レトロミライ
宗園やや
第1話
緑豊かな田園風景の中、蒸気機関車が黒い煙を噴き出しながら走っている。
カタンコトンと規則正しく揺れる客車に乗っている
流れて行くのどかな風景は見ていて飽きないが、硬い木の座席に長時間座っているせいでお尻が痛い。
ややすると人家の密度が濃くなって来た。機関車が街に入った様だ。
蜜月は、茶色い土の道路を歩いている人や自転車を目で追う。
人間と言う存在は、こんなに遠くに来ても普通に居るんだな。
何人も、何人も。
そして機関車は駅で停まり、客車に乗る人と降りる人が窓の外を行き来し始める。
ぼーっと人々を観察していると、駅弁売りの大声が聞こえて来た。沢山の弁当が入った木の箱を抱えているおじさんがホームを歩いている。
初めて見るので買ってみたいが、懐には切符しか入っていない。
一銭も持っていないのだ。
しょうがないから諦める。
凄く残念だけど。
「相席、良いかい?」
「え?」
不意に声を掛けられた蜜月は、背負っていた風呂敷包みを対面の席に下ろしているおばさんに顔を向けた。
「ここ、誰か連れが座るのかい?」
「あ、いえ。どうぞ」
蜜月の頷きを確認したおばさんは、荷物が沢山入っている風呂敷の横に自分も座った。座席はお互いの膝がぶつかるくらいに狭い。どうしてそこに座るのかと思ったが、大勢の乗客が乗って来たので、そこしか席が空いていなかった様だ。
「何だか泣きそうな顔をしてるね。ほい」
おばさんは日焼けした顔に優しそうな笑みを浮かべ、蜜月の右手を取った。
そして、その手に形の良いミカンを握らせる。
「いい着物着せて貰ってるんだからさ。それでも食べて元気出しなよ」
「あ、ありがとう、ございます」
すべすべとしたミカンを両手で持った蜜月は、小さな声でモゴモゴと言いながら愛想笑いを繕う。
汽笛が鳴り、再び機関車が走り出した。
客車がガクンと揺れ、風景が木造の駅舎から民家や道路に変わって行く。
蜜月は、桃色の桜並木が通り過ぎて行く光景を横目で見る。
ミカンを貰ったのは良いが、くれた人のすぐ目の前で食べるのは何と無く気が引ける。小心者の蜜月は、ミカンを掌で温める様に持って膝の上に置いた。
「お嬢ちゃんは一人かい? どこに行くんだい?」
暖かくて気持ち良い陽気なのに、おばさんは首に下げた手拭いで汗を拭いている。大荷物を運んで来たせいで暑いのだろうか。
話好きらしく、柔和な笑顔で蜜月の返事を待っている。答えても良いものかと一瞬迷ったが、隠す理由も意味も無いので正直に目的地を明かす。
「えっと、越後の名失いの街に」
「名失いの街って……あんた、そこがどう言う街なのか知っているのかい?」
おばさんは驚きの表情を隠さずに訊く。
「はい。その街で、お国の為に働く事になったんです」
「そうかい。あんたみたいな若い娘がねぇ。いくつ?」
「十四、です……」
私だって、行きたくて行くんじゃない。
そう思ったが、口には出さなかった。行かなかった場合も楽しい日々が待っている訳じゃないし。
そんな想いを誤魔化す様にミカンの皮を剥く。機関車が吐き出す石炭を燃やした煤けた匂いに馴れた鼻に、ツンとした柑橘の香りが刺さる。
おばさんは、思い付いた様に蜜月の着物を見た。これは蜜月の母親の形見の振袖で、桜と蝶の模様が豪華で気に入っている。形見と言っても、公式には生死不明なだけだけど。こんなにも興味深そうに見られると言う事は、もしかしたらそれなりに上質な着物なのかも知れない。
「どんな事情が有るか分からないけど――」
おばさんの話を遮る様に、花火が上がった様な爆発音がした。音の衝撃で、客車に乗っている大勢が一斉に身を竦めた。
何事かと窓の外に目をやる蜜月。
おばさんも話を止め、外に顔を向ける。
外は再びの田園風景で、民家はほとんど無い。
そんな風景の遠くの方で、キラキラと光る何かが黒煙を吐き出していた。
良く目を凝らして見ると、長い砲身を掲げてキャタピラで走る、戦車と呼ばれる物だと分かった。眩しく輝いている数台の戦車が農道に陣取っていて、派手な砲声を轟かせている。
何と戦っているのかと砲身が向いている方を見たが、黒い煤がこびり付いた窓枠が邪魔で先が見えなかった。
同じ客車に乗っている大勢の人達も、蜜月と同じ様に閉まった窓の外を窺っている。窓を開ければ良く見えるのに、どうして誰も開けないんだろう。
そう思って窓枠に視線を這わせると、おばさんに目ざとく注意された。
「窓を開けるのは止めときな。もうすぐトンネルだよ」
「?」
なぜトンネルだと窓を開けてはいけないのか。
不思議そうな顔をしている少女を見たおばさんは、仕方無さそうに説明してくれる。
「トンネルの中で窓を開けてると、煙が入って来ちゃうだろう?」
「あ、なるほど。そうですね」
機関車の黒煙は、普通なら空に消えて行く。
しかし、トンネルと言う閉じられた空間の中ではどこにも逃げ場は無い。
結果、篭った煙は客車の中に入って来る。
言われてみれば想像に難くない話だ。
折角の一張羅が煤で汚れるのは嫌だ。
普段着でも嫌だけど。
「『敵』の姿を見ようと思ったんですけど」
「敵、かぁ。なんでそんなもんが出て来たんだろうねぇ」
大袈裟に溜息を吐くおばさん。
間も無く機関車はトンネルに入り、客車は暗闇に包まれた。
明かりが無くて何も見えないので、蜜月は皮を剥いたままだったミカンを頬張った。甘酸っぱくて美味しかった。
車内が戦車の話題でザワザワとしている中、蜜月は正面に居るおばさんの話に付き合った。真っ暗なせいで他に出来る事が何もないので、おばさんが一方的に喋っているだけだが。
おばさんは行商をしていて、さっきの街とこれから行く街を往復しているらしい。
しかし『敵』が現れる様になってからは民間人が無許可で街の外に出る事が禁止された為、仕方なく機関車を利用しているんだそうだ。
汽車賃のせいで儲けが薄いとぼやくおばさん。
しばらくしてトンネルを抜けると、車内は一気に明るくなった。やはり外が見える方が良い。
それからも勝手に喋り続けたおばさんは、「機関車のスピードが落ちて来た」と言ってから大きな風呂敷を背負って立ち上がった。駅が近くなったので、すぐに降りられる様に準備している訳か。さすが乗り慣れている。
「じゃ、頑張ってね。無理するんじゃないよ」
「はい。頑張ります」
機関車が停まると、応援のつもりなのか、おばさんはもう一個のミカンを蜜月に握らせた。
そして手を振りながら機関車を降りて行った。
入れ代わりに若い男女が蜜月の前に座り、再び機関車は走り出す。
男女は夫婦らしく、相席の蜜月を気にせずに二人で楽しそうに話している。
聞き耳を立てる気は無いので、蜜月は窓の外に目をやった。蜜月の目的地は終点だ。まだ先は長い。
蜜月は、お尻の痛みを誤魔化す様に身動ぎしながらミカンの皮を剥く。空腹だからなのか、二個目でも美味しく食べられた。
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