第17話
ハクマがこの街の蛤石の見学に行く為の許可を取りに明日軌宅に伺いに行くと、お嬢様は私も行くと言い出した。青いセーラー服に着替えた明日軌は、ノリノリで黒いメイド服のコクマに色々な指示を出している。
「なんだかワクワクしますわね」
万が一神鬼が現れた時の為に、蜜月達にも出撃時と同じ装備で待っていろと指示する。
鏡の鎧に着替えて雛白邸の門扉前で待っていると、二頭の白馬が現れた。木箱みたいな馬車を曳いていて、ポニーテールの明日軌とツインテールのコクマが乗っている。
手綱を持っている執事服を着た白髪の老人と黒い忍び装束のハクマが道順の相談をしていると、のじこが物珍しそうに寄って来た。そして赤い瞳を輝かせて「のじこも乗りたい!」と大声を出した。
「ええ。どうぞ乗って頂戴。あ、その前に、のじこさんも蜜月さんと同じ様に戦闘装備を着てくださいね」
にこやかに言う明日軌。
のじこは頷き、全力疾走で門脇の小屋に飛び込んで行った。
蜜月はちょっと見に行くだけだと思っていたのに、何だか大袈裟な事になった。
「さ、蜜月さん。乗ってください」
「あ、はい」
明日軌の手招きに従い、恐る恐る馬車に乗り込む蜜月。
馬車内は真紅のビロードで覆われていて、何かの香が焚かれているのか、良い香りがしている。
「最近屋敷に篭りっぱなしで飽き飽きしていたのです。丁度良い気分転換ですわ」
明日軌は進行方向の座席に行儀良く座っている。
その隣には、無表情で前を見据えているコクマが座っている。
歩兵銃を片手で持っている蜜月は、彼女達の向かいに縮こまって座る。
鏡の鎧を抱えて乗り込んで来たのじこは、無言で蜜月の横に座った。
「では、出発しましょう」
「はい」
一人外に残ったハクマは、恭しく頭を下げてから出入り口のドアを閉めた。
そして手綱を持った老人の隣に座り、出発の合図としてベルを鳴らす。
「お。動き出した」
ガタガタと揺れながら走り出す馬車。
鉄の門を出た馬車は順調に進む。のじこは身を乗り出し、可愛らしく窓に張り付いて外の風景を楽しんでいる。そんな幼女を見ながら溜息を吐く明日軌。
「もう一人妹社が欲しいのでお父様と共に政府に掛け合っているのですが、どうにも良い返事が聞けません」
「上手く行けば、隊員が増えるんですか?」
蜜月が訊くと、明日軌は頬に片手を当てた。
「隊長が出来る妹社が欲しいのです。ハクマは元々私の執事ですし。隊長でなくても、男性の妹社が欲しいですわ」
「はぁ。男性、ですか。確かに、強そうな人が仲間になれば頼もしいですね」
「ええ。しかし今すぐ派遣出来る男性の妹社は居ないと言うのです。女性でも経験豊富ならば良しとするか、悩んでいます」
ハッと顔を上げる明日軌。
「外に出ても仕事の話をしていますね。折角の外出だから楽しまなければ」
明日軌は窓の外に目をやる。のじこの銀色の頭が邪魔で良く見えないが、過ごし易い六月の爽やかな風が吹く街並みと人々の笑顔が辛うじて見える。
「ああ、ここは……」
釣られて外を見ていた蜜月が思わず声を上げた。
明日軌は視線を蜜月に移す。
「どうしました?」
「子供の頃、良くここで遊びました。そう……この辺り。ああ、思い出します」
窓の外を流れて行く風呂屋の煙突を目で追う蜜月。薪の臭いが鼻の奥に蘇る。
「幼かったから忘れたと思っていたのに、不思議と思い出せる物ですね。ここで一緒に遊んだお風呂屋の子、元気かな。会いたいな」
「蜜月さんはこの街の出身でしたね。残念ながら、その子は違う街に移住してしまっていると思います」
「そうなんですか?」
「ええ。蛤石が出現した後、この辺りは一時避難区域になりましたから。今も元々の住人は戻って来ていないはずです」
あの子はもうここには居ない。名前も思い出せないので悲しくはないけれど、少し寂しかった。
しばらく走ると、ゆっくりと馬車が止まった。
ハクマが外からドアを開け、先ずコクマが降りた。厳しい目付きで付近に危険が無いか伺う。
安全が確認されてから、ハクマの手を取ったお嬢様が降りる。
