第77話

 非戦闘員の避難が終わったのは、太陽が真上に上がり、それから少しだけ傾いてからだった。

 本部テント入り口の隙間から雛白邸内に入って行く避難民達を龍の目で見ていた明日軌は、その中に敵のスパイが居ない事を確認した。庭に居た女子供だけでなく、街に溢れていた男性達も全て雛白邸内に有る地下避難通路に下りて行った。人数が多過ぎるのでキチンと確認出来たかどうかには心残りが有るが、未来の光景から想像する限りでは大丈夫だろう。

「蜜月さん。こちらに」

 玄関先が静かになってから、銃を構えてボンヤリとしていた外国の犬の様な髪型の妹社を呼ぶ明日軌。そして愛用の懐中時計を渡す。

「お預かりします」

「エルエルさんが亡くなった事以外は、全て順調で時間通りに進んでいます。落ち着いて作戦を遂行してください」

「了解です」

 明日軌はテントの中に戻り、入り口を塞ぐ布を完全に閉めた。

 静かになった雛白邸の玄関先の地べたに座った蜜月は、屋敷の中に戻って行く白メイドを見送ってから遅い昼食を食べる。

 熱々の豚汁と、梅干のおにぎり。うぇ、梅干、苦手。

 二個目のおにぎりはシャケ。うん、おいしい。

「ごちそうさま、っと」

 空になったお椀を柱の影に置いた蜜月は、控え目にゲップをしてから歩兵銃を持って大仰に立ち上がった。

 身体の線が出る程ぴっちりとした黒い服の皺を伸ばし、尻に付いた砂を叩いて落す。

 そして外国の女神が彫刻された銀色の懐中時計を左手に持ち、じっくり眺める。キレイ。

 パカリと蓋を開け、中の時計を見る。もうすぐ二時。カチ、カチ、と秒針が進んでいる。

 この時計は、明日軌の十才の誕生日に父親から貰った物らしい。大切な物だが、蜜月の作戦には時計が必要だからと持たされた。

 それをズボンのポケットに仕舞う。

「今の内にトイレに行っとこ」

 緊張のせいか、トイレが近い。戻って来るくらいの時間で丁度良いだろう。

 用を済まして玄関先に戻ってから、約十分後。

 雛白邸の鉄門が物凄い音でノックされた。分厚い鉄板がひしゃげるのではないかと思う位の轟音。

 来た。

 それには構わず、周囲を警戒する蜜月。

「あら。陽動に引っ掛かりませんわね」

 庭に放置された避難民用テントのひとつから、緑色の長い髪の少女が出て来た。今までは軍服を着ていたが、今日は西洋人形の様なフリル満載のドレスを着ている。

 お椀を逆様にした様な真紅のスカートが邪魔そうだなぁ、と思いながら、明日軌が言った通りの時間に現れたエンジュに歩兵銃を向ける蜜月。

「あはは。降参降参。私は戦いに来たんじゃありませんわよ、フルスペックプリンセス? だからドレスなの」

 エンジュは、両手を軽く上げながら笑う。

 彼女を守る様に、一匹の獣がエンジュの前に立った。牛くらいの大きさの、犬の様な姿。その目は黒い穴なので神鬼だ。見た事の無い、新種。

「でも、私の態度次第で、どうなるか分からないんでしょう?」

 蜜月が構えを解かずにそう言うと、「あら」と眉を上げるエンジュ。

「……龍の目で予想されていた訳か。こちらの小細工は無意味って事ですわね」

 ニコリと微笑んだエンジュは、背中に隠す様に下げていた銀色の細い剣を抜いた。その剣に向かって聞き取れない言葉を呟くと、鉄の門を叩いていた音が消えた。犬の形をした神鬼も、広い庭を走って横切り、数メートルの高さの塀を飛び越えて行った。

