第27話
戦闘を終えて雛白邸に帰って来た明日軌と妹社隊は、玄関ホール正面の階段の真ん中に誰かが居る事に気付いた。
真顔の蜜月が、段を椅子代わりにして座っている。
その傍らには、怪我を心配している紺色メイドの広田が立っている。
「怪我の具合はどうですか?」
ねぎらう明日軌を立ち上がらずに見詰める蜜月。
「ちょっと背中が痛いですけど、大丈夫です」
明日軌は真っ直ぐ蜜月を見返す。
微妙な空気を察した忍び装束のハクマは階段に歩み寄り、黒いメイド服のコクマは腰に手を当てた。
のじこは蜜月とは一切目を合わさず、もうこの場から消えている。
「みつ……」
「ハクマ。着替えを済ませたらお茶を。二人分ですよ」
蜜月に話し掛けようとしたハクマを命令で制す、青いセーラー服の明日軌。
「はい」
ポニーテールの女主人は、ホールに敷かれている赤絨緞の上を胸を張って歩いた。蜜月から目を離さずに、頭を下げるハクマの前を通り過ぎる。
「何も言わなくても私の考えが分かっているみたいですね。何か見えているんですか? その左目で」
「いいえ。蜜月さんの顔に書いて有ります。私に訊きたい事が有る、って」
ニッコリと笑う明日軌に応え、薄く微笑む蜜月。
「訊きたい事と言うか、少しご相談したい事が有りまして」
明日軌が階段を登り始めると蜜月は立ち上がり、広田は頭を下げて階段を降りた。
「何でしょう?」
「のじこちゃんが、私を怖がっている様なんです。このままじゃ一緒に戦えないかな、と」
「そうですね。ハクマからもその旨の報告は受けています」
二人で並んで階段を登り、いつの間にか先回りしていたツインテールのコクマが大きいドアを開けた。その向こうには、屋内なのに一軒家が有る。
「済みません、着替えて参りますので、少々お待ちください」
「はい」
明日軌は自宅に入って行く。
蜜月はコクマに連れられ、芝生が広がる庭の白いテーブルに着いた。
数分の間を持たせる様に、蜜月は庭を見渡す。周りを囲む雛白邸の木の骨組みや梁が見える風景には圧迫感が有るが、明るくて広いので、気にしなければ気にならない。逆に、外から隔離され、建物に護られている安心感が有る様にも思える。外は恐ろしい化物が徘徊する世界だし。
「お待たせしました」
髪を下ろし、水色のワンピースに着替えた明日軌が白いテーブルに着いた。
向かいに座った明日軌は、じっくりと見ると、かなりの美少女だ。美人過ぎて、黙って微笑んでいるだけで畏怖が有る。神々しい。
一方で明日軌は、女学生の様な紺色の袴を着て、骨折した右腕を三角巾で首から吊るしている蜜月の姿に威武を感じていた。報告では、大型を落とした後に、大型討伐隊を散々苦しめた数十匹の中型神鬼を一人で倒したと言う。
三十メートル以上もの高さから落下して地面に身体を打ち付けられたのじこはそのダメージで身動きが出来ず、その様子を全て見ていた。そして蜜月に恐怖を感じた。
「……私も、のじこちゃんが怖かったんです。丙に取り付かれていたとは言え、平気で人を撃てるあの子が」
妹社の二人がお互いを怖がっているから戦えない、と、先程シゲさんに語った事と同じ内容を語る蜜月。
「でも、先日の戦いで、人が一杯死にました。今の時代、それが当たり前だと、聞きました。平気で人を殺せるのじこちゃんを怖がる私の方が間違っているんでしょうか?」
「間違ってはいません。平和な時代なら、平気で人を撃てる人は、異常な犯罪者ですから。現在の状況では、それは理想でしかない、と言うだけです」
「理想……ですか?」
「はい。人殺しは、今現在でもやってはいけない事です。のじこさんも、当然それを理解しています」
明日軌は、一本だけ口に入ってしまった自分の髪の毛を小指で払った。戦闘で緊張した後なので、髪が少々乱れている。
「でも、ここで一人の人を殺さなければ、後で大勢の人が死ぬ。そう言う状況が、今の世界ではあちこちで起こっています。――ちょっと、分かり難いかな」
「何となく分かります。のじこちゃんの判断は正しい事も、私なりに分かってるつもりです。でも……」
良い淀む蜜月の視線が自分に来るのを待ってから頷く明日軌。
