第4話 弁護側の告発



 再び足を踏み入れた法廷の空気は、更に重苦しいものとなっていた。


 俺が扉を開けた瞬間、傍聴人の視線が矢となって突き刺さる。ここに来て初めて分かったけど、人に注目される圧ってめちゃめちゃすごいな……。


 しかし、そんなことはおくびにも出さず、確固とした足取りで弁護席に向かう。そのちょうど真上の傍聴人席に元・弁護人であるりりぃの姿が見えた。あんにゃろ、いっちょ前に最後まで裁判を見届けるつもりらしい。


 弁護席から見る光景は、被告人席のそれとはまったく違ったものだった。


 証言台を挟んで、真正面からこちらを見据える検事——字見野蝶子。その隠すつもりもない敵愾心がびしびし伝わってくる。


 挨拶がてら、にっ、と口端を上げてみせると、飛んでくる眼光がさらに鋭くなった。


 その無言の対決を打ち切るように——かぁん、と木槌が振り下ろされた音が響く。


 和奏の代打として法壇を陣取っているのは、あの上司だった。さっきはチャラいにーちゃんにしか見えなかったが、なかなかどうして様になっている。


「これより、被告第〇二五番・柊木奈津雄の神庭裁判を再開する。双方準備はよろしいかな?」

「検察側、完了していますわ」

「——弁護側、完了してます」


 まさか、一生のうちにこんな台詞を言う羽目になるとはな。って、もうその『一生』は終わってるわけだけど……。


 裁判長は鷹揚に頷いた。


「まず先ほど、本法廷における被告人の死因において、本人——現・弁護人から新たな可能性が提示された。つまり自死ではなく、担当天使・天宮柴乎による『殺害』である可能性だが……」

「異議あり。裁判長、お言葉ですがそれは『可能性』などという大層なものではありませんわ」


 嘲笑と共に、蝶子は断言した。


「単なる悪あがき。屁理屈。神庭への——いえ、天界への侮辱とも呼ぶべき暴言ですわ」

「だから、証拠はあるのかって……」

「もちろんですわ」

「え」


 いともあっさり首肯すると、蝶子は手元に資料を引き寄せた。確か、休廷前には持っていなかったファイルだ。検察側はさらなる攻撃の手を用意してくる——あの和奏の言葉が現実になったらしい。


「ご周知の通り、下界での天使の行動は『天界データベース』に記録・保管されていますわ。天界管理局の逐次データを元に纏められた、大変正確なものでしてよ」

「あっ……それって、今、わかな様が調べてる……?」


 鞠ちゃんが囁くのに、俺は小さく頷き返した。それを検察側はいち早く入手していたのだ。


「これによると、天宮柴乎は被告人の魂を確保する直前まで——『悪魔』と交戦、これを撃破してますの」

「あ、悪魔……?」


 いきなりとんでもない言葉が出てきた。隣に助けを求めると、鞠ちゃんはすでにスケッチブックにペンを走らせていた。そこには羽の生えた天使と、その十倍ぐらいはでかい、牙や爪が生えたオソロシゲな化け物が描かれていた。


「天使が魂をきゅーさいする者なら、魂に仇なす者——それが『悪魔』です。悪魔は下界で彷徨う魂を食らってしまうので、天使はなんとしてでもそれを阻止しなければなりません」

「貴方、どうやら美味しくいただかれてしまうところだったようですわね」


 蝶子がナイフとフォークで食事をする仕草をしている。いやいやいや、マジか! 冗談じゃねえぞ!


 しかも、つーことは何か? 今まで俺が知らなかっただけで、空の上では天使と悪魔がバチバチやりあってたってのか。


 いや、余計なこと考えてる場合じゃない。受け入れよう。どんなトンデモ設定だろうが、それを前提に話をしなきゃ、進めねえ。


「その悪魔との交戦について、天使本人から証言してもらいますわ」


 検事の要請に従って、再び柴乎が証言台に上がる。柴乎は記憶を辿るように、斜め上を見上げていた。


「あー、確かにいたな。馬鹿でかい竜みたいなヤツだったか。魂を感知して現場に急行する途中、こっちを迎え撃つみたいに来やがったんだ。俺に向かってくるたぁ、敵ながらいい度胸してるぜ」


