圏ガク!!
はなッぱち
第1話 俗世との別れ
「遅いわね、バスまだかしら」
「本当にここなのか。地図見せて見ろ! お前が間違えてるだけじゃないのか!」
利用者が極端に少ないのだろう、寂れたと言うより、廃墟然とした無人駅の改札を出て、五分もしない内に耳障りな口論が始まった。喫茶店の一つ、客待ちをしているタクシーの一台すら存在しない駅前は、正真正銘の無人であり、人目がなければ上っ面なんてすぐに引っぺがして唾を飛ばし合う。
家での極々当たり前の光景が、こんな何処とも知れない場所ですら、見られるなんてマジで泣けてくるわ。とっとと別れりゃいいのに、ガキなんか作ったから、そんな単純な事すら簡単に出来ないんだ。ご愁傷様としか言いようがない。
汚い唾がこちらに飛んで来ないよう避難する。自販機の一台くらい置いてあるだろうと、ポケットの中で小銭を確かめながら道沿いを少し歩く。
バスの停留所の側にある(一応バスは生きているらしい)古めかしい自販機を見つけ、小走りに寄ると、思わず「ゲッ」と声が出てしまった。
パッと見ショウケース部分のガラスは見事に亀裂が走り、壊れた自販機が放置されているのかと思ったが、何かで殴られたような大穴が空き、恐らくその衝撃で缶をいくつか一緒に潰れているにも拘わらず、オンボロ自販機は稼働していた。肝心の商品は、見た事も聞いた事もない銘柄のジュースや珈琲しかなく、一体何時から放置されているのか分からない、未知の領域へと果敢に攻め込む気概なんてあるはずもない。
数秒、悩むではなくショックで硬直していたが、オレは握りしめていた小銭を手離して、来た道を引き返す事にした。すると、雑草と見事に一体化した、一応と前置きせずにはいられない舗装された道の先から、車のエンジン音が近づいてくるのに気付く。
視線をそちらへ向けると、一台のマイクロバスが濛濛と砂塵を舞上げながら走ってくるのが見えた。オレの姿に気付いたらしく、車はスピードをぐんと落とし、ゆっくりと徐行しながら横を通り過ぎて行く。その車体を横目に無視を決め込もうとしたが、急かすようにクラクションが一度鳴らされ、全力で自分とは無関係なバスだと思い込もうとしたオレの企みを見事に打ち砕いた。
「……マジか」
視界を横切っていった車体を再度じっくりと眺め、自然と口から転がり出たのは、さきの自販機から受けたショックを数十倍は濃くしたような自分の声だった。
遠目には、普通の白いマイクロバスに見えたが、そのボディーは何かを跳ね飛ばしたように何カ所も大きくへこみ、テールライトは割れて両方とも役に立っておらず、無数の傷が所狭しと全体を走り回っている。そして塗装の剥げたベコベコの車体の側面にスプレーで殴り書きされた文字。
落書きにしか見えないそれは、オレがこれから三年という長い時間を過ごす場所の名前がきっちり読み取れてしまった。
待っていたはずの迎えだったが、走って戻ろうとは思えず、重くなった足を引きずるように駅前へと動かした。
けれど、バスから降りてきた柄の悪そうな男に、さっきまで罵り合っていた両親が、出来の悪い玩具みたいに揃って頭をペコペコ下げているのを目撃してしまい、それ以上前に進もうという気が失せてしまった。
「清春! お迎えが来たわよ。急ぎなさい」
そんなオレに気付いた母親が、余所行きの気持ちの悪い猫なで声を上げる。
父親は持って来た菓子折をバカみたいに丁寧に差し出している最中だ。中身は行きしなにデパートで買ったバカみたいに高い茶菓子。やることなすこと、全てがうんざりする。
例えスクラップのバスでも贅沢は言うまい。行き先が地獄だろうと監獄だろうと構わなかった。重たい足が急に軽くなって、迎えに来た男の所まで走る。
