第7話 番長という圏ガクの法

 室内の電気だけ切り、男はオレの手を取ると迷う事なく廊下へ出た。このまま番長なんて時代錯誤な肩書きを恥ずかしげもなく名乗るような奴の所へ連行されるのは、御免被る。部屋の施錠もせず歩き出す男に、自分の足を止める事で待ったをかけた。


「どうしたんだ? 忘れ物か?」


 強くもなく弱くもない、でも簡単に離してくれそうにない腕を掴む手。まず、これをどうにかしないと。


「すいません。すっげぇ今更なんですけど、靴を脱ぎ忘れてて……すぐ、脱ぎますんで、手を離してもらっていいですか」


「おぉ本当だ。土足かー、気付かなかったな。でもまあ、すぐ外に出るから、そのままでもいいんじゃないか」


 一応校内だからと、白々しい事を言うと男はすんなり手を離してくれた。これで枷はなくなった。靴を脱ぐ振りで屈み、思いっきり廊下を蹴れる体勢を自然と作り、男の視線が自分から外れた一瞬、全力でその場を離脱する。


「セイシュン、往生際が悪いぞ」


 行けると思った次の瞬間、思いっきり首にパーカーが食い込み息が詰まった。パーカーのフードを男に掴まれたらしく、もう一度グイッと引き寄せられると、困ったような顔をした男と気まずい対面をする。


「お願いします! 見逃して下さい!」


 逃げるのが無理ならば頼むしかない。形振り構わず、勢い良く頭を下げた。


「今逃げたって解決しないだろう。ちゃんと話つけとかないと大変だぞ」


「姿は見られてないんです。だから、その」


「言わなきゃ分からない、か?」


 真剣な顔をした男を正面から見上げる。そしてその目を見ながら深く頷くと、男は大きな溜め息を吐いた。フードから手を離した男は、今度はその両手でオレの両腕を押さえ、視線を合わせるよう少し屈んだ。


「そんな甘い考えは止めておけ。もうお前の事は知られてる」


 嘘を吐いているような顔じゃあない。この男がその番長とやらに報告したのだろうか。違反者を捕まえると何か褒美的な物が出るのだろうか。だから、あんなに親切にしてくれたのだろうか。


「多分、お前を探してた奴らが、すぐに一年の寮で点呼を取ってるぞ。その時に居ない奴が侵入者だろ……それくらい普通にやるんだよ、ここは」


 なんせ同じ敷地内で生活してるんだからな、と困ったように笑う男を見て、何故か安堵している自分がいた。男の関与がどうであれ、夜中の校舎に侵入した事がばれている現状は、何一つ変わらないのに。


「恐いか?」


「……別に……恐くないし」


 精一杯の強がりを口にすると、男は大きな手でオレの頭を揺するみたいに撫でた。


 改めて現状を説明されて、他人事のような気持ちは吹っ飛んだ。ちょっとした暇つぶしが、大事になってしまっているようだ。


 昼間にスバルが暴れてくれたせいで、一年への上級生の目はだいーぶ厳しくなっているらしい。確かにオリエンテーションで、そのような事を寮長も言っていたが、こんなに早く身を以て知るとは思わなかった。別に誰かに迷惑かけた訳でもないのに、どうしてこんな目に遭うのかと文句を言うと、


「規則なんて、案外脆いもんなんだよ。一人守らない奴を放っておくと『あいつもやってる、なら自分も守る必要ない』って話になってさ、ウチみたいな学校は、まあ集められてる奴らの顔見りゃ分かると思うけど、すぐに無法地帯になって割と洒落にならん事になるんだ」


圏ガクらしい理由を根拠に窘められた。確かにネットや噂で見聞きした圏ガクのイメージは、無法地帯という言葉が当て嵌まるのだが、実際に体験した圏ガクでの一日は割と(全てとは決して言えないが)まともな『学校』だった。まあ、まともでない部分の方がインパクトは大きいんだが。


「俺らが一年だった時は、かなり酷かったからなー。また地獄みたいな学校にならないように、厳しく指導していくって方針なんだと思う」


 厳しい指導と聞いて、やっぱり体が強ばった。番長なんてモノがのさばる場所で使われる『厳しい指導』の内容が気になって、更に足が重くなるのを覚悟して、これから何をされるのかを聞いてみた。