 にやりと好戦的な笑みを浮かべる柴乎に、俺は思わず尋ねた。


「そんな化け物とどうやってやりあうんだ……?」

「そりゃあ、もちろんコレだよ」


 柴乎が差し出したのは、二振の日本刀だった。大小の違いはあるがどちらも、並々ならぬ迫力が鞘の上からでも伝わってくる。


 鞠ちゃんがさっと説明を付け加えた。


「天使はみんな『天界武器』を持っています。その形やのーりょくは様々ですが、柴乎さんのは分かりやすいですね」

「まぁ、刀だから切った張ったってことだよな」


 すると、蝶子が謳うように語り出した。


「皆々様。これぞ雲龍新派の傑作『不知火神威しらぬいのかむい』、そして『東雲神薙しののめのかんなぎ』ですわ。ちなみに、証人。記録によると相手は乙型A級悪魔だったとか。さぞ、手強かったのではなくて?」

「いんや、一撃で片が付いたけどな」


 突如、法廷が喧噪に包まれる。そこにあるのは驚きと畏怖の響き——なんだなんだ?


 戸惑う俺をよそに、蝶子は聴衆、そして裁判長に向かって優雅に一礼した。


「お聞きの通り、この証人は天使として非常に優秀ですの。戦闘能力はもとより、魂の昇天率もトップクラス。つまり——」


 と、ここで俺を指し示し、


「些末な人間の些末な魂を、わざわざかき集める必要はない。そういうことですわ」


 誰が些末だゴルァ! ——と、そこにいる天使あたりなら反射的に叫んでるだろう。


 残念ながらその手は通じない。


 裁判だ審理だと大げさなことぬかしてやがるが、要は口喧嘩だろ?


「——それはどうかな」


 挑発に乗っている暇があったら、煽り返してやるってのが筋ってもんだ。


「なんですって……?」

「証人。あんたが天使をしているのは何故だ? 何か目的があるからだろ?」


 柴乎は一瞬目を見開いたが、すぐにきっぱり答えた。


「そりゃあ、もちろん——生き返るためだ」


 法廷がまたざわつき始める。今度は、驚きの他に僅かな呆れが混じっていた。


 裁判長が一つ、木槌を鳴らす。


「はいはい、静粛に。証人、それは本気なのか?」

「本気じゃなきゃ誰がやるか、こんな仕事」


 ぞんざいな物言いが、逆に柴乎の意思を明確に表していた。攻め時を逃す手はない、俺は一気に畳みかける。


「皆さん、ご存知の通り——天使が生き返るためには、莫大な金を積まなきゃならない。そう、仕事はいくつあっても足りないのです。つまりこの証人には、立派に俺を殺す動機がある!」


 そう叫んで、まっすぐ指を差した先には——般若みたいな顔をした柴乎がいた。


「んだと、てんんめえええええ……!」


 いや、分かる。言いたいことはよく分かる。恩を仇で返しやがってこのヤロー自慢の業物で斬り刻んでやろうか、と憤怒の表情が雄弁に語っている。


 けど、俺は攻撃の手を緩めるわけにはいかない。


 悪あがきだろうが屁理屈だろうが、どんな手を使ってでも——どんなに無様でも食い下がってみせる!


