いいから逝っとけ!-死に損ないと神庭裁判-

住本優

死に損ないと神庭裁判

第1話 口から先に生まれた男

 目を覚ますと、俺は雲の上にいた。


 いわゆる、機上の人だとか雲海テラスだとか、そういう比喩のような話じゃない。正真正銘、綿みたいにふわふわした雲の絨毯の上で、呑気に横になっていたのだ。


 訳が分からないまま、俺は戸惑い気味に半身を起こす。


 くせっ毛の頭をがしがしと掻くと、急に強い目眩がした。


「っ……!」


 思わず瞼をきつく瞑る。脳裏で絶えずちかちかと光が点滅している。右は赤、左は青。LEDのように鮮烈な色だ。ついたりきえたり、明滅する度に誰かが何かを訴えかける。


 俺は大きく空気を吸い込んで、無理矢理にでも目をこじ開けた。


 馬鹿でかい白雲と世界を二分するのは、目が眩むほど明るい蒼穹の色だ。頭上では太陽が馬鹿みたいに照りつけてやがる。確か学校から出るときはどんよりとした曇り空だったはずなのに、どういうことだ。あ、雲の上だからか。そっか。


「へえー……雲ってやっぱ、乗れんだ……」


 小さい頃見たアニメと一緒だ。どこかに雲の王国があったりして。


 ……じゃなくて。



 俺は小さく首を振ると、よろよろと立ち上がった。雲の上に立っているせいか、それとも妙な頭痛が残っているからか――歩き出したはいいものの、ふらふらとして足取りが定まらない。すぐに喉が乾ききっていることに気づいた。ここ……自販機とかあんのかな……


「――おい! どこへ行く、被告第〇二五番!」


 突如としてかかった声に、俺はびくりとして歩を止めた。


 恐る恐る振り返ると、黒いスーツ姿の男が仁王立ちして俺を睨んでいた。体格のいい、二十そこらの若いヤツだ。着ている背広は胸回りや腕がパツパツで、よほど鍛えていると見える。ああ、今、筋トレ流行ってんもんな……と、普段ならそう流したかもしれない。


 だが、男の背中には羽が生えていた。

 ――羽。羽だ。お前は白鳥かってぐらい、真っ白な翼だ。


 男が大股で俺に近づいてくる度に、一対の翼がばさりばさりと揺れる。それに、今しがた抜いたファンタジーみのある剣は……いやいや、さすがに偽物、だよな。


「あ、えと……なんすかね、これ。何かのイベントすか? すいません、俺、こんなとこで寝ちゃってた、みたいで……」


「被告第〇二五番、柊木ひいらぎ奈津雄なつお。間もなく貴殿の裁判が始まる。出廷の準備に取りかかりなさい」


「え、なんで俺の名前……。てか、さ、裁判? 出廷?」


「なんと。オリエンテーションを受けてないのか?」


 目を白黒させる俺に、羽の生えた男はきっぱり言い放った。


「ここは天界。下界で亡くなった魂が集う場所だ。貴殿には『自死』の容疑がかかっているため、神の庭にて裁きを受けてもらうこととなる」


 男の説明は、ほぼほぼ理解できない。


 ただ一つ、胸の内にひやりと落ちた言葉があった。


「亡くなった……?」


「その通り」


 さもありなんとばかりに、男は頷く。



「――貴殿は、死んだのだ」



 目の前の男がもし天使だとしたら、きっと神様ってやつもいるのだろう。


 本当にいるのなら教えて欲しい。


 どうして俺がこんな目に遭ってるんだ?

 いつも通りだった。朝、登校して。授業を受けて。昼飯食って。放課後はバイト――


 それなのにどうして俺が。

 

 ……どうしてこうなったんだ!?



◆ ◇ ◆



「――だから、門脇先生。健全な学生生活とアルバイトは相反するものじゃないんすよ」


 西日が入り込む職員室の片隅で、俺は心配性の担任を相手取り、ぺらぺらと弁舌をまくし立てていた。


「バイト先のファミレスはそりゃいい人達ばかりで。店長はありあまる包容力でみんなをまとめてるし、先輩は率先して俺に仕事を指導してくれるし。あとオーナーとも結構仲いいし、俺」


「うーん、それはそうかも、しれないけどぉ……」


 どこか押しの弱いおっとりした声で、門脇先生は答えた。二十代後半とは思えない童顔にズレた眼鏡、ハイネックニットを押し上げる巨乳のせいか、クるヤツにはクるらしい。俺はあんまりタイプじゃないけど、と失礼なことを思いつつ、矢継ぎ早に話を続ける。