「そうだな……昼間の事もあるからな、見せしめの意味も込めて全治一週間って所だろう」


 怪我するのが大前提とか、どんだけ分かりやすいんだ。靴底を引きずって歩いていた足が止まってしまうと、男はうーんと唸り訂正した。


「ウチの校医な、棺桶に片足突っ込んだ爺さんなんだけど、その人が言う全治一週間だから……そうだな、ちゃんとした所で診てもらったら全治一ヶ月くらいかな」


「指導ってか、ただのリンチじゃねーか!」


「まあ、そうかもしれないが、その言い方だと身も蓋もないから……ん、交通事故にでも遭ったと思えばいいんじゃないか」


 オレをセイシュンと呼んだ時と同じ顔して、とんでもない事を言いやがった。握られた手を振りほどいて、なんとしてでも逃げてやると、必死で腕を引っぱるが全く緩まりもせず、仕方なく離せと睨み付ければ、物騒な事を言っているのに微塵も雰囲気を濁らせない男は、こっちの切羽詰まった気持ちも知らないで穏やかな口調で続ける。


「そうさせない為に俺が一緒に行くんだろ。大丈夫だよ、俺も一緒に怒られてやるから」


「一緒に殴られるって言うのかよ」


「まさか。俺だって痛いの嫌だからな。ちゃんと謝って許してもらうんだよ」


 謝って許してくれるような連中なら、間違ってもちょっと校則破った程度の奴を全治一ヶ月になんてしない。抗議の意味を込めて、思いっきりジト目を向けてやると、男は腕時計で時間を確認して、少し真剣な顔を見せた。


「少し急ごう。あまり遅くなると真山以外の奴まで出てくる」


 真山ってのが番長なのかと聞くと、そうだと男は答えた。


「真山一人と話すか、真山とその取り巻き連中まとめて相手するか……セイシュンはどっちがいい?」


 意地悪な質問だ。夕べ部屋の外に居た連中を思い出すとゾッとする。朝からあのテンションではないだろうが、選ぶなら迷う事なく番長一人とがいいに決まっていた。渋々、歩き出したオレに、男はもう一度「大丈夫だから心配するな」と言ってくれる。今はその言葉に縋るしかなさそうなので、男を無条件に信じてしまう自分へのツッコミは止めておこうと思った。


 番長への目通りは絶対避けられない、この現状を受け入れてしまうと、今度は別の事が気になりだした。考えまいとすればする程に、顔に血が昇ってくる。意識するせいか、自分の手がじっとり濡れているような感じがして、余計に気が気じゃなくなる。


 食堂で狭間が顔を打ち付けたみたいに真っ赤にしていたのを思い出して、今その時の狭間と同じような顔をしているであろう自分が、とてつもなく恥ずかしくなっていた。部屋に無事戻れたら狭間に謝ろう。人に手を引かれる事が、こんなに恥ずかしいとは思わなかった。


「先輩! 手、離して下さい。もう、逃げたりしないから」


 堪らなくなって、また手を振りほどこうとオレがじたばたしていたら、男は少し怒ったようにこちらを見た。


「六回だぞ。部屋出て、十分も経ってないのに、それだけ無理矢理逃げようとしたんだぞ。セイシュンの信用度はほぼゼロだ。無理な相談だな」


 確かに諦めきれずに何度か挑戦はしてみたが、今は改心して大人しく後を付いて行く所存だ。


「別に痛くないだろ? そんなに強く握ってないぞ」


「そうじゃなくて! 恥ずかしいだろ。子供じゃねーんだぞ。誰かに見られたらどう責任取る気だ」


 ついタメ口になってしまったが、男はそんな事を気にするような人ではないらしく、普通に大丈夫だろうと返してきた。


「まだ誰も起きてないよ。今四時だからな」


 そりゃそうだけど、オレが今この瞬間持て余している恥ずかしさをどうにかして欲しい。そう主張してみたが、当然聞き入れられず、オレは悶えながら男と手を繋いで校舎を出たのだった。


 外へ出て男が足を向けたのは、三年が生活している新館ではなく、逆方向にある体育館だった。この男もそうだが、三年になると好き勝手に寝る場所を決めれられるのだろうか。それにしても……体育館で寝起きする番長とか、もう、どう解釈すればいいのか分からない。


