第19話 牢獄の中で
さて、どういうことだろう、と、ひんやりとした石壁に背を預けながらリルは考える。
魔法陣に刻まれた行き先が変化したのを見た記憶はある。しかし、それからここ――三方を石壁に、一方を鉄格子に囲まれた場所に至るまでの記憶はない。
先程目が覚めたことからすると、恐らく気を失っていたのだろう。
(これっていわゆる牢獄、だよね……)
イースヒャンデにはこういった場所は存在しないが、文献等で目にしたことはある。むしろ牢獄以外のものと考える方が難しい。
(でも、何で?)
可能性として考えられるのは、アル=ラシードを誘拐した犯人であると誤解された、ということだ。
アル=ラシードが宮から居なくなった後、その出来事がどういう扱いをされていたかは知らないが、行方不明になった第二王位継承者と共に居たとなると、そう考えられても仕方がない。
魔法陣自体に施されていたのだろう、行き先を変更する細工も、アル=ラシードに反応して発動したようだった。騒ぎになっている様子は見受けられなかったが、アル=ラシードの捜索は行われていたのかもしれない。
しかし、それはともかくとして、こうして牢獄に囚われている現状に甘んじているわけにもいかない。
(多分だけど、わたしが気を失ったのって魔法陣のせいだよね。ってことは、アル=ラシードも気を失っただろうし……)
だからリルが誘拐犯(仮)だという誤解がそのままになっている、と考えるのが妥当だろう。いくらなんでも、リルが無実だとわかっていながらアル=ラシードが誤解を放置するとは考え難い。
(……【焔】)
感覚からして、恐らくはこの牢獄に何らかの妨害作用があるのだろう。
(まず、ここがどこかが問題だよね)
行き先を示す部分が変化したのは確認したが、それを読み解くまでは至らなかったため、正確な現在地がわからない。
シャラ・シャハルの王都を示す部分は変化していなかったから王都内のどこかであることは間違いないはずだが、少なくとも王都中央『
それに、気を失っていた間に違う場所に移動させられた可能性もある。共に転移したはずのアル=ラシードが居ないこともあるし、リルかアル=ラシードのどちらか――もしくは両方が移動させられたのはほぼ確実だ。
(
滅亡した、魔術隆盛の源となった大国が技術の先端を担っていたこともあり、その国が滅びてから、魔術に関わるものも徐々に失われていった。
『魔法大国』シャラ・シャハルは、失われた魔術を追い求める人々によって興ったと言われているし、こういうものが残されていてもおかしくはないのだが。
(……元の時代に戻れたら、とりあえず兄さまたちに知らせたほうがいいかな)
過去の『遺物』と言えるこの牢獄の存在を放置するか否かは、自分が判断することではない。知ってしまったから伝えるだけで、その後のことはリルには与り知らぬことだ。
――まあ、そもそも現時点では元の時代に帰れるあても無いに等しいのだが。
『ひとつの事象が起こった場合、それは高い確率で再現性がある。再現が不可能な事象というのは無いと考えてもいいだろう。事象が起こったというそれ自体が、それを故意に起こすことのできる可能性を肯定している。一見再現できないように思えても、それは再現するための環境が整っていないだけだ。自分の気付かない要素がそこに介在しているのだと思え。思考停止は害悪だ。諦めた時点で可能性を死滅させることと理解しろ』
自分の興味のある分野以外には口数が少なく、興味のある分野に関しても己の考えを垂れ流すだけに等しいシーズだが、それでも時折リルに知識を与えるような物言いをすることがあった。その言葉を思い出し、諦めの方へと傾きかけた思考を立て直す。
(……元の時代に戻れるかどうかじゃなくて、戻るんだから。兄様たちだって心配してるだろうし)
恐らくは原因究明に全精力を傾けて、遠からず突き止めてくれるだろうと思える。……むしろ原因が解明できなかった場合が怖い。
なりふり構わず原因を突き止めようと奔走するだけなら良いが、原因の『可能性』を確認する――潰していくために周辺諸国の掌握くらいはやりかねない。
最悪の想定をしてしまい、少し不安になったリルだったが、あの兄達が揃っていながら原因が皆目見当もつかないということはないだろうと自分を慰める。
そもそも行方不明(恐らく)になってからそれほど経っていないはずだ。そこまで短絡的に動いたりはしないだろう。
そんなことを考えていると、微かに足音が聞こえてきた。建物の造りのせいだろう、反響して聞き取りにくいが、階段らしきものを降りてくる音がする。
耳を澄ましてそれを聞きながら、リルは不安がじわりと心に浮かぶのを感じた。
(間違いなく誰かが近付いてきてるはずなのに、どうして気配がしないの?)
ファレンに叩きこまれたおかげで、気配察知能力は高い方だと自負している。ファレンのように気配だけで性別年齢戦闘能力その他諸々を読み取るなどという芸当はできないが、少なくとも『そこに居る』ということだけならば確実に察知できるようになった。
それなのに、リルの感覚は『自分以外は誰も居ない』と伝えてくる。――より正確に言えば、『気配を発するような生物は存在しない』と。
気配を殺している、というわけではないのは、全く隠す様子の無い足音からわかる。ならば、この不可解な感覚の相違の理由は――。
「…………」
かつん、と音を立てて、一つの影がリルのいる牢の前で立ち止まった。その姿を目前にしても、やはりリルに生物の気配は感じ取れない。
丈の長い、リルには見慣れない意匠の服を身に纏い、目深に被られたフードがその風貌を隠している。故に、判別できたのは、体格からして男性だろうということくらいだった。
無言のまま片手を上げたその人は、鉄格子の一部に触れた。リルに聞き取れないほどに低く何事かを発すると、その触れた鉄格子を起点に全ての鉄格子が揺らいだ。
水面に波紋が広がるように数回波打ったかと思えば、瞬きの間に鉄格子そのものが消失する。まるで最初から何も存在しなかったかのように。
「……主が、対話を望んでいる」
抑揚なくそれだけ口にすると、仕草だけでリルを促して、その人は来た道を戻り始めた。
新たに拘束することもなく、あまりに無防備にさらされたその背中に、手立てを講じて逃げ出すか、このままついていくか、リルは一瞬迷った。しかし。
『相手の実力がわからない状態で勝負を仕掛けるのは、よっぽど自分に自信があるか、よっぽどの馬鹿か、そうするしかない状況に置かれた人間だけだぞ、リル。つまりお前はそうするしか活路が無いってときだけしか、自分から勝負を仕掛けたらダメだってことだ。……まぁ無いと思うが、もしそんな場面になったら迷うなよ。迷いがあるなら仕掛けるな。迷いながら勝てるような相手なら、そもそも相手の実力がわからないなんてことはないからな』
脳裏に甦ったファレンの教えに、リルは逃げ出すことを選択肢から外した。
自分との対話を望む人物がいるというのなら、ある程度の身の安全は保障されているだろう。あえて危険を引き寄せる真似をするよりは、相手の出方を窺った方が良い。何らかの情報――特にアル=ラシードに関しての――が得られる可能性も高いのだし、『対話』というからにはこちらの発言も許されると考えていいはずだ。
意を決して、リルは先を行く人物を追いかけるために、足を踏み出した。
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