「ホールでの立ち回りは足腰も鍛えられるし、接客は礼儀礼節の勉強にもなるし。あとキッチンでの調理作業は――そう、ボケ防止になるんです。料理って手順やら手際やらが大切でしょ? 結構、頭も手先も使うんですよ」


「そ、それは、いいことだけどぉ。でも会議でちょっと話題になっちゃって……」


 先生は背後で睨みを効かせる教頭の方にちらりと視線を向ける。


「うちは原則バイト禁止だし……それにね、やっぱり今の柊木くんの生活状況は、先生も心配っていうか。ねえ、やっぱり一人暮らしじゃなくて、親戚のお家にお世話になるわけにはいかないのかな……?」


 俺はふっと顔を俯かせた。


「二度と、あいつらの世話にはなりたくない……」


 西日が作り出す陰影と相まって、俺の今の表情は憂いをたっぷり含んでいるのだろう。

 すると、目に見えて先生は慌てだした。


「ご、ごめんね。立ち入った話、しちゃって!」


「いえ、いいんです。俺の方こそ、湿っぽい話してすいません。でも、俺、決めたんです。高校に入ったら、自立して暮らしていくんだって。校訓にもあるじゃないですか、自立心を育てる、って」


「そ、そ、そうだよね」


「迷惑をかけてることは本当に申し訳ないと思ってます……。でも、先生だけには俺の気持ち、分かって欲しくて」


「柊木くん……」


 分厚い眼鏡の奥がうるうると潤んでいる。

 俺は切実な声で訴えた。


「先生……。これからも俺のこと、応援してくれますか?」


「もちろん、もちろんだよっ」


「ありがとうございます! ――じゃ、バイトあるんでこれで」


 目元を拭いながら俺を見送ってくれる先生の背後から、教頭の憤怒の圧が迫ってきていた。俺の安穏たる生活のために――なんとか持ちこたえてくれ、ワキちゃん。俺は心の中でそっとエールを送り、職員室を後にした。


「――よう。『口から先に生まれた男』は今日も絶好調だな」


 廊下に出たところで、見知った顔が待ち構えていた。クラスメートで悪友の西崎だった。


「なんだ、見てたのかよ」


「生徒会の打ち合わせがあってな。さっきまで職員室にいたんだ」


 そう言って西崎は爽やかな笑顔を浮かべた。すっきりとした短髪に、精悍な目鼻立ち、すらりとした背、成績優秀、品行方正、剣道五段――いつ見ても出来すぎてる奴だが、何故か俺みたいなのとつるんでいる。見た目だけなら負けない自信はあるが、人間的には……なんというか、敵う気がしない。


 俺のくるくる天パと西崎のさらさらストレートという両極端な髪型に、性格の違いが現れているようだった。


「もう帰るのか?」


「帰らねーよ、バイト。お前は?」


「帰る」


「じゃ、行こうぜ」


 連れ立って昇降口に向かった。途中、だらだらと歩く女子や埃を巻き上げながら走る男子なんかとすれ違う。校舎の中は先週行われた運動会の余韻か、興奮と気怠さとたっぷりの砂っぽさが蔓延していた。


「つか、なんだよ。その『口から先に生まれた』ってのは」


「だってそうだろ。誰もかも、口八丁で言いくるめてるじゃないか」


「あんなの、言いくるめたうちに入らねーよ。ワキちゃん、チョロすぎんもん」


「まぁ、お前の生い立ちや顔の良さを利用されたらな」


「はは、バレた。自信あんだよ、俯いた角度」


 さっきの憂えた表情を作ってみせると、西崎は小さく吹き出した。文武両道のいい子ちゃんも、たまにはこうやって息抜きしたいのかもしれない、などと思っていると。


「――急に雲が出てきたな」


 校舎を出るなり、西崎が空を見上げた。その視線の先を追いかけると、さっきまで差していた夕日が低く垂れ込めた雲の向こうに隠れてしまっている。秋も半ばのひやりとした風が、細く吹いた。


「雨降っかなぁ」


「傘、持ってないのか?」


「あーうん。めんどいけど、一度家に帰るわ。バイト前に寄るとこもあるし、急ぐから、じゃな!」


 西崎が軽く手を上げる。暗雲立ちこめる空の下、俺は家路を急いだ。




 ところどころ欠けたブロック塀に、さび付いた門扉。傾いた表札にはうっすらと『すずかけ荘』の文字が見て取れる。今にも崩れそうな木造二階建てアパートの一室が、俺の住居だった。