 フェンス越しの森から滲み出るように、辺りは薄もやのような霧が漂っている。僅かに朝の気配も混じっているが、まだまだ暗い。そのおかげか、校舎の外に出ても、現状の不本意な姿を誰かに見られるのではないかという心配は大きくならなかった。そう思うより前に、外の寒さのせいで、むしろ手のひらの温かさが、多少、本当にちょっとだけだが有り難かったせいもあるかもしれないが。


 体育館の扉が近づき、いよいよかと少し緊張してきたオレだったが、どういうつもりか男はそこを素通りした。黙ったままの男に、いい加減どこに行くのか教えろと催促すると、何を今更という顔で「番長の所だろ」と答えた。


「だから、その番長は何処にいるんですかって聞いてんだろが」


 なんか調子狂う。つい下手に出る事を徹底出来ない。この調子で番長と対面って、ヤバイんじゃないか、オレ。


「あーそういう意味か。悪い悪い」


 暢気そうに笑う顔を見ていると、もう地でいいんじゃないかと思えてくる。バカみたいにデカイくせに全く威圧感がないせいだ。単に長身なだけでなく、オレ程度なら押しても引いても動きそうにない体格をしているのに、それを使うというイメージが全く浮かんで来ないのだ。暴力という言葉が、ここまで似合わない大男というのも、珍しいのではないかと思う。


「毎日欠かさず朝練やってるんだ。誰よりも早く来て一人で黙々と走ってるの見た事あってさ。時間が経つにつれて、どんどん増えてくんだけど……今日は真山もまだ来てないみたいだから、部室の前で待ち伏せしてやろうと思ってな」


 目的の場所は部室棟ならしい。しかし、毎朝一人で朝練してる番長ってどうなんだ。番長とか言いつつ、めちゃくちゃ健全すぎて、全くどんな奴なのか想像出来ない。もしかして、すっごい真っ当な人なのかもしれないと、希望が湧いてきた。


「ほら、あそこだよ。あの派手なの、見えるか? あれが目的地だ」


 体育館によって遮られていた視界が開けると、男がオレの質問に答えをくれた。それと同時に一瞬でオレの中に湧いた希望をぶち壊しもてくれた。


 昨日も部室棟を遠目に眺めたのだが、その時はちょうど裏側を見ていたようだ。運動場に面した出入り口の並ぶ正面は、大自然に囲まれたのどかな学校と呼ぶには無理のある、実に圏ガクらしいセンスで塗りたくられていた。


 ちょっと落書きしてみました的なノリではない、場所が違えばアートとして通りそうな絵が、一部室だけにとどまらず、数件またぐと言うか浸食する形で描かれている。


 モチーフは拳を振りかざす髑髏、もちろん拳も骸骨な訳だが、えらく筋肉質な骨太だった。絵と一体化した壊れた壁が、その武闘派度合いを表している……のか? 前衛的な背景はなんかどっかで見た事あるような、ちょっと罰当たるんじゃねーのと思ってしまうような絵画を大鍋に放り込んで煮込んだみたいな有様で、そこら一帯は、一言で言うなら異様と言うか異常な空間だった。


「ちなみに聞きますが、美術部か何かですか、あの部室を使ってるの」


 立ち止まり時間を稼いで、逃げ出す心積もりをしておこう。それを見抜かれたのか、握られた手に力を込められてしまった。


「確かボクシングだったと思う。ウチの学校、運動部は結構あるんだけどな、文化系って言うのか? 美術部とか音楽やるやつ、なんだっけ……吹奏楽? まあ、そういうのん全くないんだよ」


 教える顧問がいないから元からないのだとか。とは言え、顧問の必要ない同好会はいくつかあるらしいが、男も詳しくは知らないと言った。


「あの絵は趣味で描いてる奴が、何ヶ月かかけて描いてたぞ。上手いよな」


 確かに上手いは上手いが、とても健全には見えない。見るからに不良の溜まり場と言った雰囲気が、遠目からでも一目で分かる。往生際が悪いのは承知の上だが、足が全く前へ出なくなってしまった。


「セイシュン」


 男がオレの顔を覗き込んでくる。そんな心配そうな顔しなくても、行くよ。今は、その、ちょっと休んでるだけで……。


「よし! もう面倒臭いから、俺が運ぶぞ」


 ウダウダやってるオレを見て心底呆れたのか、男はパッと明るい声を上げ、いきなりオレを抱え上げた。ガッと上がる視界が高い! オレは米袋みたいに男の肩に担がれてしまった。


