第30話 〈月城果歩の場合〉
あの後、式は少しの精神操作を行い、現実世界でアルバートを捕まえた。
年齢は三十近いらしいが、その身体はもう老人そのものだったと式は言う。
当時、イギリスでも有名な猟奇殺人事件の犯人。そんな彼は、日本に来てからも何度かそういった事件を起こし、こちらの新聞にもその記事は載っていた。
式に成り代わった彼は、すぐに日本にやってきた。いい家柄のアルバートは金に困らず、親のおかげで日本に暮らせていた。
チカちゃんを見張るため、その生活のほとんどを睡眠に当てた。しかしその結果、年齢不相応の身体になってしまったらしい。
彼は、最初から最後まで快楽主義者だった。
アルバートはもうまともな生活は送れないだろうと、式は言っていた。
無意識世界に来て、私はまずチカちゃんを探した。
私と話をするときも、リンちゃんと話をするときも、他の誰と話をするときも、会話の最後にとても悲しそうな顔をする。そんな彼女を放っておけなかった。
リンちゃんも気付いているのだろうけど、私やマーくんがいるから手を出さない。彼女は彼女なりに、妹を心配しているのでしょう。
「チカちゃん、今日は一人なのね」
「いつもいつも護と一緒なわけないじゃん」
「うーん、そういう生意気なところが素敵ね」
「子供扱いしないでよね」
そう言ってそっぽ向いてしまう。こういうところは昔から変わらない。
公園のベンチに一人で腰掛け、遠くを見つめていたチカちゃん。表の顔は気丈で高慢な態度だけど、本当は臆病で気弱な女の子だ。芯が強いので今まで頑張ってこられたんだろうけど、それは受け止めてくれる存在があったからだ。
私はチカちゃんの隣に座った。
「今までのこと、考えていたんでしょう?」
私の質問にも、すぐには答えなかった。
溜め息を吐いて、下を向いて、膝を抱えて、ようやく口を開く。この子はまったく……。
「ゴメン……」
「それで終わりじゃないでしょ? それに、私は別に怒ってないわ」
肩から手を回し、チカちゃんの頭を抱き寄せた。
「終わったんだもの。私を意識不明にしたのだって、現実で苦しい思いをしないようにでしょ?」
膝で目を隠したまま、彼女は小さく頷いた。
「貴女は優しい子よ。ちょっとツンケンしてるけど、私やリンちゃんよりもずっと優しくて、ずっと強い」
マーくん、もとい護くんとの記憶を共有したから。気付かなかったチカちゃんの優しさも感じることができた。
「相談もできなかったね」
うんうんと、チカちゃんは頷く。
「私たちも気付いてあげられなかった」
もう一度、身体全体で肯定を表した。頷いた時の振動が、全身を震わせ、その振動が私にも伝わってきた。
「謝るのは私たちだね。ごめんね、チカちゃん」
左腕で全身を包み、チカちゃんを抱きしめる。
チカちゃんはフルフルと、首を横に振った。
「ありがと、カホ姉」
「ありがとう、チカちゃん」
脇の下から腕を入れてきて、チカちゃんも私を抱きしめた。
八つの頃から、私の妹はあんなことをし続けていた。私もリンちゃんも、チカちゃんに守られていたのに気付かなくて、血の繋がりを持たない私たちの溝は深くなっていった。
血など関係ないと口先では言っていた。けれど、あの時それを心の底から思えていたなら、チカちゃんの変化にも気がつけていたのかもしれない。
結局、私もリンちゃんも、本当のチカちゃんを見失っていたのだ。
「果歩も千影もなに泣いてるの?」
「り、リンちゃん」
気がつかないうちに、リンちゃんが目の前に立っていた。腕を組み、私たちを見下ろしていた。その顔はいつもと変わらず無表情で、少しだけ呆れたような感じだった。
「二人で感傷を共感してた? それは悪いことをしたかしら」
身を屈めて顔を覗き込もうとしていた。
「顔をのぞき込むなよ、バカリン姉」
「バカリンが呼称みたいになるじゃない。やめてもらえる?」
それでもリンちゃんはチカちゃんの要求を呑んだ。すぐに下から覗き込むのをやめたのだ。
「ありがとう千影。アナタのおかげで、私は今まで生きてこられたわ。胸を張りなさい」
リンちゃんはチカちゃんの頭を鷲づかみし、そのまま頭を撫でた。優しさの欠片もないような撫で方は、撫でるというか、引っかき回すというか。
「バカ! バカリン姉!」
「あら、元気になったじゃない。それでいいのよ」
こちらに背を向け、軽やかな足取りで歩き出したリンちゃん。その後ろ姿を見て立ち上がったチカちゃん。そしてチカちゃんは、逃げるリンちゃんをがに股で追いかけた。
「素直じゃないな、二人とも」
それが良さでもあるのだけど、リンちゃんはあまりにも不作法だわ。不作法というよりも、不器用なのね。チカちゃんが気にしていないみたいだから私は口を挟まないけど。
「待て! 待てよ! 髪の毛ぐちゃぐちゃだろー!」
あんなことを言いながらも、口元は笑っているわ。
無意識世界の空は、アルバートの一件から変わらない。青や赤や紫が混じりあって、異質な歪みを生んでいた。焦点が定まっていないような、そんなぼやけた空間が空に広がる。
きっと、私はすぐにここには来られなくなるはずだ。魔法少女は、若くないといけない。その基準は十代であるということ。
私は今年で十九歳になるから、彼女たち二人と同じこの景色を見られなくなってしまう。
「それでも、今は同じ景色を見ていたい」
母と義父が結婚し、チカちゃんと一緒に暮らすようになってから、私たちは三人で遊ぶこともあった。
私は静かに二人を見守り、妹たちは公園内を走り回っていた。
その姿が重なって、思わず涙がこぼれてしまう。
ああ、こんな日がまた来るなんて、私は思いもしなかったのだから。
「ちょ、リン姉のせいでカホ姉が泣いちゃったじゃん!」
「わ、私のせいじゃないわ」
狼狽するリンちゃんの姿なんて、なかなか見られるものじゃないわね。
「これはね、二人のせいよ」
なんて言いながら、私も彼女たちの元へ駆けていく。
私も変わっていく。昔とは、違うのだから。
私たちの母はチカちゃんの母になる前からチカちゃんを虐げていた。しかも、見えないところで。だからこそチカちゃんは幼くして無意識世界に覚醒した。
その事実は揺るがないし、チカちゃんだって許さないだろう。けれど、今はそれでいい。私たちもちゃんと協力して、彼女を守っていこう。変えていこう。
世界は私たち無しでも回るけど、私の世界を回すには、私も彼女たちも必要だから。
リンちゃんを左腕で、チカちゃんを右腕で。
私は、二人を抱きしめた。
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