう訳か身を寄せている。それも寄りかかるとかじゃなくて完全に向き合い、俺の胸に顔を埋める形で。
更に彼女は両手を背中へ回している。つまり俺達の身体はピタリと密着していた。
「えっ? あ……えっ?」
「手、下ろしていいよ?」
「は、はいっ!」
「そうじゃなくて、背中に回してほしいな」
「――――っ!?」
要するに抱き締めろという意味の他にはない。
脳の処理が追いついたことで余計に混乱し頭が真っ白になる中、言われるがまま操り人形のように関節を曲げる。
丁度頭一つ分くらい差のある少女の背中へ、ゆっくりと手を回した。
「!」
ブレザー越しなのに、驚くほどに柔らかい。
布越しに伝わる肌が、皮膚が、身体の全てが男の物と異なっている。阿久津もそうだったが、どうして女子というものはこんなにもプニプニなのか。
あの時とは違い眠気こそないものの、思春期男子にこの状況を堪えろというのは中々に辛い話。強く抱き締めたい気持ちを必死に抑え、手を添えるだけに留める。
ほんの数秒だったのか、はたまた数分だったのか。
心臓が飛び出してしまいそうな勢いで時を刻む中、やがて終わりが訪れた。
「うん、ありがとう」
きっと俺の心音は、彼女にも伝わっていただろう。
ゆっくり手を下ろすと、少女も俺から手を離し一歩後ろへ。自分の顔が赤いと分かるくらいに熱くなっているが、抱きついてきた夢野は耳まで真っ赤になっていた。
「一回ね、こうやって男の人に抱き締められてみたかったんだ。ほら、米倉君って身長あるから……ゴメンね? 変なお願いごとしちゃって」
「い、いや全然?」
「じゃあ私、部活行ってくるね! トランちゃん、本当にありがとう!」
「あ、ああ。どう致しまして」
ひょっとして彼女は、俺のことが好きなんだろうか?
自意識過剰と思われそうな考えに葛藤していると、校舎へ戻った筈の少女が小窓から顔を覗かせる。
「言い忘れてた! 300円のヒントは、バナナだよ!」
「バナナ?」
「うん、バナナ! じゃあまたね!」
シンプルなヒントを告げた少女は、仲間が待つ部活へと向かう。
最後に見せられたとびきりの笑顔の意味を考えつつ、俺は小さな屋上を後にした。
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