第24話 ファインの興味

 空中に投げ出されたファインは、悪魔の拳によって吹き飛ばされるヴィーダを目にする。ファインは柄にもなく、頭が真っ白になりながら、彼が視界から消えていくのを見つめるしかなかった。

 ――どうして、彼は。

 驚きばかりが頭の中を駆け巡り、危うく地面に衝突するところだったが、直前でどうにか体勢を立て直して着地する。

 体力は限界。魔力もほぼ使い切ってしまった。このまま戦ったところで多少時間を稼げるかどうか。死ぬのが怖いわけではないが、これ以上戦うことに意味を見出せない。発端が自身であろうとも、特別なにも思いはしない。……しないが、抱いた疑問を疑問のままにするのは、ファインとしてはありえない。


「そうは言っても、生きているのかしらね?」


 唯一ファインの疑問に答え得る少年は、山河を砕く拳を受けたばかり。肉片一つ残っていなくても不思議ではないが、吹き飛ばされたのを見るに、身体は残っているようだ。

 疑問はあるが、一先ず安否の確認する必要がある。そうでなくては、道を選ぶことすらできはしない。だが、結果が運任せというのは好みである。未来を知らないからこそ、知ることの喜びがあるのだから。

 一歩踏み出す度に悲鳴を上げる身体をファインは無視する。そんなものに構っている程暇ではない。

 常人なら壊れてしまう程に身体を酷使しながら、ヴィーダの元へと向かう。瓦礫の山を越え、真っ直ぐに伸びる瓦礫の裂け目を通った先に、彼は居た。


「…………っ」


 瓦礫に埋まり、天を仰ぎながらも、ヴィーダは生きていた。

 身体中から血を流し、時折零す咳と共に血飛沫が飛ぶ。

 今にも息絶えそうな有様であるが、ファインからすれば驚きである。


「あら。生きてたのね?」

「………………う……せっ……」

「…………返事までできるなんて、本当に驚きね」


 出血こそ酷いが、五体が繋がっていることに驚愕する。更に意識があり、掠れているが声まで出せるとは、人族であるのか疑う程だ。

 どうやって生き延びたのか興味をそそられるが、生きているのなら方針も変わってくる。

 どうあれ、このままというわけにはいかない。

 不意に日でも暮れたかのように影が差す。ファインが後ろへ視線を投げれば、敵意を剥き出しにした悪魔が二人を押し潰そうとしているところだった。


「全く。落ち着いて話をするどころではないわね」


 恐怖なんてものではなく、事実ただ疲れたと息を吐く。

 素早くヴィーダを肩に担ぎ、飛ぶ。元より力はそこまでなく、体力まで落ちている為、男性一人を担ぐというのはなかなかに厳しい重労働だ。それも、悪魔の攻撃を避けながらというのだから猶更だ。

 ここから、悪魔の目を逃れ、隠れることができるのか? ――否。悪魔の方が早く、咄嗟に隠れる場所もない。

 であれば、悪魔に攻撃をして隙を作れるか? ――否。ヴィーダを担いだ状態で悪魔に攻撃はできないし、魔力もほぼない。

 ヴィーダが回復すれば逃げられるかもしれないが、それこそ考えるだけ無駄だろう。


「どうしようかしら。詰んでるわね、これ」


 手詰まりである。どうしようもない。力の続く限り避けるしか道がない。

 唯一、ヴィーダを捨ててファインだけが逃げるというのなら、可能性もなくはないが、それは彼が生きていた時点で捨て去った。

 どうあれ、まだ口が訊けるなら、ファインはヴィーダに問わねばならないことがあるからだ。


「訊く前に、死ぬけれど」


 後、何度避けられるか。

 ファインが早々に諦め、死へのカウントを数え始めた頃、意外な横槍が悪魔を襲った。正確に言えば、矢であったが。


『――――――――――――――ッ!!!?』


 予期せぬ方向から放たれた頭を狙った攻撃に、悪魔は驚きを滲ませた雄叫びを上げる。

 悪魔の硬い皮膚によって弾かれてしまったが、驚かせるだけの威力はあったようだ。

 その隙を逃すことなく、ファインは悪魔から全力で離れる。

 悪魔も逃げるファインに気が付いたか、後を追おうとしてくるが、降り注ぐ矢に足を止めざる負えなかった。しかも、最初の矢と違い、今度は悪魔の身体を貫き、血のように黒い魔力を垂れ流している。

