第15話
ハクマが撃った一発の弾丸は、中型神鬼の黒く穿たれた様な右目に当たった。
撃たれた神鬼は怯んで足を止めたが、撃たれていない方の神鬼は構わず進んで来る。見た目通りの重そうな足音。地響きがここまで届いている。
「いく」
ぽつりと呟いたのじこが、敵に向かって走って行った。今までずっと戦ってきた妹社なので、動きに恐怖や迷いは無い。
「蜜月さん、散開しましょう」
「はい。教わった通りに動けば良いんですよね」
「そうです」
頷いた途端、コクマと同じ様な感じでハクマの姿が消えた。
「……行きます」
震える手で歩兵銃を構えた蜜月は、駆け足でのじこの後を追う。
すると、この場に居ないはずのハクマの声がヘッドフォンから聞こえて来た。
『蜜月さん、無理をしないでくださいね。初めての本番なので、今回は戦い方を良く見る事が大切です』
「はい」
この返事も向こうに届いているらしい。
丘を降り切った蜜月は、鬱陶しく雑草が生えている農道に立つ。
五十メートル程前方で歩いている直立した亀の様な神鬼は、ここから見ても大きい。体長は三~五メートルと教わったが、二匹共五メートル以上は有りそうだ。
そう思っている時には、のじこは物怖じする事無く神鬼に肉薄していた。
大木の様な腕を薙いで少女を殴ろうとする中型神鬼。蜜月は思わず悲鳴を上げそうになる。
しかしのじこは大袈裟に伏せてそれを避けた。
見ていて冷や冷やする。
だが、ただ見ているだけではどうにもならない。戦う為に蜜月もここに居るのだ。
なので、片膝を立てて歩兵銃を構え、援護射撃を試みる。
神鬼の弱点は教わっている。
中型以上の神鬼は、全身の皮膚が硬い鎧に変化している。人に例えれば分厚い爪に近い物だと言う。蜜月が持つ歩兵銃程度では表面に掠り傷を付ける事で精一杯らしい。戦車隊の集中砲火でも、鎧に当てているだけなら足止めにしかならない。
何も考えずに戦えば最強の生物だが、人が着る鎧と同じ弱点が有る。関節部分、つまり肘や膝の裏、首には硬い部分が無いのだ。
ハクマが撃った目も弱点だ。
また、皮膚が鎧化して分厚くなっている分、身体が重くて動作も鈍い。
だから蜜月が中型神鬼を倒そうと思ったら、後ろに回って膝の裏を狙うか、正面から目を狙う事になる。
それは敵も承知していて、だから大量の小型神鬼が中型神鬼を護っているのだ。
そのはずなのだが、のじこは小型神鬼を無視し、猿が木に登る様に中型神鬼の身体を登り始めた。そして、肩車の様に亀の首に跨るのじこ。中型神鬼の首は太いので、跨ると言うより、脚で挟んでしがみ付いている、と言った方が良いか。
その格好のまま、中型神鬼の首を殴る。
いや、違う。篭手に付いたスコップを柔らかい部分に突き立てているのだ。
中型神鬼が咆哮を上げる。洞窟に吹き荒ぶ風の様な声。
開かれた口も、目と同じく、黒い穴にしか見えなかった。
地獄の底から響き渡る様な声を気にも止めず、まるで土を耕すみたいにザクザクと首の後ろを切り付けて行くのじこ。中型神鬼から真っ赤な血が吹き出し、のじこの全身を濡らす。見ているだけでも気色の悪い光景だ。
その痛みに悶え、のじこを振り払おうと暴れる中型神鬼。亀の甲羅の様な鎧に邪魔され、大木の様に太い腕は首の後ろに回らない。
なるほど、あの位置なら絶対に反撃されないのか。この戦い方は、見た目よりも安全なのかも知れない。
片目を潰されたもう一匹の中型神鬼が仲間を助けようと、のじこに向けて腕を振る。
危ないと思い、歩兵銃を構える蜜月。
しかし初めて間近で神鬼を見たので、心臓が激しく躍っている。そのせいで頭に血が昇ってボーっとし、照準が定まらない。
下手に撃つとのじこに当たってしまうかも。
モタモタしている間に、もう片方の目から血が吹き出した。どこからかハクマが撃ったらしい。
両目を潰された中型神鬼は視力を失ってよろめいた。
『中型甲一、戦闘不能です』
