第41話

 藤色の着物を着た明日軌は、自宅の一室で琴を爪弾きながら考え事を始めた。

 そもそもエンジュとはどう言う存在だろうか。

 ただ前進するだけしか能の無い神鬼を裏で操っている知能の高い者の存在は、仮定としては元々有った。その類いである事は間違いないだろう。

 二十年間一度も確認出来なかったその存在が、今、ひょっこりと姿を現した意味とは何だろう。敵の幹部クラスが人型と言う事が分かったが、だから何? 程度でしかない。

 それどころか、敵が人間社会に溶け込めると言う事が実証されて、どこに敵が居るか分からない言う状況に悪化したとも思える。

 全く忌々しい。

「あ……」

 心が乱れた事で、弾き慣れているはずの曲を失敗した。

 いけないいけない。

 感情的になっては良い考えが浮かばない。

 簡単な練習曲を軽く弾いてから、深呼吸ひとつ。

 再び複雑で長い曲を爪弾く。

 これは機密事項だが、敵の核には人間の身体が使われていると思われている。小型や中型甲は倒すとすぐに砂に変わるし、乙は爆発するので、事実確認は出来ない。しかし、敵の死体である砂には人の骨と思われるカルシウムが含まれていて、流れる赤い血は人の物だと確認されているので、ほぼ間違い無い。

 こっそりと夜の街に現れ、人を浚う小型神鬼の存在も確認されている。それで浚われた人が神鬼に改造されているのでは? と言う予想が立っている。

 だが、行方不明者と小型神鬼の数は合わない。小型の方が圧倒的に数が多い。

 なので、脳等の肝心な部分は意思を持って行動する中型に使い、余った部分で小型を作っているのだろう。中型と一緒に現れる小型は、アリやハチの様な団体行動しか出来ないし。

 だから、夜の小型と、中型と一緒の小型は、違う個体と思われる。

 意思を持って動く夜の小型には特別に人の脳が入っているのだろう。

 それが事実なら、外道の技だ。人の命を何だと思っているのか。

 まぁ、命が大切なら攻めて来ないだろうが。

 複雑な曲だと気持ちが落ち付かない様なので、簡単で穏やかな曲に変える。

 単純に考えれば、人が敵に浚われなければ戦いが終わる。神鬼の材料が無くなるので、もう攻めて来れないからだ。

 最初に神鬼が現れてから、二十年。すでに人間の数は激減しているので、物理的にも戦いの終わりは近いはずだ。

 そこで気になるのは、いつも見る悪夢。

 夢の中で蜜月とエンジュは剣で戦っている。

 神鬼ではなく、あの少女と戦っている。

 もしかすると、神鬼のみで攻めている現在は、敵にとっては緒戦なのかも知れない。

 蛤石監視所で見たあの逃げ足。百メートルを一、二秒で走るあの脚力を使えば、普通の人間なら簡単に殺害出来る。

 武術の達人が正々堂々と真正面から対峙したとしても対処出来るか分からない。

 極端な話、雛白戦車隊の中隊くらいなら一人で殲滅出来るだろう。

 妹社も凄い身体能力が有るが、エンジュには遠く及ばない。身体能力のレベルが違う。

 彼女みたいな存在が大勢居て、それが敵の主力部隊なら、戦いは二十年も続かなかっただろう。

 それがなぜ表舞台に出て来なかったのかを考えてみる。

 敵の人数は極端に少なく、エンジュの仲間は一万人しか居ないと仮定してみよう。

 二十年前には、人間は何億人も居た。

 この人口差では、全世界を敵に回して勝てるかどうか分からない。

 勝てたとしても、想像を絶する時間と労力が必要だろう。

 敵側にも戦死者も出る。

 それならば、人を素材にする神鬼を世界に放って置けば、自然に人は減って行く。時間が掛かっても、労力は少ない。

 そうして人が減ったところで、エンジュ部隊の総攻撃。圧倒的な戦闘力で、人と妹社を根絶やしにする。

 うん、これだな。

 これは明日軌の予想だが、エンジュクラスの敵は百人も居ないだろう。

 エンジュクラスが百人居れば、今の世界の総人口総掛かりで戦っても勝てない。人では勝てない。

 しかし、大勢の妹社が力を合わせて戦えば勝てるチャンスが有る。

 妹社は、この国だけでも四十人居る。全世界では、ユーラシア陥落の影響でかなり減ったが、それでもおよそ二百人強。この妹社より多くのエンジュクラスは居ないはずだ。だから人型の敵は姿を現さない。エンジュクラスに被害が出ると予想される戦力差が有る内は出て来ない。

 琴を爪弾く手が止まる。

 逆に言えば、妹社の数がエンジュクラスの数を下回れば、エンジュクラスが攻めて来る?

 いや、すでに下回ったから、エンジュが表に出て来た?