 どこから狙っているかは見付けられないが、正確な狙いに、即座の対応能力。そして、弓矢を使う相応の実力者。ファインの頭の中で、一人の人物が思い描かれる。


「まさか、貴女に助けられるとは思わなかったわ。十三騎士フィーユ・リーブル」


 思わぬ助っ人に、心底楽し気にファインは笑う。


 ――


 街の中央部から離れ、端に位置する民家の上に大弓を構えた女性が立っていた。

 光輝く金の髪をなびかせ、彼女は悪魔に襲われる少年と女性を見つめる。


「まさか、貴女が誰かを助けるなんて思いもしませんでした。快楽にのみ生きる貴女が。そんな弱った貴女を見るのもまた、初めてのことです。できるのであれば、ここで殺してしまいたいですが」


 腰の矢筒から一本矢を抜き、弓につがえる。狙いは、遠く離れたフィーユに殺意を漲らせる赤き悪魔。


「今はやめておきましょう。貴女に守りたいと思わせた少年と、第二王女レイン・メンシュハイトに免じて」


 長く尖った耳を揺らし、弦を引き、放つ。

 放たれた矢は、風を切り、瓦礫の山を越え、寸分違わずに悪魔へと突き刺さる。


 ――


 十三騎士、フィーユの援護により、差し迫った危機から脱したファインは、瓦礫の山が積み重なり、悪魔から物陰となる場所で、ヴィーダを地面へと降ろす。

 荒い呼吸を繰り返すヴィーダだが、その瞳から生気が失われることはなく、未だ力強い。

 ファインが直接身体に触れ、容体を確認しようとすると、ヴィーダの腕に振り払われる。


「あら」

「触るなっ……」

「ふふ。生きているどころか、もう腕を動かせるなんて、ヴィーダくんは本当に人なのかしらね?」

「黙れっ…………はぁっ……くっ…………」


 未だ重症には変わりないが、先程よりも状態は良くなっているようだ。

 生きているだけでも奇跡。攻撃を受けてから大した時間も経っていないというのに、既に回復の兆しを見せるというのは、奇跡の度を超えて異常だ。

 なにかしらの魔導具かしら。自己治癒能力を高めるようななにか。

 気になり、身体が疼いてしまうが、興味の優先順位がそれよりも高いものがあるため我慢する。

 そう、訊かねばならないことがあるのだ。

 血を含んだ咳を幾度も繰り返すヴィーダにそっと近づくと、しゃがみ込み、ヴィーダと目線を合わせて質問する。


「ねえ、ヴィーダくん。貴方、どうして私を助けたの?」

「…………」


 ファインからすれば不可思議でしかない。彼にファインを助ける意味なんてないのだから。

 元々、戦力的な面からファインと共闘したのは理解できる。だが、あの時身を張って助けたのは、彼からすれば無意味だ。

 既に、あの瞬間ファインは悪魔との戦いを継続できる程の体力は残されていなかった。必ずどちらも生き残るというのであれば別だが、ヴィーダが生き残っているのは運の部分が大きい。例え、なにかしらの対処をしていたとしてもだ。