「証人には動機があった。しかも悪魔をあっさり倒せる強者だ。いくら直前に戦ってたからといって、俺を殺してないっていう証拠には」

「——そこまでですわ、仮初めの弁護士さん」


 熱を帯び始めた俺の弁舌に、冷水のような声が浴びせかけられた。


 はっとして対面を見ると、蝶子が低い温度の笑みを浮かべていた。


「この証人が駆けつける前に、貴方は確かに死んでいた。その証拠がありますの」

「しょ、証拠だと……?」

「ええ。言うなれば——『悪魔の証明』とでも申しましょうか」


 うあっ、と隣から呻き声が聞こえる。鞠ちゃんが分かりやすいぐらい顔を青ざめさせていた。


「な、何? どうした……?」

「うう……悪魔は魂を食らう存在です。つまり魂のあるところに寄ってきます」

「それは聞いたけど……で?」

「ええと、その場に悪魔がいたということは……」


 鞠ちゃんの言わんとしていることが分かり、俺はぎくりと背筋を強張らせる。


 そこへ蝶子の朗々たる声が響いた。


「そう、あなたはすでに『魂』と化していた。——つまり、もう死んでいたのですわ!」

「ん、なあああああッ!?」


 た、確かにそうだ。死んでなけりゃ、魂は出てこない。獲物がなけりゃ、悪魔はやってこない。


 机に突っ伏し、脂汗まみれで僅かに顔を上げる。証言台から柴乎が哀れみの眼差しを送ってきた。


「お前……。なんかニクめねぇよな」

「うう……ぅ……、……」

「どーじょーなんかいらねー、と消え入りそうな声で言ってます」


 気の毒そうに鞠ちゃんが代弁してくれる。


 俺は机の上で固く拳を握りしめた。


 さすがは検事、人のいいワキちゃんみたいに甘くはない。


 でも、だからって……まだ諦めるわけにはいかない。


 俺が自殺なんかしないのは俺自身がよく知ってる。


 絶対、他に犯人がいるんだ!


「べ、べ、弁護側は……もう一つの可能性の提示します!」

「ほうほう、それは?」


 裁判長が身を乗り出す。口を開こうとした瞬間、蝶子が割って入った。


「つまり——生きている人間による殺害。そういうことですわね?」

「そうっ、そういうこと。……え?」


 先回りしたのがよりにもよって相手側だということに、一抹の不安がよぎる。


 蝶子はさも可笑しそうに肩を震わせていた。


「天使じゃなければ、人間が犯人——短絡的な輩が考えそうなことですわ。検察側には、そのささやかな希望を打ち砕く用意がありましてよ」


 な、な、なんっ……! 声にならない言葉が頭を埋め尽くす。


「冒頭陳述でも申し上げた通り、屋上に人影は一切ありませんでしたわ。下界の警察捜査でもそれは明らかになっておりますの」


 俺は首を激しく振り、混乱した感情を払い落とした。


 落ち着け、冷静になれ。議論は熱くなった方の負けだ。


「——異議あり!」


 人生で初めて口にする言葉と共に、検事へ反論を叩きつける。


「屋上に人影はなかった。そう言ったな?」

「ええ、相違ありませんわ」

「それって矛盾してねえか。——人がいないなら、誰がそれを証明すんだよ」


 傍聴席から「確かに……」「それはそうだ」と同調の囁きが聞こえてくる。


 しかし蝶子は痛くも痒くもないと言わんばかりに、微笑みを崩さなかった。


「ふふ、ごめんあそばせ。正しくは『誰も屋上に入ることができなかった』……と言うべきでしたわね」

「誰も、入れなかった……?」


 蝶子はさらに違うファイルを取り出し、詳細を語り始めた。


「現場となったビルの屋上へ行くためには、鍵が必要になりますの。屋上の鍵は守衛室で管理されていて、貸し出された形跡は一切ありませんわ」

「はっ、じゃあ尚更おかしいじゃねえか」


 俺はいくらか余裕を取り戻していた。


「貸し出されてないんなら——俺だって、入れない!」


 法廷内にどよめきが起こる。それを追い風に俺は続けた。


「そもそも、ビル、ビルって言うけど、一体どこなんだよ? 俺はんな雑居ビルなんて行ったこともなければ、用事もねえ!」


 すると、蝶子は呆れ半分不快半分といった様子で眉を顰めた。


「貴方……よくもいけしゃあしゃあと仰いますわね。件のビルにお勤めだったんでしょうに」

「は? お勤め……?」

「一階にあるファミレスチェーン『アンドロメダ』——貴方の勤務先に間違いないですわよね?」

「っ、ああああ!」


 愕然と叫ぶ俺に、鞠ちゃんもまた愕然と詰問する。


「な、なっちゃん、どういうことなんですか!」

「いや……いつも一階にしか入らねえから、ビルっていう認識がなかった。そういやあそこ、雑居ビルだわ」

「なんなんですか、それええっ」


 つーことは、俺は家を出た後、バイトに行ったのか? 必死に思いだそうとするが、やっぱり鈍い頭痛がそれを妨げる。俺がくらりと揺れる頭を抑えている間に、蝶子が矢継ぎ早に続けた。


