タイムリープ・インシデントレポート

あにのおとうと

第1話 院生

これ以上バイトしたら死ぬかも。

今月に入って何度目の連続当直だったろうか。


もうろうとした意識で、日付と曜日の感覚が曖昧になりながら、

ケイは7年落ちの愛車のシートに身をうずめ、帰途につく。


自動運転さまさまである。

これがなかった時代、いったい何人の諸先輩が、当直明けに犠牲になっただろう。

それは大抵においては命に関わらない、

されど大小様々なしょうもない交通事故、法規違反。

しかし確実に身銭を奪い、バイト代をすべて台無しにしたであろう。

バイト先の病院は、交通費はくれるが、その安全は保証してくれないし、

違反や事故の補償をしてくれただろうか。


ぴったり到着予想時間、都内のワンルームに戻ると、

コンシェルジュ端末に、モーニングコールを頼み、ベッドに潜る。

17時からは次の当直バイトだ。


なぜそのバイト先の病院に行かなければいけないか、

細かいことは覚えておく必要もないし、

電子マネー口座にはバイト代が事前入金済み。

仕事内容を神経同期させるのは、行きの車内でもよいだろう。

とにかく今は寝たい。


脳への負荷数値は80%を超えており、

人体の中央監視システムに警告されずとも、処理能力が落ちているのは明らかだ。

こんな数字なんの意味がある。


24時間というルールは今でも全人類に平等であり、

それなりの睡眠が必要という本能は、いまでも克服できていない謎の仕組みだ。

せいりがくのニシダせんせい、はやくなんとかしてほしいな、

そうおもいながら、いしきがとだえた、ねむい。


AIによる診断と治療が一般的になり、世界は医者を必要としなくなった、

そんな理想郷が来るはずだった。

果たしてどうだろう、今なお、ケイのような大学院生は日夜バイトに明け暮れる。


なぜだ。

不思議なことに、この業界、

いつも仕事量を絶妙に下回るマンパワーを供給するのを得意とする。

技術の進歩は、新しい欲求を産み、少しずつ、確実に不老不死を目指した。


人工臓器のどこそこにエラーメッセージが出ているだの、

年1回の人間ドックでのフルメンテナンスではオールグリーンなのに、

やれあそこが痛いだの、気持ち悪いだの、コンビニ受診は悪化する一方だ。


政府広報CMで、

「まずはお手持ちの遠隔医療端末にアクセスし、

おからだの状態を確認してから受診してください。

適正な病院利用にご協力を!!」

と、どんなに喧伝されていても、

病院を目指してとりあえず直接やってくる、患者がわの意識は変わらない。


もはや人口バランスなど意味を成さず、ひとにぎりの若者が、

膨大な数の高齢者、時間をもてあました超絶健康集団を支えている。


このすばらしき人類の栄光の時間軸を、時空テロで改変してやりたい。

抗生物質の歴史的発見を妨害してやろうか。

それじゃ足りないか、

ヒポクラテスの暗殺くらいやってのけなければいけないのか。

そんな医科学の歴史に対する破壊衝動、

ふりあげたコブシの降ろしどころがないのも、ケイはよく知っている。

可能なことだが、意味がない。



前世紀の末に、

突如発表された、ひとつの論文と特許技術


タイムリープ -時空移動- の仮想空間<<VR>>における限定的実用化



『のちにGoogle社に買収されることとなるベンチャー企業集団』

そんなあまりによくあるテンプレートに乗っかった天才たちが、


『まるで酔っぱらった勢いで確立してしまった嘘みたいなヤバい技術』

そんな寒々しいボキャブラリーでしか表現できない、

本物の技術革新がおきてしまったのは、ケイが生まれるずっと前。


「それはまったく人類を幸せにしないだろう」という、

前タイムリープ世紀のご先祖様たちがなんとなく予想していた答えは、

おおむね正解だった。


かつてインターネットと呼ばれていた不毛な争いの空間が、

いまや時空にまで拡張して小競り合いを続けている。

国も個人もどんどん垣根がなくなっていったようで、

それでいてまた細分化もされていき、

やっぱり小さな争いがなくならない。


頻発する時空テロ、

いつになってもヒトの敵はヒトであった。

AIが反逆をおこす気配はいまのところない。

『電子戦』、『宇宙戦』を経て、現代の『時空戦』。


「おまえのかーちゃんでべそ!」

と、ののしりあい殴り合っていたのが、


今では、

「祖先が保有していた例の遺伝子が、後の3世代まで伝達されたから、

おまえの遺伝学上の母親は、鼻稜の高さが偏差値40以下の劣等民族だ!」

というレベルの紛争に変わった。


それほどまでに進歩した。それを進歩と呼ぶならば。


人類は歴史から何も学ばない、争いは近いレベルでしか起きない、

それらの金言は、なお生き続けている。


バイト先へ向かう車内で、

実家の母から届いていたインスタントメッセージが神経に同期された。


「お父さんが先日、患者さんからもらった、

大量のみかんがうちに余っているので送りますね。

どうせAmazonの定期お弁当配送たべてばかりなのでしょう。

大好きなウインナーも近くの精肉屋さんで買ってきたから、

一緒にいれておきますね w」


w をつかうという、

前タイムリープ世紀で流行ったスラングを映画で覚えたらしく、

おそるおそる最後に使ってくるあたりが本当にウザい。

インスタントメッセージという手段を愛用しているのも実にウザい。


ケイも歴史から学ばない。どんなにこの世界が過酷であっても、

本能的な欲求には勝てないのだろうか、


『この仕事が好きだから』

という、身もふたもない、古くさい言葉が生き続けているかぎり。

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