「それが蛤石で作った剣ね? エンジュ」

「ええ、そうです。雛白明日軌は、ここまで追い込まれて、やっと全力で龍の目を使い始めた訳か。と言う事は――」

 エンジュは身体を捻り、銀色の細い剣でテントの入り口を塞ぐ布を切り裂く。

 中はもぬけの殻だった。

 通信機器は壊され、コードも切られ、床に大穴が開いている。

「やはり逃げた後か。……これの名前はご存知?」

 右手で握った柄を胸の前に置くエンジュ。細い刀身を上に向け、銀色の輝き越しに蜜月に赤い瞳を向けた。

 緑の髪の少女が着ている赤いドレスは胸の谷間を強調した物なので、蜜月の視線はついそちらに行く。

「明日軌さんは、それを私が使っている場面しか見ていないらしいの。だから使い方は分かるけど、どう使うかが分からない」

「使い方は分かるけど、どう使うかが分からない、か。龍の目らしい」

 ヒュンと空気を切って刀を振り、背中の鞘に収めるエンジュ。

 蜜月も銃を下し、友達にお願いする様な声の調子で言う。

「それを使えば蛤石から小型が沸かなくなるんでしょ? その剣、貸してくれないかなぁ。出来れば、使い方も教えてくれないかなぁ」

 手を合わせて『お願い』する蜜月に、そっけなく応えるエンジュ。

「だーめ。これは私達にとっては諸刃の剣ですから。名前はキーフルーレ。欲しいなら私を殺してでも奪い取りなさいな」

 エンジュは挑発的に手招きする。

 残念そうに肩を竦めた蜜月は、顔を横に向けた。無人になった避難民テントの海の向こうに、雛白邸を取り囲む高い塀が有る。その向こうで、何時間にも亘って銃声が響いている。時折悲鳴や怒号が聞こえて来る。大勢の人間が神鬼と戦っている。

「殺してでも、か。殺して殺されて。何でこんな戦いをしてるんだろ」

「本当に。バカみたいですわね」

 エンジュが同意した事に驚く蜜月。

「何? その顔。私は、立場的にはフルスペックプリンセスと同じなのですわよ。貴女が現れなかったら、私がプリンセスだったの」

 自分の鎖骨の辺りに指を置くエンジュ。

「プリンセスだったら戦場には出なかった。キーフルーレの携帯を許可されたのも、その辺りの事情も絡んでいる訳」

「そのフルスペックプリンセスって何?」

 蜜月の外国の犬の様な黒髪を見てから、自分の緑色の髪を撫でるエンジュ。表情に僅かな影が落ちる。

「もう人の世も終わりだから、別に話しても良いわよね」

 良く見ると、長い髪に隠れた耳に小さな機械が付いていた。それに向かって話しているらしい。ヘッドフォン型通信機を小型にした物の様だ。自分達が使っている物より使い勝手が良さそう。

「では、私の目的から話しますね? フルスペックプリンセス」

「出来たら、名前で呼んで欲しいな」

「じゃ、蜜月さん。私の目的は、蜜月さんを私達の味方にする事。他の妹社は他の人が接触する。プリンセス候補である私だけが、プリンセスである蜜月さんにこうしてお話出来ますの」

 真上を指差すエンジュ。

「以前、この屋敷に丙を送り込み、メイドに取り付いて蜜月さんに接触した奴が居たでしょう?」

 蜜月の顔から表情が消える。

 そいつのせいで広田愛歌は死に、アイカとして生き返った。

 蜜月が思い描く一番の敵はそいつだ。

「そのバカは、無断でその行動をしたんです。野心でも持っていたんでしょうね。だから私の家の当主の怒りを買い、エイ型の神鬼にさせられてこの上空に居ます。人間爆弾としての行動しか取れない様に暗示を受けてね」