それから蜜月、最後にのじこが降りた。
「ここは、一体……?」
街のど真ん中のはずなのに、民家が全く無い。遊具の無い公園みたいな感じ。
そこには、見上げる程高くて、どこまでも続く塀が有った。雛白邸を囲う壁を外側から見た風景と同じだ。違うのは、壁の材質が木って事くらいか。
「お待ちしておりました。ご苦労様です」
ベストにズボンと言う普通の格好をしたおじさんが明日軌達を出迎えた。
「蜜月さん。こちらは蛤石監視員の責任者である、佐久間広一さんです。佐久間さん、こちらは雛白妹社隊新隊員の妹社蜜月さんです」
先頭に立った明日軌が二人を紹介する。
「宜しくお願いします」
「はい、宜しく。また可愛らしいお嬢ちゃんですね」
丸めがねを掛けた佐久間と頭を下げ合う蜜月。
「では、佐久間さん。電話で伝えた通り、蜜月さんに蛤石監視員のお仕事を見学して頂きますので、案内をお願いします」
「了解です。こちらへ」
木の塀にぽっかりと開いている、ドアの無い入口に入る佐久間。
明日軌がそれに続き、蜜月達もゾロゾロと続く。
コクマは馬車の荷台から下ろした大きな鞄を両手で持っていて、厳しい目付きで最後尾を歩いている。
入口の中のすぐ右手側に広いが急な階段が有り、全員が連なって登る。
登り切ると、辺りが一望出来る塀の上に出た。何かの本で見た万里の長城みたいな場所だ。かなり広くて、道幅が十数メートルも有る。
人も大勢居て、銃を持った迷彩服の男達が床に座って世間話をしていた。緊張感は余り無く、将棋を指している人も居る。銃を持っていなければ、ただの寄り合い所みたいな風景だ。屋根も壁も無いので、雨が降ったらビチャビチャになるだろうけど。
そんな塀の上を進む。木の床の上を歩いているので、ゴトゴトと足音が鳴る。鏡の鎧を着ている蜜月とのじこの足音が一番うるさい。
「ご苦労様です」
笑顔でそう言うセーラー服の女主人を見て姿勢を正す者も居れば、軽く会釈を返す者、無視する者も居る。反応も様々だ。
身体の線が出る鎧下着を着ている蜜月を見る目が怪しい者も居る。
そして一行は塀の一角に有る小屋に入った。
「ここが蛤石を監視する場所です」
佐久間が説明する。
小屋の中には数人の男が居て、その中の二人が小さい椅子に座って窓の外を見ていた。ガラスが嵌っていない開けっ放しの窓から望遠鏡を突き出している。
「この様な小屋が東西南北に四つ有り、絶えず蛤石を見張っています」
「へぇー……」
望遠鏡を覗いている男達の後ろから窓の外を見る蜜月。塀の内側は何も無い野原だった。
「ここに蛤石が有るんですか?」
「有りますよ。見たいですか?」
「はい」
「では、これをどうぞ」
予備の望遠鏡を蜜月に渡す佐久間。小さいが結構重い。
「ありがとうございます」
監視係の邪魔にならない様に、彼等の背後で立ったまま望遠鏡を覗く蜜月。
最初に見えたのは塀の対岸。ここと同じ造りの小屋が有り、望遠鏡でこっちを見ている人達が居た。
視線を地面に落とす。地面から生えた銀色の水晶が日の光を反射して輝いていたので、蛤石はすぐに見付けられた。
位置が分かったので、望遠鏡を下ろして肉眼で見てみる。遠過ぎて何も見えない。
もう一回望遠鏡を覗き、蛤石の回りを見てみる。肉眼では何も無い野原だが、望遠鏡で良く見てみると家の土台が微かに残っていた。
「……壊されちゃったんだ。家。石も、かなり大きくなってる」
ぽつりと呟く蜜月。
「蛤石が有る場所は、蜜月さんの実家の庭なのだそうです」
佐久間に説明するハクマ。
「そうだったんですか。神鬼が出る度に銃で撃っていたので、自然と壊れちゃったんですよ。残骸は土の下に埋もれてしまっています」
神鬼は死ぬと砂になって土に帰る。その土の下になったのか。
望遠鏡を下ろす蜜月。
無言で野原を眺める。
「のじこも見る」
「あ、はい」
蜜月は銀髪の少女に望遠鏡を渡す。
不思議と、ここが蜜月の生まれ育った家の跡地と言う実感は全く無かった。回りの家も綺麗サッパリ消えて無くなっていたせいかも知れない。