 今時、『荘』ってなぁ……。せめてハイツとかコーポとかが良かったが、そんな贅沢も言ってられない。家賃一万二千円。風呂トイレは共同だけど、高校生の一人暮らしじゃ、これが限界だ。


 これまた共同の玄関を上がって、二階のとある一室へ向かう。


 六畳にも満たない部屋に、簡素なキッチン。冷蔵庫、折りたたみテーブルにカラーボックスが一つだけ。必要最低限の物以外は何もない。おまけに日当たりも悪く、どんなに外が晴れてても、いつも灰色で寒々しい。


 でも、ここが俺の城だ。


 誰にも頼らず、俺が、自分自身の手で勝ち取った――居場所だ。


 立て付けの悪い玄関扉が、色のない部屋にギィギィと耳障りな音を広げる。扉の脇に立てかけてあったビニ傘を引っつかんで踵を返そうとしたが、ふと思い立って俺は部屋に上がった。


 背の低いカラーボックスのてっぺんに、写真と位牌が陣取っている。遺影の一枚には寄り添って微笑む夫婦の写真、そしてもう一枚は公園で遊ぶ幼い少女が映っている。


 そう。ここは簡易的な仏壇だった。


「……悪ぃ、朝もバタバタしてたもんな」


 軽く手を合わせて、目を閉じる。さすがに線香を上げている時間はなく、俺はお祈りもそこそこに立ち上がった。


「かーちゃん、とーちゃん。それに……まーちゃん。行ってきます」


 そうして傘を手に、俺は今度こそ家を後にしたのだった。



 紛う事なき、日常。俺の日常だ。

 今、思い出しても、何もかもいつも通りだ。


 それが……それが、どうして――





「――なんっで、こんなことになってんだよぉぉぉお!」


 俺が頭を抱えて喚くと同時に、部屋の入り口に陣取っていた男二人がすぐさま剣を交差させた。さっきのマッチョとは違う奴らだが、当然のように羽が生えている。なにそれ、流行ってんの!? ドンキで売ってんの!?


「被告第〇二五番、静かにしろ!」


 俺が突然喚いたせいで、羽男どもがいきり立つ。浮かした腰を慌ててソファに落ち着けると、なんとか警戒を解いてくれた。


 落ち着け、落ち着け、冷静になれ――と自分に言い聞かせる。


 あの後、俺が連れてこられたのは宮殿のような場所だった。雲に浮かぶ宮殿。そんな冗談みたいな建物の中にある狭い一室だ。ソファと小さなテーブルと、あとは大小二つの出入り口があるだけのこの小部屋は、どうやら何かの控え室のようだった。


 裁判……とか言ってたよな、確か。


 それに『自死』の容疑がかけられてるって……


 ずきり、とこめかみが痛む。いくら思い出そうとしても、俺の記憶は家を出たところからぷっつり途切れていた。


 耳鳴りが酷い。世界が遠ざかる。しばらく俯いて、頭痛に耐えていると――


「――だいじょーぶ? だいじょーぶですかぁ?」


 はっとして顔を上げる。


 いつのまにか、人形みたいに大きな瞳が俺を覗き込んでいた。小学校入りたてぐらいの女の子だ。まだ幼さが残る丸いほっぺたに、顔の形に沿ったおかっぱ頭。それに七五三の時みたいな着物を着ている。


「だいーじょーぶ?」


 見知らぬ子にずいっと顔を寄せられ、俺は僅かにのけぞった。


「あ、あぁ……大丈夫。ありがとう」


「ほっ。良かったです」


 胸を撫で下ろした後、女の子は俺をしげしげと眺めた。


 いや、眺めるなんてもんじゃない。まるで大層なご褒美が出る間違い探しに挑んでいるかのように、角度を変えて熱心に見つめてくる。な、なんだなんだ?