「人間爆弾?」

 真上を見る蜜月。青空と厚めの雲しか無い。

「この屋敷の地下には広大な避難場所が有るんでしょう? ここまで生き残った人達が隠れている。エイが真上からこの屋敷に突っ込んだらどうなります? 分かりますよね」

 光線を発射するタイプの神鬼は、死ぬと体内のエネルギーを爆発させる。先程西側で落とされたエイは、数キロ離れたここまで爆発の衝撃が伝わり、空を焦がす火の柱が見えた。

「なるほど。人間爆弾、ね」

 エイが雛白邸に突っ込んで大爆発を起こし、そのエネルギーが地下に届いたら、中に居る人は全員蒸し焼きか丸焦げだろう。

「蜜月さんが私達の味方になってくれたら、エイは空中で爆発させます。花火みたいに。ぼーん」

 ぱっと掌を広げるエンジュ。

「なぜ蜜月さんを必要とするのか。その理由は蛤石に有ります。あれは神鬼を作る工場です。今のこの状況で分かります様に、知性の無い小型なら無限に産み出す事が出来ます」

 エンジュは腕を下げ、優雅に数歩歩く。やたらと踵が高い靴を履いている。

「知性の無い神鬼は、私達をも襲ってしまいます。だからこの戦いが終わったら蛤石は破壊しなければならない。蛤石を壊せるのは、蛤石で作ったこの剣だけ」

 蜜月に背を向け、腰の大きなリボンに刺さった細身の剣を見せる。

「この剣に触れられるのは、蛤石に触れる人だけ。それは世界に私と蜜月さんだけなのです。なぜ触れるのか。それは単純な話。私達は樹人だからです」

「樹人? 私の両親は普通の人間だけど……」

「本当の両親じゃなかったら?」

「……」

「まぁ、実際はどうだか分かりませんけれど。樹人の血の濃さって、血筋以外にも色々有るらしく、まだ詳しくは解明されていないの。私の両親も、古い家の当主ってだけで、血が濃い訳じゃないらしいですし」

 蜜月に向き直るエンジュ。

「猿人との戦いを始める為に蛤石を作ったんですけど、そこで新事実が判明した。猿人を取り込み、樹人には無反応になる様に作ったのに、製作者だった樹人がそれに触ったら吸い込まれた。どう言う事でしょう?」

 首を傾げる蜜月に笑みを向けるエンジュ。

「それは、樹人達にも猿人の血が混ざっている事を意味していた」

「子供の頃、蛤石を触った私は吸い込まれなかった。私には、猿人の血が入っていない?」

「そう。私もそう。正確には猿人の血が極めて薄く、その部分が吸い込まれても問題が無かった、と言う事の様ね。本当の純血は、蛤石に触れた後の私と蜜月さんとの間の子くらい。どちらかが男の子だったら、そう言う計画になっていたそうよ」

「ふーん……」

「百年以上も計画を練って、樹人が世界の支配者となる為に始めた戦いだったのに、私達に純血の樹人は一人も居なかったの。こちら側は、全員妹社だったの。あっはは、おっかしい!」

 笑うエンジュを冷やかな目で見る蜜月。

「でも、ほぼ純血の私が生まれた。フルスペックプリンセスとは、樹人としての能力を全て持っているって意味。そのままね。古代の樹人が現代に蘇った、と解釈してください」

「エンジュはフルスペックプリンセスじゃないの? 私と同じなんでしょ?」

「私は瞳が赤いから。これは発現する数に限りが有る龍の目の不具合だそうよ。だから私はフルスペックじゃないらしいわ」

「龍の目? 明日軌さんと同じ? そう言えば、私の目も赤くなった事が有るみたいよ。私は覚えていないけど」

「それの説明は樹人の神話レベルになります。最初の樹人は龍の一族に作られた。って話。そんな本当かウソか分からない話を詳しく語るのは、今は良いでしょう」

「人を作った? 龍の一族って神様みたいだね。過去未来も見れるし」

「そうですね。それを間に受けているバカ集団がこの戦いを始めたの。樹人は龍の一族、つまり神の末裔とか何とか。それを唱える代表者が、蜜月さんと私の婚約者。樹人の血を濃くする為に必要な婚約との事」

「神の嫁、ね」

「彼と私の家柄と血筋は高貴な物だから、お互いに拒否出来ません」

 肩を竦めて蜜月の黒い瞳を見るエンジュ。

「フルスペックである蜜月さんも、樹人の世界では高貴な婚姻が当然。ただ……」

 エンジュは目を瞑る。

「赤い瞳は、過去未来を見れない目。目の前の現在しか見れない、不器用な目。そんな物、高貴でも何でも無い。婚姻から目を逸らし、今を楽しんでいる私は、赤い瞳の呪縛が良く分かる。だからプリンセスじゃないのね」

 今しか見ていない赤い瞳。

 なるほど、のじこは明日軌しか見ておらず、翔と凛は自分達の子供しか見ていない。

「でも、目が赤くなくても、今しか見れないのは当然だと思うけど……」

「なら、蜜月さん。地下に避難した人達を守る為に、私達の味方になりますか? 今しか見れないのなら、それが最善のはず」

「それはお断りです」

 即答した蜜月に、エンジュは予想通りの応えだと頷いた。

「なぜですか? いえ、応えなくて結構。その返事は、猿人の未来を憂いた結果の物でしょうから、ね」

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