二日目(金) 窯と釉薬ときれいな青だった件
科目の多い上級生は今日までがテストであり、その都合もあって俺達一年は半日授業。阿久津も無事に許可を取れたようなので、午後は予定通り窯焚きということになった。
「……こっち」
昼食を食べ終えて現在は昼過ぎ。陶芸室から外へ出ると正面には教員用の駐車場が広がっているが、右前方を見ると校舎と繋がっていないプレハブ小屋がある。
屋代自体がショッピングモール並みに広いため、こんな場所を知っている生徒は陶芸部くらいだろう。当然ながら初めて知った俺は、冬雪に案内され奥へと入っていった。
中には木やガラスやら金細工の作品(失敗作と書いてあるが、持ち帰りたいレベルの代物)や、用途不明の機械類。怪しげな白い粉など、専門的な物がごちゃごちゃしている。
「……これ」
「へー。想像してたのと随分違うな。てっきりかまくらみたいなのかと思ったけど」
「……窯にも種類がある。これはガス窯」
「テレビで見たけど、業務用の冷蔵庫ってこんな感じじゃなかったか?」
「……確かに似てるかも。ここ、引っ張って」
「おう……ぬっ?」
取っ手を引っ張ってみたものの、思ったより重い。
少し力を込めると無骨な四角い鉄の箱はゆっくりとスライドし、十人は入れそうな巨大引き出しの中から数枚の板とコンクリブロック達が現れた。
「何だこりゃ?」
「……ここに作品を置いて、置けなくなったら仕切りを作る」
「こっちのブロックは?」
「……作品の高さを揃えて、ブロックもそれに合わせる」
「はー。成程な」
四方にコンクリブロックを置いた冬雪は、その上へ石みたいに重みのある板を乗せる。この分なら、軽く十段くらいはスペースを作れそうだ。
ブロックには長い物や短い物と多種多様だが、そもそも陶芸で作る作品自体が千差万別。一度で多くを焼くために考えた、先人の知恵といったところか。
「……こっちが釉薬」
「とりあえずオリベが緑色ってのは覚えたぞ」
普段使っている食器の色が多彩なように、釉薬にも色々と種類がある。
辺りには十リットルは余裕で入りそうなバケツがいくつか置かれているが、その蓋には織部やビードロ、トルコ青にアメ釉といった釉薬の名前がマジックで書かれていた。
色のサンプルを窯へ来る前に見せて貰ったが、冬雪が蓋を開けると中に入っていた液体は白色や灰色。トルコ青なのに薄灰色だし、緑の織部も濃灰色っぽい感じである。
「……焼くとさっきの色になる」
「ほー」
さっきから関心のハ行ばっかりだが、陶芸なんて中々経験しないから仕方ない。
釉薬を掛ける手本を見せるため、腕を捲った少女は素焼きされた皿を手に取る。そしてバケツの傍に屈むと、リボンを外しているブラウスから鎖骨がチラリと見えた。
「……釉薬は沈殿しやすいから、掛ける前に混ぜておく。掛け方自体は簡単」
冬雪はトロトロの液に左腕を沈め、グルグルと円を描く。少しして問題ないと判断した少女は、持っていた皿を釉薬の中に浸したと思いきや数秒もせずに取り出した。
「……持ってた場所にも、軽く浸けたり指で塗っておく」
「そんなもんでいいのか?」
「……厚く掛けると、焼く前にポロポロ剥がれたりする」
「もう乾いてる……まるで修正液みたいだな。これを窯で焼いたら、普段使ってる皿みたいになるって訳か」
「……そういうこと。釉薬を掛けた後は、高台だけ濡れたスポンジで拭き取っておく。じゃないと焼いた時、底が窯にくっついて取れなくなる」
「ほうほう……ん? この前に作った俺の皿、高台ないんだが……?」
「……そういう場合は、底が素焼きのままになる。内側には釉薬が塗られてるけど、お味噌汁とか入れると底がじんわり湿ってきたりする」
「マジですか?」
「……マジ」
今度から、ちゃんと高台を削らず残せるようになろう。
スポンジで拭いた際にもそうだったが、この釉薬というものは水で簡単に洗い流せるらしい。冬雪が蛇口を捻ると、灰色に染まっていた腕がみるみる肌色へと戻っていった。
「大体三等分すると、一人当たり50個くらいかい?」
「……そうかも」
「じゃあ一時間もあれば終わりそうだね」
後ろを振り返ると、入口にはジャージへ着替えた阿久津の姿。腰の辺りまで真っ直ぐ伸びた長髪はポニーテールに縛っており、バスケ部時代を彷彿とさせる。
「しかし随分と発掘されたもんだな。文化祭の時ってのも、これくらいあったのか?」
「合計数なら同じくらいだよ」
「……でも釉掛けは自分の作品しかしてない」
まあ普通はそうだろうな。
今回は先輩達の作品な訳だが、所詮は忘れ去られた遺物。浸ける色は自由に選んで良い上に失敗しても構わないとのお達しが出ているので、存分に練習させてもらうとしよう。
「最初はどれにしようかなっと…………ん?」
元々知っていた釉薬は天目くらい(鑑定番組で見た『天目茶碗』の意味がわかって少し嬉しい)だが、奥へ隠れるように置かれていたバケツが目に留まる。
蓋にはマジックで名前が書かれていない代わりに、鉛筆書きの紙が貼ってあった。
『きれいな青』
「これだっ! これにするっ!」
「何だい、いきなり」
「明らかに名前が浮いてる、怪しい釉薬を見つけたっ!」
「綺麗な青……? 音穏、知ってるかい?」
「……知らない」
「トルコ青とも違うみたいだけれど……随分と長い間、放置されていたみたいだね」
「何じゃこりゃっ?」
阿久津が蓋を開けると、バケツの中はまるで干上がった大地。薄紫色をした釉薬の塊には、至る所に地割れみたいなヒビが入っている。
「見ての通り、水分が飛んで固まったんだろう。溶かせば使えるだろうけど……って、一応聞くけれど、キミはバケツを持って何を始める気だい?」
「溶かせば使えるんだろ?」
「その状態から溶かすのは一苦労だよ。そもそも何色になるかわからないしね」
「綺麗な青だ」
「……そんな色の釉薬、知らない」
「いいんだよっ! 俺はこの綺麗な青を信じるっ! 俺が信じる綺麗な青を信じろっ!」
「まあ、キミの好きにすればいいさ」
「……それなら、先にちょっと寝てくる」
「ああ。お休み音穏」
「……おひゃすみ」
夜に備えて仮眠が取れるよう、準備室には簡単な寝床が用意されている。普段から眠そうな目をしている冬雪は、欠伸をしながら校舎へと戻っていった。
窯焚きは先生の手が空く五時過ぎに開始予定。まだ三時間はあるし余裕だろ。
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