愛に纏わるエトセトラ

内海 らう

第1話 常温


ただ平和であればそれでいいと思っていた。

障害なく平らで何の変哲もない人生でいいと。


欲、それは誰しもが持っている意識。

それを持っているが故に頑張れたり、落ち込んだり、命をかけたりと忙しそうにしている人が駅なんかをぶらぶら歩いているとたくさんいる。


毎日毎日そうやって、自分をすり減らしてまで欲を叶えようとうごきまわれるのはすごい事なんじゃないか、と思っている。

それをしていない僕からすればすごい事なんじゃないか、と。


別に自分が他とは違う孤高の存在だとか、他人には理解できない闇を抱えてるとかいう病的な意識があるわけではない。

ただ他人が自分の欲を満たしているのを傍観しているだけだ。

例えるなら、大切な探し物を探す前から諦めているようなそんな感じ。


食べ物は健康を保つためのもの。

勉強はある程度の常識を知るためのもの。

服はモラルを守るもの。

車はただの移動手段。


そんなものたちにわざわざお金や時間を使って派手にしたり、見せびらかしたりしていて疲れないのだろうか?と常々思っている。

趣味がない、と言えばわかりやすいだろうか


冷めてると言えば、そうなのだろう。

でもこれが僕なんだ。

そうやって生きてきたから今更変えることなんてできやしない。


毎日起きて食事をして仕事をして風呂に入って寝る、ということだけを繰り返してきた。

生ぬるい常温の世界で暮らしてきた。


それを不幸だとは思わないし、これ以上もこれ以下もない。

激しい喜びはない、そのかわり深い絶望もない。

そんな毎日を愛していた、んだと思う。


自分はこれから先も、死ぬまで”こう”なんだと思ってた。




でも、僕は出会ってしまった。


必然か偶然か、なんて腐るほど聞いたことのあるフレーズを使いたくなるような、

冷めた僕の心臓を熱い鉄の塊で撃ち抜くような、予想外な存在に出会ってしまった。


発端はある日の玄関チャイムが鳴ったことだった。


宅急便なんて頼んでいないのに誰だろう、と何も考えずにドアノブに手をかけた。

扉を開け、相手の姿をとらえた瞬間に身体中を電撃がはしったように僕は彼をみて硬直してしまった。


特に目立つ容姿ではない。

テレビや雑誌で見たことあるとか既視感もない。

少し童顔な黒髪黒目の至って普通のどこにでもいそうな日本人だった。


理由はわからない。でも彼を見た瞬間熱い塊が体の中に投げ込まれたように、生き別れた恋人と再開するような心の揺れを感じた。


固まっている僕に彼は大丈夫か、と声をかけてくれたが僕はどうすればいいのか判断出来ず思いきり俯いてしまった。


しまった、これじゃあ感じが悪いやつじゃあないか。と咄嗟に思い直し顔を上げたら、なんと彼は面白そうに目を細めていた。


彼は隣に引っ越してきた者だと挨拶をしに来たようだった。

彼が笑っていることに困惑を隠しきれない僕をみてすみませんと詫びた後に面白い人ですね、とまた笑いながら目を細めたのだ。


どうしようもなくその笑顔に僕の胸は苦しくなった。

これが世に言う一目惚れ、というやつなのだろうか。


彼を思うと熱に浮かされ意識がフワフワとどこかを浮遊しているような気分になる。

いや、実際浮遊しているのではないだろうか。


彼がもってきた手土産を受け取り扉を閉めた頃には崩れるように床に座り込んでしまった。


まるで思春期の子供のよう”愛”や”運命”と言った単語を片っ端から調べたり恋愛ものの小説をネット注文した。


自分にはまだ知識が足りないのだ。

愛だとか恋といった感情に左右されるものを持ち合わせていなかったから、この胸の鼓動はおさまらないのだ。


理解できたらおさまるはずだ、確証はないが何もしないよりはいい、今は調べることしか出来ない。


そうやってノートパソコンの画面に張りついたまま、気づいたらさっきまでの窓の外のオレンジはすっかりとミッドナイトブルーに色を変えていた。


電池の切れた玩具のようにベットに倒れ込んだ僕は、今までの考えを一瞬でねじ曲げた彼のことを考えていた。


まだ名字と猫のように目を細めた笑顔しか知らないというのにどんな本が好きだろう、甘いものは好きだろうか、と思いを巡らせているその時間は


僕の中に甘く蕩けて染み込んでいった。

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