風に舞う花弁のように
カゲトモ
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「いらっしゃいませ」
かろん、とベルが鳴って開いた扉からひんやりとした冷気が漂ってくる。今日は暖房を入れていても温かくならなくて、いつもより温度を高く設定している。寒いせいか、客足は良くない。
ぺこり、と会釈をしてカウンター席に腰かけたのは緩くパーマのかかった長い髪の女性だ。キャスケットと丸縁の眼鏡、その奥の瞳と視線が合ってからやっと分かった。
「こんばんは、ありあさん」
ひっそりと挨拶をすると、彼女はにっこりと笑って答えた。彼女は桜小路ありあ。超絶人気歌姫だ。
どうしてそんな有名人がこの店に来てくれたのか。それは三ヶ月ほど前の台風が直撃する少し前の事。雨に濡れた彼女が突然飛び込んできて、傘とタオルを貸したのがきっかけだ。その後丁寧に返しに来てくれたのだが、今日は多分近くに用事でもあったんじゃないだろうか。
「お久しぶりです。その節はどうもお世話になりました」
「いえいえ、とんでもない。今日はこちらでご用事でもあったのですか」
「はい、こちらでお仕事があって」
「そうでしたか」
人気歌手だもんな、歌を歌う以外の仕事だって沢山あるだろう。駅の向こうはビジネス街でいくつも会社があるから、その中のどれかなんだろう。
「あの、先日頂いた、あの甘いホットカクテルをお願いできますでしょうか」
「ジンジャー・ホット・トディですね、少々お待ちください」
ハチミツジンジャードリンクの暖かい版みたいなやつだ。身体も暖まるし、甘いし、この季節にオススメの飲み物。
と、どうしようか。と考える。
店内には桜小路ありあを含めて五人のお客様がいる。二人組はテーブル席、あとはカウンターの端と真ん中あたりに一人ずつ。そして斉藤君は大の桜小路ありあファンだ。
以前書いてもらったサインを渡したところ、泣いて喜んでいたくらいだから、もしここに桜小路ありあがいると言ったらどうなるか。飛び跳ねて喜ぶか、卒倒するか。出来れば後者であればありがたい。騒ぎにならないから、なんて。
うーん、でも、まぁもう二十歳超えてるし、大丈夫か。
「斉藤君、斉藤君」
「はい、マスター」
手元ではカクテルを作りつつ、こそこそと斉藤君に声を掛ける。
「大きな声を出さないでね」
「え? どういうことですか?」
「ここに、桜小路ありあが居る」
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