「あと、鍵がなければ貴方も屋上に入ることができない——という反論ですけれど。あの日に限って、貴方だけはそれが可能でしたわよね?」

「はぁ……?」

「まったく。まだしらをお切りになるつもり? よろしくてよ」


 蝶子は冷めた視線を俺に送りつつ、手元の資料をめくった。


「貴方はバイト先に行く途中、オーナーから事前に『おつかい』を頼まれてますわね」

「あぁ、それは……」


 確か、西崎にも話していたか。バイトに行く前によるところがあると。


 内容は修理屋に依頼していたものを受け取って持ってきて欲しい、ということだった。オーナーの名前を出せばいいと言われて。


 もしかして俺はその任務もきっちり遂行していたんだろうか。くそ、やっぱり頭が痛む。まったく記憶にない……


「貴方はそこで受け取ったはずですわ。——屋上の鍵のスペアをね」

「え……」

「お勤め先のオーナーは、あのビル自体の所有者でもありますの。先日、屋上の鍵が壊れたので、新しく作り直したそうですわ。それが出来上がったので、たまたま貴方に受け取ってもらった。下界の捜査でもそう証言がとれてますのよ」

「な、なん……」


 つまり俺はあの日、偶然屋上の鍵を持っていた……!?


 頭痛が酷くなる。ここにきてからずっとそうだけど、悪い夢を見てるみたいだ。


「ちなみに、警察による捜査前、屋上の鍵は閉まってましたの。貴方が屋上に立ち入った後、外から鍵をかけた——と、そういう見立てになってますわ」

「う、うぐ」

「もちろん、貴方の遺体はスペアを持っていた。それに本物の鍵は壊れているから使えませんわね」

「それは、その、トリックかなんかで……」

「屋上に第三者が入ったトリック? それはそちらで証明していただかないと」

「ぐ」

「それにもう一つ。休廷前に証言があったように、屋上には高いフェンスがありますの。それはそれはぐるりと僅かな隙間も許さず、屋上を取り囲んでいるそうですわ。ねえ、証人?」


 話を振られた柴乎は、大きく頷いた。


「高さは四、五メートルあったな。上には返しもついてて、そりゃもう厳重だったぜ。多分、昔なんかあったんだろうよ」


 実感のこもった柴乎の言に、裁判長が重ねて尋ねる。


「ちなみに、誰かが被告人を担いで上がれそうな感じだったかな?」

「……いや。隣にいるガキならともかく、大の男を担いでフェンスを乗り越えるのは無理だな」

「せ、せめておじょーさんと言ってほしいですっ」


 引き合いにだされて、屋上から落とされる想像でもしたんだろうか。鞠ちゃんが身震いしながら言い返す。


「でしたら、お嬢さん。その髪がくるくるな被告人に言ってやってくださいな。あなたの弁護はもはやその髪の毛同様、ねじ曲がりの死に損ないだと」


 歯噛みするばかりの俺を、蝶子は勝ち誇った顔で見下ろしている。


 こちらの手はことごとく弾き返され、届かない。


「なっちゃん……」


 泣き出しそうな鞠ちゃんの声が俺を呼ぶ。


 ふと、脳裏に閃く光景があった。


 あの事故の時——車外に俺を逃がしてくれたあの子が笑顔を浮かべながら、俺を呼んでくれた。


 ——なっちゃん、生きて。


 そう言い残して……


 俺は奥歯を噛みしめ、がばっと顔を上げた。


 まだだ。まだ、負けるわけにはいかない。


 俺は——どんなことがあっても、負けを認めるわけにはいかない!


「何かあるかな、弁護人?」


 裁判長が興味深そうに俺を覗き込む。


「弁護側は……」


 上半身を起こし、胸を張る。


「弁護側は——証人にさらなる証言を求めます」

「ほう。それはどんな?」


 不敵な笑みを浮かべ、掠めるように検察側を見やる。一瞬、怪訝そうな表情を浮かべた蝶子から視線を外し、俺は謳うように言った。


「証人に殺害は不可能。しかし、第三者の人間による犯行とも考えにくい。と、すれば答えは一つ」

「そうですわ、すなわち……」

「——すなわち、現場にもう一人の天使がいた可能性です!」


 法廷がさざめく。主に、俺への軽蔑で。


 この被告人はなんなんだ。いくらなんでも諦めが悪すぎる。今すぐ厳罰に処するべきだ——


 けど、んなことはどうでも良かった。


 俺にはもう——この手しか残ってない!