「これは差し入れです。みなさんで召し上がってください」
明日軌がそう言うと、コクマが持っていた鞄を床に下ろした。
ぼーっと野原を見ている蜜月の後ろで、明日軌達は世間話を始める。のじこは何もない風景に早々と飽き、差し入れの方を気にし出す。
「神鬼出現! 神鬼出現!」
望遠鏡を覗いていた男達が、いきなり大声を上げた。
蜜月は飛び上がる程驚いた。
直後、無数の銃声が響き渡る。
「ちょっと貸して?」
のじこが持っていた望遠鏡を少し強引に奪った蜜月は、急いで窓の外を見た。
塀の上では、先程までだらけていた男達が精悍に銃を撃っていた。
蛤石の回りの地面を見ると、無数の銃弾を受けて土埃が舞い上っている。その土埃の中に小型神鬼のつるんとした頭がいくつか見えるが、四方から撃ち下ろされる銃弾の雨の中では数秒も存在を維持出来ずに土に帰って行く。
壮絶な光景だ。
一分ほど経つと、望遠鏡を覗いている男達が笛を吹いた。それを合図に銃声が収まる。
「神鬼消滅!」
監視員が笛を下ろして叫んだ。
すると、塀の上は男達の雑談の再開と銃の手入れをする音に包まれた。
望遠鏡を下ろす蜜月。
「ここも戦場なんですね」
「ええ」
応えたのは明日軌だった。
「蛤石からは小型神鬼が沸きます。一日に何度も。一匹も逃してはならないのです」
「何度も……。あの、蛤石を壊す事って出来ないんですか? 今の射撃でも、絶対に弾が当たってますよね?」
肉眼で蛤石の方を見る蜜月攻撃の激しさを物語る土埃が視認出来る。
「遠くから銃で撃ったくらいでは傷ひとつ付きませんよ。ですが、破壊は一番してはいけない事です」
佐久間が少し大きめな声で言う。
「アジア陥落の一番の理由は、蛤石の破壊だと言われています。初期に神鬼が現れた国は、銀水晶を災厄の根源として爆薬で破壊しました」
蜜月の隣りに立ち、外を見る佐久間。
「蛤石は、破片でも触る事が出来ない為、そのまま放置したそうです。道具を使っても、道具ごと人間が吸い込まれるんですよ」
「うわ、怖いですね」
蜜月は家族が吸い込まれた光景を思い出していた。道具を使ってもダメだったのか。
「破壊してしばらくは何も有りませんでした。が、気が付くと、ガラスの様に割れた銀水晶の破片が全て一個の銀水晶に成長していたそうです」
「成長?」
「大小の破片が、全て一個の銀水晶になったのです。アレの周りに蛤石が数百個も有ると思ってください」
蛤石の方を指差す佐久間。
「その全てから、数百匹ずつ小型神鬼が沸くんです。数百個かける数百匹ですよ? 一度に数万も沸かれたら対処なんか出来る物じゃない」
「それで、滅びた、と……」
「はい。欧米も研究用にと破壊をしましたが、全ての破壊はしませんでした。だから未だに抵抗が出来ています。我が国は幸いな事にひとつも破壊していません」
「なるほど。蛤石は絶対に壊せないんですね」
振り向いた蜜月が微かに笑んだ。風が吹き、外国の犬みたいな髪型が戦ぐ。
「見れて良かった。ここはもう、帰る場所じゃないと分かって、良かったです」
その笑顔を見て、泣いているな、とハクマは思った。帰る場所が無い事を確認する悲しさは、ハクマとコクマも知っているから。
前触れも無くハクマのヘッドフォンに通信が入った。
それと同時に、明日軌が蜜月を見た。緑色の左目に蜜月の顔が映っている。
「十一時方向に中型神鬼甲二と乙一が現れました。行きましょう」
ハクマが先導して小屋を出る。
「はい。――あの、これ、ありがとうございました」
礼を言いながら佐久間に望遠鏡を返した蜜月の前に立ち塞がった明日軌は、蜜月の耳元に唇を近付けた。
「気を付けてください、蜜月さん。何かが始まります」
「何か?」
「詳しくはまだ分かりません。良い事か、悪い事かさえ。私も気を付けます。――さぁ、行きますよ」
小屋を出て行く明日軌。
今のは何だったのだろうか。
気になるが、取敢えず指定された場所に向かわなければ。
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