アボカド

江戸ミヅキ

アボカドが落ちていた。


 横断歩道の真ん中でアボカドが潰れていた。


 落ちていたところを車で踏まれたのだろう。かろうじて片端数センチほどは被害を免れたようだけど、後の部分は跡形もなくぺっしゃんこになっている。


 無残に飛び散る緑色の肉片。即死だったに違いない。


 現場は住宅街の路地。現在時刻は午後20時半。遺骸がまだ新鮮味を保っていることからして、死後数時間と経っていないだろう。周りにはそれらしき人影も車もない。轢き逃げだ。


 それにしても、アボカドがこんなところでひとつ一生を終えるというのも奇妙な話だ。家庭の居間など、もっとしかるべき場所があったはずなのに。


 そこでふと興味を持って、このアボカドの生い立ちについて考えてみた。


 生まれはおそらくメキシコ。果樹園で栽培されたこのアボカドは、現地の日焼けた男の手でもぎ取られ、トラックや飛行機を乗り継いで日本までやって来た。


 再びトラックに乗ってこの近所のスーパーに仕入れられたアボカドは、他の仲間と一緒にひとつ98円という破格で売り出される。さて、これを買うのは誰だろう?


 多くの仲間が小奇麗な主婦たちの手に取られていく中、このアボカドは少々不運な目に会うこととなる。目を付けられたのは、踏まれたらひとたまりもなさそうな肥満体の女だった。40代と見られるこの巨大な肉団子のような女は、当のアボカドを含めた数個のアボカドを見定めるようにじろじろと眺め続けている。


 アボカドは祈った。


 どうか自分が選ばれませんように。他のアボカドが選ばれますように。この女には食べられたくない。どうせならもっと可愛い主婦に選ばれたい。もっと綺麗な女の人に料理されて、暖かい家庭の食卓に並べられるなら本望ってもんだ。こいつは何考えてやがる。アボカドを食べれば痩せるとでも思ってんのか。ふざけんな。もう手遅れだよ。どう考えても取り返しがつかないよ、その体は。


 必死に祈っていたアボカドだけど、その甲斐なく不幸は訪れる。女は目を付けていた個体をおよそすべて袋に詰めた。


 さて、その後このアボカドはどうなっただろう? おとなしくこの女性に持ち帰られたのか? まあ、そんな往生際の良いアボカドではなかったことは容易に想像が付く。


 レジ袋に入れられ、もはやなす術なしと思われた。しかしこのアボカドは諦めない。


 得たり顔で闊歩する女の持つ袋の中では、仲間と力を合わせ、死にもの狂いで魔の手から逃れようとするアボカドたちの死闘が繰り広げられていたのだ。


 すると、驚いたことに、アボカドたちの努力は功を奏したのである。レジ袋の底に穴が開き、中身は地面に散乱し、アボカドたちの入った袋も衝撃で破れ、ここぞとばかりにアボカドたちは逃げ出した。


 女は筋肉の硬直しきった顔を腐ったジャガイモのように引き攣らせて散らばったものをかき集めだす。悲しいかな、希望が見えたのも束の間、逃亡者たちはすぐにまた女の手の内へと戻ってしまった――あるひとつを除いて。


 もうお気づきだろう。そう、このアボカドだけはその時、幸運にも女の目から逃れることに成功したのだ。夕刻の大通り。縁石の影に隠れていたこのアボカドは九死に一生を得た。


 ひとつ取り残されたアボカドは、日没まで誰にも発見されずにそこで過ごす。事態が動いたのは辺りが暗くなってからすぐのことだった。


 最初に現れたのは子どもと母親。習い事の帰りだろうか、子どもはアボカドの姿を認めるなり「何か落ちてる!」と叫んで飛びついた。嬉しそうに拾い上げた子どもだけど、母親に怒られてすぐに不満そうに捨てた。


 次に部活帰りの男子高生の集団が通りかかり、歩道に落ちているアボカドを見つけては半狂乱になり、投げ合いを始める。ひとりが投げたアボカドは他の男子高生の脇をすり抜け、自転車ですり抜けようとした女子高生に命中した。


 途端に男子高生たちは気まずそうになり、逃げるように去っていく。女子高生は明らかに不快そうな顔をしながらも、何を思ったのか地面に落ちたアボカドを拾い、自転車のかごに入れて走り出した。しかし、やっぱり気が変わったのか、彼女は走りながらアボカドをポイ捨てする。


 時速15キロで投げ出されたアボカドは地面を転がり、車道に落ち、横断歩道の真ん中でやっと止まった。そこに絶妙なタイミングで車が通りかかる。アボカドの運命もそこまでだった。


 とまあ、こんな風に僕なりの推理を述べてみたわけだけど、だからって別に、これ以上どうこうするつもりは毛頭ない。家に帰った僕は、用意されていた夕飯に早速取り掛かった。


 メニューの中に、アボカドのサラダがあった。


 あのアボカドも、本来ならばこうやって幸せな最期を遂げられただろうに。そう思うと胸が締め付けられるような思いがした。


 せめてもの情けだ。あのアボカドの分も、僕は精いっぱい生きよう。全力で生きて、あのアボカドの無念を晴らしてやろう。


 そう思うと、嫌いだったアボカドも何とか食べることができた。

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アボカド 江戸ミヅキ @RinRin-bicycle

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