「なっ、てめえ……!」


 柴乎が鬼の形相で俺に歩み寄ってくる。握られた拳に血管が浮き出てるのを見つけるや否や、俺は慌てて裁判長に訴えた。


「この証人は確かに見たんだ、もう一人の天使を——ぐえっ」

「勝手なことしやがってえええ……! 証拠がねえっつったろ!」

「聞きましたか、皆さん! 証拠はない——しかし、証人は確かに目撃してるんです!」


 ぬぐ、と柴乎が言葉に詰まる。


 と同時に、裁判長が二度三度と木槌を鳴らした。


「証人、そりゃ本当か?」

「えっ! ……あー、うーん」

「歯切れ悪ッ」

「誰のせいだと思ってんだ、あァ!?」


 胸ぐらを強く掴まれて、学ランの襟がぎゅうっと締まる。い、いぎぐるじい……。死んでるのに息苦しいなんて理不尽だ!


 けど、いくら俺の頸動脈を締めたところで、言っちまったもんは取り消せない。


 俺はなんとか引きつった笑みを浮かべてみせた。


「も、もう言うしかないぜ、柴乎さんよぉ」

「……くそっ、しゃーねえ」


 柴乎は諦めたように俺を解放し、くるりと法壇へ向き直った。


「こいつの言ったことは本当だ。一瞬だけだけど……確かに見たぜ、他の天使をな」

「お、お待ちなさい、証人。天使がいたとしてもおかしくはなくてよ。おおかた貴方と同じく、そこの被告人の魂を確保するために来たのでしょう」


 すかさず口を挟む蝶子に対して、柴乎は軽く肩を竦めてみせた。


「まぁ、そう考えるのが自然だろうな。けど、気になんのは——そいつとよく似たヤツが、この法廷にいることなんだよ」

「こ、この中にいる、だって……?」


 初めて聞く情報に、思わず目を見開く。柴乎は蝶子から目を逸らさず、言葉を続けた。


「しかもそいつはただの傍聴人じゃない。この法廷で——闘っていやがったんだ」

『——え、ええええっ!?』


 それは誰があげた声だったか、定かじゃなかった。


 なぜなら、法廷全体が蜂の巣を突いたような大騒ぎになったからだ。


 騒ぎを静めたのは、裁判長の木槌——ではなかった。


 突如として、法廷の扉が大きく開いた。


 左右に弾かれた扉の向こうから現れたのは、白い法服を身に纏った——一人の少女だった。


「——その天使の、正体が分かりました」


 朗々とそう宣言した和奏は、法廷の真ん中まで歩み寄る。


 誰もが食い入るように見守る中、裁判長だけが冷静に和奏を見下ろしている。


「教えてくれるか、望月?」

「はい」


 和奏は一度ゆっくりと目を閉じ、そして、大きく見開いた。



「かの者の名は——白樺りりぃ。被告の元・弁護人です」



 瞬間、建物を揺るがすほどの、どよめきが巻き起こる。


 俺と鞠ちゃんは慌てて上段の傍聴席を振り返った。


 そこには見開いた目でじっと和奏を見据えるりりぃの姿があった。


「——おい、そのビン底眼鏡を取ってみろよ、ドジ天使」


 傍聴席を仰ぎながら、柴乎がりりぃに呼びかける。


「っ……」


 突き刺さるような衆目に押され、りりぃは言われるがままに眼鏡を外す。


 右目は赤。


 左目は青。


「間違いねえ。覚えてるぜ、その目」


 左右でそれぞれ異なる色を持つ双眸が、眼鏡の奥から現れる。


 頭の底がぐらりと揺れる。俺ははっとして目を見開いた。


 ついさっき——天界で目を覚ました時、脳裏に残っていた赤と青の色だ。


 俺を覗き込んで、品定めするように見ていた——


「弁護側は白樺りりぃの証言を要請します!」


 痛む頭を抑えながら、俺は傍聴席に向かってまっすぐ人差し指を突きつけた。

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