「のじこさんも妹社。共生欲を持っています。人を殺したくはないはずです。そんなのじこさんを怖がるのは酷だと、私は思います」
「そう、ですよね」
「ですが、私は、蜜月さんの悩みも必要だと考えます。それが正常ですから。ですが、その迷いは蜜月さんと周りの人を危険に晒す事になりかねません」
「……確かに。でも――」
のじこが丙に取り付かれていた人や大型と同化していた母を殺さなかったら、どれだけの人が亡くなっていただろうか。
母が母本人ではなく、丙に取り付かれていた神鬼だったら、蜜月も大型の上で死んでいたかも知れない。
「――分かっています。分かっているんですが、迷いが晴れないんです」
どう答えるのが正解か考える明日軌。
自分もそうだが、相手は思春期の女の子。扱いが難しい。
なるほど。
蜜月がここに来てすぐの時、植杉が彼女を出し渋ったのはこう言う事か。
だが、今の人類は妹社に頼り切っているのも事実なので、悩む彼女を長期間遊ばせておく事も出来ない。
「なら、こうしましょう。その悩みは、この戦いが終わるまで忘れてくれませんか?」
「忘れる?」
「そうしなければ人が大勢死にます。ですから、戦いの間だけ、歴戦の勇者の様に心を無にして戦ってください」
「私が妹社だから、忘れなければならないんですか? 私とのじこちゃんが協力して神鬼を倒さなければ、街が危険に晒されるから、ですか?」
「はい。誰が何を言おうとも、何がどうなろうとも、生き残れなければ全てが無意味ですから。死んでしまったら、蜜月さんの悩みも、のじこさんの判断も、全てあの世行きですから」
目を瞑って深呼吸した蜜月は、数秒間迷ってから頷いた。
「分かりました。取り敢えず、のじこちゃんを怖がるのは止めます。止めたいとも思っていますし」
「ありがとうございます。この戦いに勝ち、平和な世界を取り戻しましょう。人が人を殺さなくても良い世界を」
この方向で話をして正解だった事に安堵した明日軌は笑む。
しかし蜜月は真顔のまま目を開けた。
「――訊きたい事も山程有ります。訊いても良いですか?」
「何でしょう?」
「樹の一族って何ですか? 私や妹社達との関係は? なぜお母さんは大型から生えていたんですか? そもそも、神鬼って何ですか? なぜ街の外で現れ、蛤石の有る街を襲い、人を殺すんですか?」
一気に言ってから明日軌の左目を見る蜜月。
「それと、明日軌さんの左目って何が見えているんですか?」
明日軌は静かに視線を落とした。
「その質問に関する答えは何も有りません」
「何も知らない分からないじゃ、もう戦えないんです。家族が、全員居なくなってしまったから……。戦う理由が、無くなったんです」
蜜月も静かに視線を落とす。
「私には帰る場所が有りません。戦えなくなったら、どこに行けば良いのでしょう。お母さんが言っていた場所でしょうか」
「それがどこか分かりますか?」
「いいえ。でも、戦えない私はここに居られません」
白い執事服に着替えたハクマが無言で紅茶とクッキーを明日軌と蜜月の前に置いた。
蜜月は甘そうなお菓子に視線を移す。
「この悩みを解消出来ないのなら、解消出来なくても忘れられないのなら、私は戦えないんです。戦えない妹社はタダ飯食いの役立たずでしょう?」
顔を上げる明日軌。酷だが、蜜月には戦って貰わなくてはいけない。
「分かりました。話しましょう」
蜜月も顔を上げ、明日軌を真っ直ぐ見る。
「ただし」
右手の人差し指を立てる明日軌。
「全ては私が持っている情報から導き出された憶測で、事実確認はしていません。全て間違いの可能性も有るので、本来なら話せないのです。絶対に他言しないと誓えますか?」
「はい。誓います」
「ハクマ、コクマ。これからの話は聞かない様に」
「畏まりました」
双子の兄妹は同時に頭を下げ、一瞬で姿を消した。
「――さて。何から話したら良いのか」
困り顔になった明日軌は、細い人差し指を形の整った顎に当てた。
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