ヘッドフォンから女性の声が聞こえた。雛白邸に響いた館内放送の声と同じだ。
のじこに跨られている中型神鬼の切られる音がザクザクからゴツゴツに変わる。首の骨にスコップが当たっているのか。
程無く中型神鬼は血を吹き出しながら仰向けに倒れた。
身軽に中型神鬼から飛び降りたのじこは、小型の頭を踏み渡りながら蜜月の方に戻って来る。
『中型甲二、倒れました。雛白自警団、前進』
返り血で真っ赤になったのじこは、赤い瞳を蜜月に向けながら、無言でその脇を擦り抜けて丘を登って行った。
のじこが通った後には生臭く鉄臭い血の臭いが残った。
『蜜月さん、妹社隊の仕事はこれで終わりです。後退してください』
「あ、はい」
ヘッドフォンから聞こえるハクマの声に従い、丘を登る蜜月。
入れ替わりに、その丘を沢山の戦車と迷彩服を着た男達が降りて行く。
主力を失って小型だけになった神鬼の群れは、農道で右往左往していた。
それを自警団の人達が撃つ。攻撃を受けた小型神鬼が反撃しようと自警団に向かって行くが、圧倒的な火力の前に成す術も無く倒されて行く。
そんな様子を眺めながら丘の頂上に着くと、ジープが戻って来ていた。
のじこは、その荷台に乗せられているポリバケツの水を頭から被り、全身に浴びた返り血を洗い流している。
数秒遅れてハクマも戻って来る。
「すみません。一発も撃たずに終わってしまいました」
蜜月が申し訳無さそうに言うと、ハクマは狙撃銃をジープに乗せながら微笑んだ。
「珍しく二日連続での襲撃でしたから、敵が少なかった。ですので気にしないでください。普段はもっと数が多い小型神鬼がのじこさんの邪魔をするのですよ」
その小型神鬼を歩兵銃で撃ち殺すのが、これからの蜜月の仕事だ。
ただ、今までハクマとのじこの二人で敵を倒して来ていたので、取って付けた様なそのポジションはそれほど重要ではないのかも知れない。
『戦闘は終了しました。各隊は帰還してください』
ヘッドフォンから女性の声が響くと、自警団の人達が丘を登って帰って来た。
のじこは犬の様に頭や腕を振って水を切っている。
「私達も帰りましょう。――そうだ、その前に。取敢えずジープに乗ってください」
「はい」
妹社隊の三人がジープに乗ると、ハクマは運転手に何やら耳打ちをした。するとジープは戦闘が行われた方向に走り出し、丘を降りた。
のじこはそんな事は気にもせず、血塗れのヘッドフォンから何かを剥ぎ取った。ヘッドフォンが返り血で汚れない様に、最初から水を弾く布で覆われていたらしい。
ジープは農道に沿って走り、二体の中型神鬼が倒れた場所で止まった。
「……これは」
中型神鬼の死体が砂に変わっていた。
しかし鎧は金属の様な光沢そのままの形で残り、沈み掛けた太陽の光を反射している。
「神鬼の身体は、土で出来ている様なのです」
「土、で?」
「だから死ぬと砂に変わる。砂に戻る、と言った方が正しいでしょうか。鎧は良質な鉄なので、回収されて素材として利用されます」
ジープを降りるハクマ。
「ほら、森重さんと会った時、あの建物は暑かったでしょう? あれはこれを溶かしているのですよ。のじこさんの篭手も、これを加工した物で出来ています」
ハクマは刀の鞘で神鬼の鎧を軽く叩いた。お寺の鐘を小突いた様な耳に心地良い金属音が響く。
「鉄資源の乏しいこの国が戦えるのはこれのお陰なのです」
蜜月が持っている歩兵銃も、日本刀も、銃弾も、全てこれで出来ているそうだ。
「皮肉な物ですね。仲間の死骸で人間の抵抗を受けるなんて」
「そうですね。では、帰りましょうか」
ハクマがジープに戻ると、数台の大型トラックがこちらに向かって丘を降りて来た。荷台に大勢の作業員を乗せている。
「あれが鎧の回収車です」
そしてジープは、回収車の邪魔にならない様に農道を大きく迂回しながら丘を登った。
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