 有り得る。

 明日軌は琴の部屋から出て縁側を歩く。

「ハクマ」

「はい」

 柱の影から現れる白い執事服の男。

「敵の障害は妹社です。妹社を減らそうと思ったら、どうすれば良いでしょう」

 まず、妹社は簡単には死なない。

 普通の人間なら即死する様な傷でも、妹社なら大怪我で済む。しかも治りが早い。

 きっちり殺そうと思ったら、首を切り落とすか、心臓を貫くしかない。

 エンジュ程ではないにしても、動きも素早い。

 ずっと全速力で走っても息切れしない。

 妹社が人の味方で良かったと心底思う。

「策だけなら簡単です」

「え?」

 明日軌は足を止め、あっさりと言うハクマを驚きの表情で見る。

「忍の戦術としては良く使う手です。自分が戦って勝てない強敵が複数居るのなら、その者達で同士討ちをさせれば良いのです」

 異常な身体能力を持つ妹社が大人しく人の味方をするのには大きな理由が有る。

 それは『共生欲』と呼ばれる彼等の習性だ。人間が家族や友人、恋人を求める様に、妹社もそれらを求める。

 ただ、妹社は数が少ない。仲間を求めようにも、仲間が身近に居ない。

 なので、仲良くなった人間を猛烈に護ろうとするのだ。

 野生児気味で何を考えているか分からないのじこがきちんと命令を聞くのも、その共生欲が明日軌に向いているからだ。

 明日軌を護るには、雛白部隊が必要。

 雛白部隊を護るには、命令を聞かなければならない。

 だから敵と戦っている。

 それがのじこがここに居る理由だ。

「妹社の共生欲を上手く利用すれば、簡単に同士討ちさせられるでしょう」

「なるほど……」

「ただ、実際にそうしようと思っても、多分無理でしょう」

「それはなぜ?」

「例えば私を敵の立場と仮定し、のじこさんを味方にする策を考えましょう」

 のじこは、幼児の時に山に捨てられた。

 それからは育ての親の手を借りて大きくなった。

 一人目は仙人の様な老人。

 二人目は格闘家風の宿無し。

 どっちもまともな人間ではなかった様で、だから三人目の親である明日軌に共生欲が向いた。毎日三食食べられるのが余程嬉しかったらしい。

 そんなのじこなら誰でも餌付け出来そうだが、共生欲はそんなに単純ではない。

 食べ物に釣られるのなら、厨房の白メイド達でものじこの主人になれる。

 しかしのじこは明日軌にしか興味は無い様だ。共生欲に法則性は無く、単純にのじこが明日軌を気に入ったので、それで主人認定が行われたらしい。明日軌を気に入っていなかったら、恐らくのじこは勝手に山に帰っている。彼女には、共生欲以外に敵と戦う理由が無いから。

 ならば明日軌を亡き者にすればフリーになりそうだが、それもダメだ。

 それは蜜月が証明した。

 蜜月がこの雛白邸に来てから仲良くなったメイドが居て、そのメイドが神鬼に殺された。彼女の共生欲はそのメイドに向いていた様で、メイドの死を目の当たりにした蜜月は取り乱した。その後、メイドの復讐を誓って立ち直った蜜月は、それを理由に今も戦っている。

 つまり、単純に明日軌がハクマに殺されたとしたら、のじこは復讐でハクマと戦うだろう。

「共生欲を切り替える方法を見付けなければ、同士討ちは出来ません」

「そうね。現時点の雛白部隊では、同士討ちは難しいでしょうね」

「ですが、策が無い訳ではありません。例えば、蜜月さんが明日軌様を殺せば、のじこさんは逆上するでしょう」

「なるほど。なら、蜜月さんにその行動を取らせれば良い訳ね。でも、それも難しいわね」

「はい。しかし、ここに来て日の浅いエルエルさんなら……」

 蜜月の共生欲は、明日軌、もしくはハクマに向き掛けている感じは有る。二人を見る目が変わって来ているのだ。

 以前は余所余所しかったが、最近は何かを求める様な表情で明日軌を見る。これはのじこも良くする顔で、これが共生欲の表れなのだろう。死んだ人より生きている人に共生欲は向く様だ。

 だから蜜月が明日軌に牙を剥く事は無いだろう。

 しかし、と言う事はつまり、切り替えは可能と言う事か。

 そして、エルエルを裏切らせる方法は、多分簡単だ。この街に居る彼女の母親に何かすれば良い。

 まだ共生欲が固定されていない蜜月を裏切らせる方法も有るかも知れない。

 エルエル対のじこ蜜月なら人側に勝ち目は有るが、エルエル蜜月対のじこになったら敵側が勝つ。

 どっちにしろ妹社は減る。

「うーん。難しいですわ」

 明日軌は細い顎に指を添え、取敢えず考えを纏める。

 敵の緒戦が人の数を減らす事ならば、その作戦は成功している。

 このままでは神鬼の数も減り、人が優勢になって行くので、その前に次の段階に入るだろう。

 敵がこれから動くとすれば、妹社を減らす作戦に出ると明日軌は予想した。その方法は同士討ち。

「同士討ちを防ぐ方法は、妹社全員の共生欲を人に向け続ける事。しかない、か」

「はい」

「そう政府に具申しましょう」

 まだ神鬼が脅威ではなかった時代、人と人の戦争で妹社を使い、最悪の泥仕合になった経験が有る。妹社は滅多に死なないので、普通の人では行軍を止められないからだ。妹社と妹社がぶつかる戦場となった街は、長期間の戦闘の後に地図から消えたと言う。

 なので、国の軍隊は妹社を持ってはいけないと言う国際法が出来た。

 だから物凄い金持ちの雛白家がこの街の代表として民間の雛白部隊を作り、神鬼と戦っているのだ。そんな私設部隊が蛤石の有る名失いの街の数だけ存在し、それぞれが戦闘を繰り広げている。

 しかしそれぞれの家が自由気ままに戦車や銃を使っていては国軍の立場が無いので、影で政府が私設部隊を管理している。管理を受け入れればそれなりの援助も受けられるので、ほぼ全ての私設部隊は国の管理下に入っている。

 明日軌の個人的な感想を言えば、管理は邪魔にしかなっていないが。

 まぁ、グズで無能な政府だが、管理下の私設部隊へ一斉に下知する事は出来るだろう。

 龍の目を持った雛白部隊の司令と言っても、明日軌はまだ十四歳の小娘。子供が意見を言うより、政府に命令して貰った方が効果が高い。

 それくらいの役に立って貰わないと。

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