 であるならば、まだ戦えたであろうヴィーダが生き残ったほうがマシだったはず。

 なにより、殺したい程嫌いな相手をどうして咄嗟に助けようと思えたのか。

 思考する時間もないなか、瞬時に身体が動いたということは、嫌悪以上のなにかがヴィーダを動かしたに他ならない。

 自身の命すら賭け皿に乗せる程のものとはなんなのか。

 ファインは、それが気になって仕方がない。だから――。


「だんまりを決め込むというのなら困るので、このような対処をするわよ?」

「…………ああくそ、本当に嫌いだ、お前っ」


 そっとヴィーダの首筋に添えた剣。

 話さなければ殺すという意思表示に、ヴィーダは悪態を付く。

 侮蔑の眼差しを向けてくるが、平然と見つめ返す。冗談ではないという意志を伝える。

 元より、ファインならやりかねないと察していたのか、瞼を閉じて、諦めたとばかりにヴィーダの身体から力が抜けるのが分かる。

 彼なら撤回することもないだろうと、剣を霧散させると、改めて問う。


「それで、どうして私を助けたのかしら?」

「ふん。ごちゃごちゃした理由はそれなりにある。お前が死んだら、どうあれあのまま行けば俺も死ぬ。あの場面であれば、割って入ったほうが二人とも生きる可能性はあった」

「ヴィーダくん……私がそんなお粗末な上っ面の答えを訊きたいとでも思っているのかしら?」

「焦るな。話は最後まで聞け…………はあぁっ……たくっ。余計な体力を使わせやがる」


 文句を言うが、先程よりも回復しているのか、言葉は明瞭だ。途中、詰まるのは口の中に血が溜まっているからか。

 

「言ったろ? あくでごちゃごちゃした理由の一旦だ。それだけだったら、ほっておいた。本当ならお前なんぞあそこで死んで構わなかった」


 だが、と続けるヴィーダの瞳が鋭くなり、どこか殺意にも似た感情を浮き上がる。


「昔、自分で命を絶った馬鹿と、お前がどうにもダブった。状況も、意志も、なにもかもが違うのに。お前の、死を受け入れた表情が俺を苛立たせたっ。ふざけるなっ。なにもう死ぬと諦めてやがる! 目の前に死が迫っていようが、命尽きるまで諦めるなっ!」


 途中から、侮蔑を込めて口にした言葉は、ファインに向けてだったのか。それとも、彼のいう自分で命を絶った馬鹿のことなのか。

 身体の痛みを忘れて、激情に身を任せて叫ぶ様は、憤怒に彩られていたが同時に苛立ちも感じられた。

 だが、なるほど、と。ファインは一つ納得した。

 殺したい程嫌いなファインを見捨てられない程に、その人物のことが彼の中で尾を引いているのだろう。

 ヴィーダ本人は、ファインが大嫌いで、殺したい程だというのに。


「随分と、生きづらそうな性格をしているのね?」

「黙れ」


 笑みを零すと睨まれるが、どうにも悪い気持ちにはならない。

 どうやら、ファインはヴィーダ・クヴィスリングを好ましく思っているようだ。興味深いとしたほうが的確かもしれない。

 初めこそ、若さに反した強さにのみ興味を惹かれたが、その内面や過去にすら興味が尽きなくなっていた。

 ファインに対して嫌悪しながらも、自身の命を賭けて救ってみせる。死を受け入れるなという癖に、自身の命を危険に晒すことはなんとも思ってない節がある。生き残ればすべからく問題なしとでもいうのだろうか? いいや、彼にとって死ぬことはどうでもいいのだろう。死に様が問題なのだ。きっと彼は、生き汚さを見せない死を許さない。

 そして、何故そんな死生観を持ったのか。ヴィーダの心に深い傷を残したのは一体誰で、どのように。

 ファインの想像もつかない未知なる少年に、興味を止めることはできない。なにより、ヴィーダは面白いと、直感が告げているのだから、止める必要もない。


「困ったわね。私、ヴィーダくんのこと、とても好きみたい」

「死にたいのか?」


 一切困った様子なぞ見せず、ファインは華が咲いた満開の笑顔を向ける。

 そんな愛の告白にも似た言葉を向けられたヴィーダは、心底怖気するとばかりに表情を歪めたが。

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