第11話 アズィ・アシーク 3
「ねえ、少し気になったんだけど」
『間隙』を出て、慣れない砂地に足をとられながら何とか歩みつつ、アズィ・アシークにおける注意事項(ザード作)をアル=ラシードに伝え終えたのが少し前。
無言で歩き続けるのも気が滅入るな、と思って話の種を探していたのだが、ふと疑問を抱き、リルはアル=ラシードに視線を向けた。
「何か?」
アル=ラシードは、最初こそ何度か転んだものの、だんだんコツが掴めてきたらしい。足元に注意を払い続けずとも大丈夫だと判断したようで、不思議そうにリルを見上げてきた。
ちなみに焔は、魔力の消費を抑えるために
リルはアル=ラシードを見つけたときのこと、そして彼の言葉を思い返しつつ、抱いた疑問を口にした。
「君が誰かの手によってここに連れて来られたんなら、その連れてきた人ってアズィ・アシークを確実に抜けられる算段があったっていうことになるよね?」
すると、アル=ラシードはそのことに思い至っていなかったらしく、初めてそれに気付いたように目を瞬いた。
「……あ、ああ。そういえば、そういうことになるのか。アズィ・アシークを抜けられるかどうかというのは、ほとんど運による――と聞いていたのだが、そうではなかったのか?」
「わたしもそう聞いてるんだけど……兄様とかは規格外だし」
アズィ・アシークは、まだシャラ・シャハルも存在しなかったような遠い遠い昔に、魔術を生み出した大国があった場所にある。その国は、大きすぎる力を持ったがために内乱を起こし、何も残さず滅びた。
それは禁じられた魔術によってのことだったらしい。その魔術の影響なのかそうでないのかは定かではないが、その国があった場所から『外的魔力』が失われてしまい、【禁智帯】となった。そしてその周囲を、国防のためだったらしい結界が覆っている状態だ。
アズィ・アシークを抜けられるかどうかが運によると言われているのは、その結界がアズィ・アシークから出るのを阻むからだ。
元々は外敵を拒むためのものだったが、【禁智帯】になると同時に効果が反転したらしい。侵入を拒むものではなく、内から出ることを許さないものへと変質している。
アズィ・アシークから出ることができた幸運な者たちは、結界の綻びがある場所にたまたま行き着いたか、もしくはアズィ・アシークから『はじかれた』のだろうとシーズは言っていた。
結界自体の強固さは、今現在まで残っているという時点で言及するまでもないものであるが、変質した影響なのか、稀に綻びが見つかることがある。
ただし、結界には自動修復機能もあるので、一度見つかった綻びがいつまでも残っているということはありえないのだが。
アズィ・アシークを含む【禁智帯】は、言ってしまえばこの世の理が通じなくなっている異空間に等しい。故に、『どこか』へ繋がる歪みのようなものが現れることがあり、それによって【禁智帯】の外にとばされることを、『はじかれる』とシーズは表現していた。
それに遭遇してアズィ・アシークを抜けられるかどうかは運以外の何ものでもなく、アズィ・アシーク内の別の場所に繋がる確率のほうが高いらしいので、確実に抜けられる手段というのは流布していない。
シーズの要請で度々アズィ・アシークを訪れているザードはと言うと、歪みを利用するのでも、結界の綻びを利用するのでもない、裏技ともいうべき方法で出入りしている。
その方法はリルには使えないものなので、リルはシーズが研究によって生み出した、魔術を一時的に無効化する方法で結界を抜けようと考えていた。
しかしその方法は一般に知られているものではない。魔法ならともかく、魔術はその希少さもあいまって、現在ではあまり研究が進んでいないのだ。
魔術が一般的だった頃はその限りではなかったが、魔術を生み出した大国が滅びたときに、魔術に関しての技術や記録はほとんど失われたと言われている。
だからこその疑問だったのだが――リルには一つだけ、心当たりがあった。
聞くか聞くまいか悩んだ挙句に、しどろもどろに切り出す。
「その……答えられないならそれでいいんだけど、シャラ・シャハル王家に魔力がない人っていない?」
「魔力がない人……?」
途端怪訝そうな顔になったアル=ラシードに、リルは肩を縮こまらせた。
(『魔力がない』っていうか、正確には『発現因子』がない人なんだけど、その辺の説明、わたしじゃうまくできないし。そもそも信じてもらえるかわからないし。一般的には『魔力がない』って認識になるはずだから、間違ってはないよね? ……でも、この様子だといないのかな。シャラ・シャハル王家なら条件も揃ってるから、居てもおかしくないと思ったんだけど)
リルの言葉の意味を汲み取れなかったのか、俯き気味に考え込んでいたアル=ラシードは、しばらくして得心いったように顔を上げた。