「意外と重いな」


「当たり前だろ! つか、下ろせバカ」


「じゃあ走るぞ。喋ると舌噛むかもしれないから気を付けろ」


 男はオレの暴言なんて聞こえていないかのように無視して、人一人抱えているなんて思えない早さで走り出した。もちろん、肩に乗ってるオレは、その揺れを数倍の濃さで体感している。たかが十数メートルの距離だと言うのに、闘拳髑髏の前に着く頃には、すっかり酔って軽く吐き気を覚えていた。


 男の肩からヒョイと下ろされると、胃から焼きそばが逆流しそうになるのを押し止める為、思わず地面に膝を着く。


「どした? 大丈夫か」


「焼きそば、出る」


 男の声に片言の日本語で現状を伝えると、慌てたように、オレの背中を大きな手がさする。文句の一つ二つ言いたかったが、そんな余裕はなく、必死でのど元まで迫っていたソースの塊を飲み下す。食った時の幸福感とはまるで別物の酸っぱさが混じったソースの味に思わず涙目になってしまった。


 背中をさする手を払いのけると、同じようにしゃがんでいるのに目線の合わない事を口惜しく思いながらも、虚勢を張るように男を睨み付けた。


「ごめんな。もう治まったか?」


 けれど、心配してくれている顔を見てしまうと、どうにも言葉が出てこなくなった。さっき胃に押し込んだ焼きそばだったモノと一緒に文句も飲み込んでしまったのかもしれない。男の指先が目尻を拭うように触れて、恥ずかしさが戻って来た。目元を強引に擦って証拠隠滅し、大丈夫だという事をアピールするように立ち上がった。


 身長差だけで、ここまで子供扱いされる物なんだろうか。別にオレだって背が低い訳じゃない。同年代の平均は軽く越えるくらいある。それなのに、この男に見下ろされると、どうにも心地悪い……いや心地良いのか? いやいや、それも可笑しいだろう、とにかく妙な気持ちになった。


「もう、大丈夫だから。これから、どうすればいい?」


 錆の浮いた頑丈そうな扉を前に、自分の胸中から現実へと意識を向ける。これ以上考えると、頭が変になりそうだったのだ。


「そうだな、とりあえず、ノックでもしてみるか。もう来てるかもしれないしな」


 そう言うと男は、道場破りでもする勢いで鉄で出来た扉をガンガン叩きだした。


「真山、もう来てるか? 真山ー、居るんだろ。真山ー居るのは分かってるんだぞ、出てこいよ」


 いや、道場破りって言うか借金取りだな、コレは。扉は分厚い鉄製ならしく、鈍い音がドンドンと辺りに響いている。騒音と言う程でもないが、辺りに漂っていた静寂を破るのには十分で少し嫌な感じがした。


「何やっとんねん。お前ら」


 その感覚は間違っておらず、突然、背後から不穏な気配を纏う怪訝そうな声が聞こえた。


 声に気付き、先に振り返った男は、相手とは正反対のオレと話している時と変わらぬ調子で、片手を上げた。


「おはよう、真山。今日は、ちょっと遅くないか?」


「んなもん、お前に関係ないやろが」


 オレの横を素通りして、男も突然現れた奴、おそらくこの人が真山とかいう番長なんだろう、そいつに道を譲るように一歩横にずれた。扉の取っ手と壁の杭みたいな物が鎖によって繋がれており、それを南京錠で施錠するという豪快というか、いい加減な鍵を開けると、番長は一人部室の中へと入って行ってしまう。


 番長の雰囲気は、だいたいの奴らと同じく朝特有の気怠さと言うか、機嫌の悪さを明らかに含んでいたので、早々に肌で感じる危機感を前にしてオレは離れていた男の後ろへと、そそくさと隠れた。