 心ゆくまで俺を観察し終えたらしい女の子は、やがて心底嬉しそうに言った。


「ふふ、やーっとお会いできましたぁ!」


 にっこり笑った顔はあどけない。なんとなくほだされた俺は、肩の力を抜いた。

「ええっと……君は?」


「もーしおくれました! 鞠は神楽かぐらまりともーします。気軽に鞠ちゃんとお呼びください! 鞠もなっちゃんと呼んでいーですか?」


「え? まぁ、いいけど……」


「ありがとうございます。鞠、本日はわかな様の命で、あなたに付き添うことになりました!」


 女の子――鞠ちゃんはそう言ってびしっと敬礼する。


「わ……わかな、様? って誰?」


 俺が首を捻ると、鞠ちゃんは不意に口元を固く結んだ。


「……やはり、何も覚えておられないんですね」


「え?」


「うーうん、いいんです! それより、まだ先生がお見えになられてないようですが……」


 鞠ちゃんはきょろきょろと室内に首を巡らせる。


 すると、見計らったように、俺が入ってきた小さい扉がバタン! と音を立てて開いた。


「はぁっ……はぁ、はぁ……! お、遅れてしまって……ごめんなさいぃぃ」


 闖入者はこれまた女の子だった。


 といっても、鞠ちゃんよりも俺の方に歳が近い。派手なピンク色の髪をどでかい水玉のリボンでツインテールにし、もはやおしゃれなのか冗談なのかも分からないビン底眼鏡をかけている。つか、あの眼鏡、ヒビだらけでこっちからじゃ目が見えないんだけど……ちゃんと前、見えてんのか?


 そして何故か、目を閉じた三日月のキャラクターをあしらった、子供の玩具のようなステッキを小脇に抱えている。なのに格好は――かちっとしたスーツ姿。まるで、個性派を気取る学生がそのまま就職活動し出したようなちぐはぐさだ。


 そんな中、一番の突っ込みどころは包帯ぐるぐる巻きの右足だ。松葉杖を突きながら、よろよろとこっちへ向かってくるのを、俺はあんぐりと口を開けて見守るしかない。その視線に気づいたか、はにかんだような笑みが返ってきた。


「あ、き、気にしないでください。私、ドジだからよく転ぶんですぅ」


 ドジとかいうレベルなのか、それは?


「ところで、あなたが柊木奈津雄さんですねぇ? はじめまして、こんにちは! ほ、本日はお日柄もよろしく」


 裁判だの被告だの言われて――お日柄がよろしいわけないんだが、とりあえず置いておく。


「あー。あんたは? どなた?」


「あっ、はいぃ! 本日、あなたの弁護を担当させていただく、白樺りりぃと申しますぅ!」


 スーツのポケットから、よれっよれの名刺が出てくる。


 第七三階位 弁護天使 白樺りりぃ――って、なんじゃこりゃ。


「わ、私、実は今日弁護士になったばかりで……ふつつか者ですが、よろしくお願いしますぅ」


 頻繁に滑る眼鏡を直しつつ、りりぃはぺこぺこと頭を下げた。


 ともあれ、裁判をするなら弁護士もいるってか。これでやっと詳しい話が聞けそうだ。


「あのさ、俺、まだ事態をよく飲み込めてなくて。一体、ここはどこで、今から何が始まるんだ?」


「あ、あうっ、そこからなんですね……承知しましたぁ」


 相変わらず間延びした声で、りりぃは話し始める。


「え、えーとぉ。ここは『神の庭』と呼ばれる法廷ですぅ。今から行われるのは、柊木さんを被告とする裁判でしてぇ、その罪状は『自死』――つまり下界での死因が自殺ではないかと疑われているわけですぅ。自死は天界において最も重い罪ですのでぇ……もし有罪になった場合、その魂は消滅させられてしまいますぅ」


 りりぃの話は、やっぱり半分もよく分からなかった。


 そもそも自分が死んだということすら、あんまりぴんときてない。今も手の込んだドッキリかなんかじゃないかと疑う気持ちもある。


 たとえ、このクソみたいな状況が現実だとしても、そしてりりぃの言っていることが本当だとしても――魂が消滅させられたらどうなるのか、それはそんなに恐ろしいことなのか、今の俺には分からない。


 ただ、一つだけ――絶対に否定できることがある。


「んなわけねえ……」


 病気とか、事件とか。――事故とか。


 人間、どうにもならないことで命を落とす可能性はいくらでもある。


 けど――


「俺は……自殺なんてしないッ……!」


 たとえ、死んじまってたとしても。


 それだけは全身全霊をかけて否定してやる。


「も、も、もちろんですぅ。私がそれを証明してみせますぅ!」


 どん、と胸を強く叩いたりりぃは途端にげほごほとむせ始めた。本当に大丈夫かよ、こいつ……


「――被告第〇二五番!」


 大きな扉を守っていた男二人が、急に声を張り上げた。


「開廷の時間である。直ちに出廷せよ!」


 目の前で、扉がゆっくりと――音を立てて開いていく。


 思わず腰を浮かせた瞬間、力づけるように手がぎゅっと握られた。隣にいる鞠ちゃんだ。


「なっちゃん。行きましょう、神の庭へ」


「神の……庭」


「そうです。死者の魂を裁く法廷――」


 扉を分かつように、光が増していく。


「――神庭裁判しんていさいばんへ」


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