第19話 ムカつき
怒気を露わにし、シュトレへとゆっくりと近付いていくヴィーダ。
シュトレ達の危機を救った人物とは思えない程の怒り。彼が敵であると言われても信じてしまいそうな迫力があった。
距離を詰めてくる少年に気圧され、知らず一歩下がるが、既に彼の間合いに入っていたのか、あまりに自然な動作でシュトレの首筋へ刃が添えられる。
「――」
肌に触れる鋼の冷たさに、息を飲む。
どうしてこんなことをするのか。シュトレは怯えるように彼の表情を伺うが、殺意とすら取れる瞳とぶつかり、体が震えてしまった。
敵対に近い状況である今だからこそ分かる彼の恐ろしさを、肌で感じ取る。指先一つ動かせば、瞬時に刎ねられてしまいそうな己の首。
十三騎士と戦った実力が本物であると、今さらになって理解させられる。
彼から向けられる殺意にも似た感情に怯え、押し黙っていると、彼のほうから口を開いた。
「お前、死ぬ気だったろ」
「なに、が…………」
「仲間逃がすために死ぬ気だったろと言っているんだ」
「それが、なに?」
ミュンツェ達を逃がすために残って、死ぬ。確かのそのつもりだったが、それがなんだというのか。
先の状況ではそれ以外に取れる術などなく、残るなら勇者である自分がというだけであった。
一体なにを怒っているのか、わからない。
そんな態度が逆にヴィーダを苛立たせたのか、手から血が滲みそうな程刀の柄を握りしめ、咆哮を上げた。
「ふざっっっけるなっ!! お前が犠牲になれば誰かが救えると? それで全部解決すると思ってるのか? はっ。おこがましいにも程がある。たかだか小娘一人がどうこうしたところで何かが変わると本気で思っているのか? 舐めるなよクソ女がぁ!」
「な、なに……?」
想像しえなかった巨竜の怒りの咆哮に、びくりと体を震わせる。
身を固め、怯えるだけの少女にも、彼は怒りを鎮めることはなかった。
「自己犠牲なんぞやった本人の自己満足以外のなんでもない。お前以外誰も幸せにはなるわけがねぇ。自分が命を捨てるしかない、なんて勝手に自分の道を閉ざす前に、血反吐吐いてでも全員で最後まで生きる術を探して実行しろ。それでも駄目なら全員で死ぬぐらいの覚悟ぐらい示せ、阿呆が」
言うだけ言うと、ヴィーダはゆっくりと刀を下げ、鞘へと納める。しかし、その瞳は剣呑な光を帯びたままで、不快な感情が消えていないのが分かる。
反論する間もなかったシュトレは、しばらく真っ白になった頭で呆然としていたが、あまりにもあまりな物言いに、沸々と怒りがこみ上げてきた。
貴方に私の何が分かるのか、と。力のある貴方に、弱い私の気持ちは分からないっ。
「急に、そんなことを。私の気持ちも知らないで好き勝手に言って……! 私だって、私だって考えたのよ!? 全員が助かるにはどうすればいいのかっ。けど、どれだけ考えても、あの怪物達から逃げおおせる手なんて、なにも思いつかなくて。それなら、せめてミュンツェ達だけでも逃げられればって、だって、私は勇者なのだから……っ」
「なにを言い出すのかと思えば、くだらない。そもそもその認識が間違っているんだろうが」
「間違っているって……一体私のなにが間違っているというのよっ!?」
目尻に溜まる涙を拭うこともせず、シュトレは目の前の少年を睨みつける。
「お前は、勇者じゃない。使えもしない聖剣を持たされた、ただの小娘だ。そんなたかだが小娘が勇者なんて大きな称号を自分に当てはめて行動しようとするな、おこがましい」
「そんなこと、貴方に言われなくっても分かっているわよ!? けど、だったらどうすれば良かったのっ!? お姉様に追い付きたくって、勇者としての役割を受け入れたのに、勇者として求められるのはただの飾りで、私は何一つ認められない。今だって、見ているだけでなにもできなかった。だから、せめて勇者らしく皆を護ろうって、そう思ったのに…………それのなにがいけないっていうの!?」
これまで抱えてきたモノ全てを吐き出すように、叫ぶ。
シュトレとて理解している。自分が弱いことも、勇者足りえないことも。理解していても、認めたくなかっただけなのも。