「いっつもあんな感じだから、気にするな」


 そんなオレに振り返って男は、焼け石に水な慰めを口にする。


「先輩、オレどうしたらいい」


 いきなりの番長登場で、本気でどうしたらいいのか分からず、素直に聞いてみると、


「俺が話すからセイシュンは何もしなくていいよ」


男はそう言って笑って見せた。男の背中を見ていると、散々迷惑かけているという事実を改めて実感させられる。番長が話しを穏便に済ませてくれるといいんだが……。


 男に対して申し訳なさを募らせていると、部室の中から、しかめっ面した番長が姿を見せた。部室の扉前で立ち止まると、鬱陶しそうに男へと視線をやった。


「こんな朝っぱらから、一体なんの用や、金城」


 番長の雰囲気と言うのだろうか、それは成人していると言われても頷けるような貫禄みたいに思えたが、その顔を見るとどこか垢抜けない同年代の影も見えた。無精ひげがどこか浮いて見えると言うか、似合っていない訳ではないが、無理矢理に残してますという印象を受けた。


「夕べ校舎で騒いでただろ、お前ら」


「また一年がやらかしよったんや。……で、その後ろに居るんが、その一年なんか」


 男の影から覗き見ていたオレに鋭い視線を向けて来る番長と目が合ってしまった。物もらいでもあるのか左目に眼帯をしているのだが、片方であろうと一瞬の向けられた眼力に圧倒され怯んでしまった。思わず男の腕に手を伸ばしそうになってしまう……もちろん回避したが。


「まあな。朝一で悪いんだけどさ、セイシュンの事で話しておきたい事があって来たんだ」


「セイシュン?」


「あぁそうだな。真山には、夷川って言った方がいいか」


 男の口からオレの名前が出ると、番長は大きな溜め息を吐き「分かった」と言うと、その手をこちらに伸ばしてきた。


「手間かけさせたな。後はこっちで始末つける。そいつ引き渡してくれや」


 男の影から引きずり出されると思ったが、番長の手はオレには届かなかった。


「違う違う、そうじゃないんだ。別に夷川を引っ立てて来たんじゃないって」


 男が番長の腕を掴んで、それを阻んでくれたらしい。オレの前に突き出された番長の指先は、異様に太く、指を弾くだけで壁に穴が開きそうで、馬鹿らしい想像だと分かっていても、一歩後ろへ下がってしまった。


「ほな、どうゆうつもりやねん。言うてみいや」


 明らかに番長の声が低くなった。オレを掴もうとした指先が、グッと握りしめられ岩のような拳が出来上がると、男の手を振りほどくように番長は腕を引っ込めた。


「夕べ夷川が校舎に居たのは、俺が呼んだからなんだ」


 男の言葉に驚き、思わず顔を上げてしまった。目ざとく番長の視線を感じて、すぐ顔を伏せたが何かもう嘘がばれてしまっている気がするのは気のせいか……そうであって欲しいと、耳だけ傾けて、なりゆきを黙って見守る事にした。 


 番長が男の言葉を鼻で笑い飛ばした。


「一年がここに来たん昨日やぞ。お前ら知り合いやったんか」


「いや、春日野を独房に放り込みに行った時に会ったんだよ。旧館で」


 反省室と独房をどう間違いようがあるのか検討したくなったが、恐らく反省室という名の独房なのだろう。贅沢を言わせてもらうなら、寮にそんな物騒な場所が完備されている事は知りたくなかったな。


「まあええわ。聞きたいんは、そんなしょーもない事とちゃうしな。はっきりさせて貰わなあかんのは……金城、夷川はお前のなんやゆう事や」


「なんや、と言われてもなぁ。後輩だろ」


「お前が面倒見る気なんかって聞いとんのや。一年の事は二年に任せるのが、ここの伝統なんは知っとるやろが。それを乱すつもりがあるんか答えんかい」


「別にそんな大げさな話じゃなくてな、別にずっと連れ回す気もないから、今日だけ見逃してやってくれないか? 俺が無理言って呼び出しただけだからさ」


「『今日だけ』言う事は、コイツを舎弟にする気はないねんな」


 舎弟って、ヤクザ映画の中でしか聞かない単語だよな。どうゆう意味合いで使ってるのか全く分からない。


「俺は誰とも連む気なんかないって、ずっと言ってるだろ」


 男は番長の念押しにウンザリした声を返した。


「なら話は簡単や。お前の酔狂につき合うとる暇はないで。とっととその一年置いて去ね」


 会話の雲行きが怪しくなってきた。オレが聞いていても番長はどうにもややこしい感じがする。圏ガクの伝統とやらを重んじているのは分かるのだが、正直なところ昨日今日ここに来た人間としては勘弁願いたい。

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