一秒でも早く、こいつらを視界から追い出したかった。
「先生の言う事をちゃんと聞くんですよ。風邪を引かないようにね」
「しっかり勉強するんだぞ。頑張れよ、父さんたち応援してるからな」
被りなおした上っ面は、慌てていたのだろう見事にずれて下から本性が覗いていた。
『問題起こして迷惑かけないでよ』
『まともになるまで顔を見せるな』
差し出された荷物を引ったくる。男と両親が意味のない会話をしていたが、耳には入らなかった。促されるまま先に車内へ乗り込むと、窓から両親の姿が一瞬視界に入ってしまう。二人とも目障りだったゴミをようやく捨てられたと言わんばかりの、実に清々しい顔をしていた。
くたばれと、叫びたくなった。それを無理矢理飲み込むと、目が火を噴いたみたいに一瞬だけ熱くなった。
すぐさま窓から視線を外して、一番後ろの駅に面していない側の座席に座った。鞄を足下に置いて、気持ちを入れ替えようと車内をぐるりと見回し、確かに気持ちはキレイに入れ替えられた。自分が今居る場所が、どういった所なのかを理解して絶句する。
所々窓が開け放たれているとは思っていたが、正確には違った。何カ所も窓にガラスが填め込まれていない。まだ寒いくらいの空気が車内を満たしている理由はそれだった。せいぜい二十程度の座席は、合皮ではないせいで、長年の汚れが染みこんでいるようだ。隣の席のシートに血の小便でも漏らしたようなドス黒い染みがある。慌てて立ち上がって自分の座っている場所を確認したが、こちらには少し焦げた跡がある程度で、思わず胸を撫で下ろした。
「おう、そんじゃ出発すんぞ」
おっさんに足を踏み入れたぐらいの年齢だろうか、柔道でもやってそうな体格な上この柄の悪さ、さらに酒で焼けたような声と、姿や印象は町のチンピラそのもので、この男が何者なのか推測するのも嫌になった。まさか、これが教師か? いや、それ以外だったらだったで怖いんだが……ズンズンと大股でこちらに近寄ってくる男は、菓子折の包装を破りながら壊れそうなバスを揺らしてオレの前に立った。けれど視線はこちらを向いておらず、駅側の窓の外をジッと観察するように睨み付けているようだった。
男はふぅんと軽く鼻を鳴らして、チッと忌々しそうに舌打ちをする。何か気に入らない事があったのかと、一瞬身構えてしまったが、オレを見る目には不思議と害意のような物は感じなかった。……まあ、教師なんだろうから、それが当たり前だよな。
「食うか」
丁寧に包装された饅頭か何かが、きっちりと詰め込まれた箱を差し出されたが、首を振って必要ないと断る。男は「そうか」と言って、乱暴に一つ掴み出して包装を剥くや、丸ごと豪快に口の中へと放り込んだ。「甘いな」と口をもごもごさせながら呟くと、自分の席へと戻るのだろう、こちらに背中を向けた。来た時と同じように大股で戻って行く途中、男はふいに振り返り、口に詰め込んだ饅頭が不細工に頬を膨らませた顔で、
「屑ばっかの掃き溜めみてぇな場所だがな、まあ、せいぜい楽しめや」
食べかすを零しながら、独り言みたいな台詞を吐いた。
バスが威嚇するように大きなクラクションを鳴らすと、機嫌の悪そうなエンジン音が車体を揺らす。窓の外の風景が、急発進した勢いそのままに流れていく。
「野郎ばっかの正に青春の圏外だぜ」
流れていった先に未練なんて欠片もない。バスとは正反対に機嫌の良さそうな声の方へと顔を向ける。饅頭を飲み下したらしく、頬袋は元のサイズに戻っていた。快活に笑う男の顔は、どうした事か少しだけ『先生』のように見えた。
「入学おめでとう。圏学へようこそ、だ」
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