「それはつまり、他者に感じ取れないほど弱い魔力しか持たない人物が居るかどうか――我が王家に不義の子が存在する否かを聞いているのか?」
「え!?」
「違うのか?」
予想外なアル=ラシードの言葉に驚愕の声をあげると、アル=ラシードもまた驚いたように目を丸くした。
「違うよ! 正統な血をひいてるのに魔力を持たない人がいないかってこと!」
この世界では、魔力というのは大なり小なり誰もが持っている――というのが一般的な見解だ。他人が感じ取れるほどの魔力を纏うのは魔法士や魔術師、もしくはその才覚がある者がほとんどで、それは生まれたときから無意識に魔力によって身体を守ろうとするためだ。
魔力の強さは遺伝するものではなく、魔法士の子が魔法士になれるほどの魔力を持って生まれるとは限らない。
――しかし、例外も存在する。
それが、シャラ・シャハル王家を筆頭とするような、連綿と続く強力な魔力血統だ。
血をひくものが『必ず』強い魔力を抱いて生まれるとされる血統。大体においてその血統は、長い時を経て認知され、神格化されていく。
結果、王家やそれに連なるものとなるのが通例だった。
「いや、それならばやはり、不義の子が居るかということではないのか?」
「……どういうこと?」
十歳を過ぎたばかりだというアル=ラシードの口から『不義の子』などという言葉を聞くのは大変微妙な心地だったが、それに目を瞑って問いかける。
「我が王家において、強い魔力を持たぬ者というのは、国生みの精霊に認められていない――正式な契りを交わしてない男女間の子供だけだ。正式な契りを交わしているならば、どんなに血が薄くとも、魔法士になれる程度には強い魔力を持って生まれるはずだが」
「…………。そうなの?」
「ああ。……知らずに尋ねたのか。それで、それがどうかしたのか?」
「え、っと、その……魔力がない人なら、アズィ・アシークを抜けられるはずなの。理論上は、だけど」
ある程度以上の『魔力因子』を保有し、『発現因子』を持たない者――長く続く魔力血統にこそ現れる、その性質を持つ者は、アズィ・アシークを覆う結界を抜けられる。
詳しい仕組みまではリルは知らないが、『そう』であることだけは教えられていた。
その実例を知っている――故に、何らかの要因で己がアズィ・アシークと外界を行き来できると気付いたシャラ・シャハル王家の誰かが、その特質を使ってアル=ラシードをアズィ・アシークに閉じ込めようと画策したのではないかと思ったのだが……アル=ラシードの言を信じるなら、その考えは間違っていたことになる。
(……でも、他にアズィ・アシークを確実に抜けられる方法なんて、シーズ兄様並みの研究馬鹿――じゃなかった、魔術に関して研究熱心な人が開発とかしてない限り無いと思うんだけど。そもそも今は『過去』だから、そんなのがあったなら兄様たちが知らないはずがないし。だとしたら、アル=ラシードが知らないだけ……? でも、『魔法大国』で、しかも魔力血統――王家の血をひいてる人間が、それを隠すことなんてできる?)
考えれば考えるほど深みにはまっていくような気がして、リルは頭を軽く振って一旦それについて考えるのを止めることにした。
アル=ラシードをここに連れてきた人物がどんな手段でアズィ・アシークを抜けたにしろ、一度失敗した計画を再度実行に移すということは考えにくい。
(それに、もしアル=ラシードの知らない誰かが『そう』だとしても、多分私には何もできないし――『しちゃいけない』んだよね……)
ザードほどに臨機応変に対応できる能力があるのなら別だが、ここが『過去』であることを抜いても、リルが――というよりは
きっとリルが望むなら兄たちも両親もそれを許してくれるだろうけれど、だからこそリルはそれに甘えてしまいたくなかった。
かといって、それですべてを割り切ることもリルにはできない。リルが思う通りの人物が存在するなら――しかも『魔法大国』シャラ・シャハルに存在するなら、その人が辛い境遇に置かれている可能性は限りなく高い。
ましてや、『魔力がない』と判断されることが、『不義の子』である証となってしまうらしい、シャラ・シャハル王家の人間であれば尚のこと。
(今ここでこうやって考えても仕方ない、か……。まずはアル=ラシードを無事にアズィ・アシークから連れ出さないと)
どちらにしろ、今リルにできるのはアル=ラシードをアズィ・アシークから連れ出すことだけだ。それ以後のことは、それが叶ってから考えても遅くはない。
リルは気を取り直して、アル=ラシードに別の話題を振ることにした。
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