第26話
梅雨も終り、季節は夏に入った。
庭の芝生で正座している蜜月は、邸内放送をぼんやりと聞いていた。骨折した右腕はギプスで固定され、三角巾で釣られている。火傷で背中が痛い。
『繰り返します。各隊は速やかに戦闘配置についてください。中型甲二体が、七時方向観測隊により発見されました』
雛白邸と自警団の詰め所が慌ただしくなり、数分後に沢山の車両のエンジン音が敷地から出て行った。
「妹社は良いなぁ。複雑骨折と重度の火傷が全治一週間だもんなぁ」
静かになった雛白邸の庭を大男が歩いて来た。強くなった日の光で禿頭が程好く輝いている。
「森重さん。こんにちは」
蜜月は、武器製造の責任者に対して座ったまま会釈した。礼儀正しくしようとすると体中が痛むのでこうするしかない。
「シゲで良いよ。ほら、新しい刀だ」
森重は大儀そうにしゃがみ、黒い鞘に収まった日本刀を蜜月の膝の前に置いた。大男はエプロンを着けておらず、汗に濡れたランニングシャツ姿でタオルを首に巻いている。これからの季節、あの鍛冶場で働くのはさぞ大変だろう。
「ありがとうございます」
礼を言う蜜月の顔を見詰める森重。
値踏みする様に見られた蜜月は、同年代の少女が無意識でするのと同じ様に男性の視線を警戒した。
「……?」
「普通の女の子なのになぁ。大型を倒した後、何十匹もの中型を一人で殺ったんだって?」
「はぁ」
「中型の甲羅がばっさり切られてたそうだ。そのせいで刀が折れたんだろうけど、見事にポッキリ折れていた」
「すみません、壊しちゃって」
「いやいや、謝る事は無いさ。日本刀ってのはそう言う物だ。切れ味が良い分、壊れ易い。だから色々な工夫がされている」
「はぁ」
「ただ、神鬼相手にそう言う使い方をしたのは初めてだったんだ。改良が必要かな、と考えている。だから、その時にどう使ったかを訊きたいんだが」
武器製造の血が騒ぐのか、森重は目を輝かせてそう言った。
しかし蜜月はしょんぼりと俯く。
「私、その時の事を覚えていないんです……。気が付いたら医務室でうつ伏せで寝ていて、全身にギプスをされていました……」
白く固められた右腕を撫でる蜜月。
全身を固められていた数日間は色々と大変だった。トイレとか食事とかが自分で出来ないので、赤ちゃんみたいに他人の世話になるのは本当に辛かった。
「覚えていないんならしょうがない」
蜜月の横に座る森重。
「まぁ、改良はこっちで考えておくよ。この前みたいな大攻勢なんか滅多に無いんだから、しばらくはその刀で戦ってくれ」
「私、もう戦えないかも知れません」
「何だって?」
「大型を落とした後、私は気を失いました。その時、私は意識不明のまま戦っていたそうなんです。その姿を見ていたのじこちゃんが私を怖がっちゃって……」
「あののじこが、怖がる?」
体長五メートルの中型神鬼を肉弾戦で倒すのじこが、仲間を、しかも十代の少女を怖がっている姿を森重は想像出来なかった。
「右腕の骨折だけ治りが遅いのも、骨折しても敵を殴り続けたから、だとか。素手で中型を倒したんです。――私、自分がどう言う生き物か分からない」
蜜月は、迷い無く人を殺せるのじこが怖かった。
そして今、のじこも蜜月を怖がる様になってしまった。
お互いを怖がっていては一緒には戦えないだろう。
「そうか……。しかしなぁ。妹社と神鬼も不思議だが、俺にはもっと不思議な物が有るぞ」
「もっと?」
森重は雛白邸の方を見た。
蜜月もそちらに目をやると、赤いシャツの男がこちらに向かって歩いて来ていた。
「よぅ。英雄さんとシゲさんが仲良く日向ぼっこかい。意外なカップルだな」
タバコを咥えながら、冷かす様に言う植杉。
「ばかやろう。刀を届けに来ただけだよ。そう言うお前は何をし来たんだ?」
「暇だから新型兵器の下書きを書いていた。で、最後の仕上げをどうするか、散歩しながら思案中」
「ケッ。また新型か。俺はな、こいつが一番不思議だ」
植杉を乱暴に指差した森重は、蜜月の顔を見ながら言う。
「あんたが持ってる歩兵銃だがな、あれは本当は歩兵銃なんかじゃない」
「え? じゃ、何なんですか?」
キョトンとする蜜月。
「片手で連射出来て、しかも命中精度の高い歩兵銃なんて物は無い。少なくとも、何十年も先の技術だ。作っている俺には分かる。凄ぇ発想の塊だ」
「よせよ、照れるじゃねぇか」
植杉じゃニヤけてボサボサの頭を掻いた。
「バカ、誉めてねぇよ。おめぇ、どこからその知恵を持って来てるんだ? あの世の悪魔か何かと契約してるんじゃねぇか?」
植杉は不味そうに煙を吐き、タバコの灰を地面に落とした。
「シゲさんがオカルトじみた事を言うなんて、意外だな」
「そうでもないだろ。鍛冶場での神事を見た事が無いのか? 職人は神さんを大切にするもんだ」
「そんなもんかね」
「無線の技術も、戦車等の車両も現代の技術じゃない。大体、ヘッドフォンの電池ってのは何だよ。あんな物、見た事も聞いた事も無い」
「必要だから俺が作ったんだよ。それだけだ」
「だからって次から次へと新技術が生まれるか。出来るんなら空飛ぶ絨毯を造ってみろ。大型の時に必要だっただろ?」