だから、飾りでもなんでも喰らいついたし、不満があっても続けてきた。少しでも認められたくって。
けれど、誰も認めてはくれない。シュトレという個人を、誰も。
彼の言っていることは正しい。間違ってはいない。けれど、それを認めてしまえば、シュトレは一体これからどうすればいいのか分からないのだ。
だって、もうシュトレには、勇者という殻しか残っていないのだから。
だというのに、ヴィーダは平然と吐き捨てる。シュトレの慟哭なぞ知らないというように。
「全部だ、馬鹿が」
シュトレの考えなんぞくだらないと一蹴し、踏みにじる。
「全部間違ってるし、なにより勘違いをするな。そもそも、かつての勇者だったとしても、俺は自己犠牲なんぞ間違っているというし、そんなことする奴勇者なんぞと認めない。
――人に悲しみを残す者が、勇者のはずないだろう?」
「貴方に勇者のなにが――っ!?」
心が折れないように、感情のままに言い返そうとしたが、彼の表情を見て吐き出そうとした言葉は霧散した。
少し前までシュトレに向けていた殺意が嘘のように、あまりにも悲し気な表情。子供が泣き出すのを我慢しているのではないかと思わせる姿に、ごちゃごちゃだった感情は荒々しさを失い、困惑が広がる。
まさか、十三騎士にすら強気な姿勢を崩さなかった強者である彼が、こんな弱気な一面を見せるとは思いもしなかった。
その表情だけでは、一体彼になにがあったのは推し量ることはできない。けれど、彼が残された側なのだということは、ヴィーダの言動からも理解ができた。
故にこその、シュトレへの厳しい言葉。一人楽になろうとする愚か者への糾弾に他ならなかった。
そんな彼を前に、シュトレは思ってしまった。なんて卑怯なのか、と。
強いくせに、そんな弱さを見せるなんて卑怯だ。ずるい。
弱者は弱者、強者は強者であるべきだ。どちらも併せ持つなんて、あっていいはずがない。
彼の言葉に一定の正しさがあるのは認めよう。私が弱く、愚かであったのも認めよう。
だが、感情が納得するかと言えばそうではなく、結論から言えば――むかつく。
「……そう、ね。貴方の言っていることは分かるわ。けれど、分かるだけ。納得なんてできないし、するつもりもない。なにより、たかだか小僧が誰に向かって生意気な口を聞いているのかしら?」
ただただ、むかつく。イライラする。
己より強いのも、俺は全部理解しているという態度も全てが、だ。
善悪もなく、こんなもの子供の癇癪と同じ。それでも、感情が認めたくないのだから仕方がない。
ヴィーダ・クヴィスリングはむかつく奴。理屈とか理由とかそういうものを置き去りにして、感情がささくれ立つのだ。腹が立つと。
まさか、そんな反論が返ってくるとは思っていなかったのか、ヴィーダの頬がぴくぴくと引きつっている。
「ほ、ほう? たかだか小僧と言ったか、お前? なんだ? 一体何様のつもりだ?」
「ふん」
勢い良く青い髪をかき上げ、高飛車な令嬢が如き態度で告げる。
「勇者様ですが、なにか?」
途端、糸が切れたような音が辺りに響く幻聴が、周囲に響いた。
顔に影の差したヴィーダは、額に青筋を浮かび上がらせる。
「似非勇者が調子に乗るなよ?」
「国も、民も認めたわ」
「聖剣も使えない腰抜けが偉そうに」
「っ。ええそうね。でもだからなんだというのかしら? 聖剣を使えるから勇者なんてことどこに書いてあるのかしら? 知っているなら教えて頂きたいわね、なんでも知ってるヴィーダさん?」
「口が達者なだけで勇者を名乗れると思うなよ、張りぼて勇者が!」
「文句を口にするだけなら、誰でもできるのよ。口先だけの屁理屈男!」
遂にはただの口喧嘩にまで発展してしまった二人。先までのやり取りが嘘のような、幼い子供の喧嘩でしかない。
ミュンツェがそんな二人をどこか呆れた様子で眺めていると、子供を助け出した建物から、燈凛が出てきた。
彼女は角を突き合わせる少年少女に気が付くと、クスリ、と小さく笑みを零す。
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