「ふん。出来たらやってるよ」
植杉はタバコの煙を輪っかにして吐き出した。
それからも中年男性二人は罵り合いに近い言葉を言い会う。
「あの、植杉さん」
「ああん?」
切りが無いので、会話を途切れさせる目的で呼び掛ける蜜月。植杉が気だるそうに返事するのがちょっと怖かったが、臆せず訊く。
「植杉さんは、どうしてそんなに武器を設計するんですか?」
「新しい武器を考えるのが好きだから」
植杉は即答した。
「人と人の戦争の為の武器じゃなくて、化物を駆除する為の武器だからな。遠慮無く凶悪な武器を作れる。それが楽しい」
「ケッ。お前自体が悪魔だったんだな」
毒づく森重。
「その悪魔の要求に正確に応えて、武器を現実の物にして行っているシゲさんは何なんだ?」
「ははっ。それもそうか」
禿頭をつるんと撫でる大男。
タバコを咥えたままニヤリとした赤シャツの男は洋館の方に顔を向けた。
「そんな俺達に惜しみなく援助している雛白藤志郎が悪魔の親分って所かね」
笑い合う男二人。
しかし、蜜月は暗い表情で呟く。
「……妹社は悪魔の子分、かな」
「妹社蜜月は英雄だよ」
植杉は、俯いている少女を指差して大真面目に言った。
「何ですか、英雄って」
「史上初めて大型を落とした妹社蜜月と妹社のじこの名前は歴史に残るぞ。そう言う偉業を成し遂げた奴を、人々は英雄と呼ぶ」
大型討伐隊に志願した三十二人の内、死亡者は十一人、重軽傷者は二十一人となった。無傷の人間は一人も居ない。
車両も全て壊された。
衛生兵のメイドも、一人が亡くなり、怪我人が数人出ている。
ハクマとコクマの援護がもう少し遅かったら被害はもっと増えていただろう。
しかし、双子の忍者がどんなに強くても、妹社の二人が大型討伐に失敗していたら、大型討伐隊は簡単に全滅していた。死亡者は一般人に及び、もっともっと数が増えていたと思われる。
だが、大型との戦闘で生き残りが居る事自体が奇跡なのだ。神鬼との戦いとは、元々そう言う物らしい。
二、三体の中型を楽々と倒す戦いしかした事がない蜜月は、戦闘で死者が出た事もショックだったが、そのショックを受けている事自体、考えが甘いらしい。
本当の命を賭けた戦いを知った蜜月は、だから落ち込んでいた。モヤモヤした気持ちをどこに向けたら良いのか分からない。
「ま、俺達は無責任に頑張ってくれとしか言えん」
よっこいしょと立ち上がる森重。
「妹社が居なかったら人間はとっくの昔に滅びていただろうしな。みんな妹社に感謝しているんだよ」
森重はそう言い残し、巨体を揺らして自警団の詰め所の方に歩いて行った。
「頑張るも何も、私は……」
生きて帰れたら作ろうと約束していた約束のケーキは、まだ焼けていない。利き腕にギプスをしているからお菓子造りが出来ないからだが、それは言い訳だ。
今はのじこに会いたくない。母の仇な訳だし。
いや、仇じゃないのか。
母は意味不明な事を呟くだけだったので、もう死んでいたとのじこが言ったのも理解出来なくはない。大型と同化してたし。
のじこが母を攻撃した事で大型が落ちたので、のじこの行動が間違っていなかったのも分かっている。
でも、気持ちの整理が付かない。
割り切れない。
「……お母さんは、私達の事を妹社じゃなくて樹の一族とか樹の眷属とか言ってましたけど。どう言う事なんでしょうね。分からない事ばっかりで嫌になります」
「何だと!」
植杉が珍しく声を荒げた。火の点いたタバコが口から落ちる。
その様子に驚く蜜月。ビクリと身体を縮こませてしまったので背中が痛んだ。
「誰かにそれを言ったか?」
「えっと、ちゃんと報告しましたよ。ハクマさんに」
植杉は舌打ちする。
「情報を下に下ろさないつもりか。……いや、それも当然か」
蜜月は立ち上がり、一歩植杉に近付く。
「何か知っているんですか? 植杉さん」
「最前線のお前が分からない事を、技術屋の俺が分かる訳無いだろ」
胸ポケットを探り、新しいタバコを咥える植杉。
「はぁ、そうですか。――ん?」
一瞬納得しかけたが、すぐ思い留まる。分からないなら、どうして声を荒げたりしたのだろう。
訝しげな蜜月の視線を察し、バツが悪そうに頭を掻く植杉。
「要するに、偉い人は、人々が神鬼を憎んで戦える様な情報の流し方をしてるって事だ」
「はぁ。良く分かりません」
「偉い人も良く分かってないんだろ。お前もその樹の何たらってのは黙ってろとか言われなかったか?」
「え? そう、だったかな。医務室で朦朧としていた時に報告したので良く覚えていません」
「黙ってろと言われたはずだ。ま、状況が分からなくて迷っているんなら、お嬢様にどうしたら良いか訊くんだな」
「明日軌さんに?」
「あの左目で何を見ているのかを訊いてみろ。喋らなきゃ戦えませんとでも言えば、お嬢様も口を割るだろ。お嬢様は今現在の全てを知っている立場にある」
緑の左目……。
「分かりました。訊いてみます」
マッチを擦っている植杉に一礼した蜜月は、傷が痛まない様に慎重に歩いて雛白邸の玄関に向かった。
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