第15話 民衆の避難

 悪魔が蔓延る街を小さく望むことのできる平野。

 街道近く、緑の芝が青々と生い茂る草原は、アンファングの街から避難してきた人々が次々と集まっていた。

 どうにか街から持ち出した天幕をいくつか立て、怪我人を治療していく。

 誰もが予想しえなかった悪夢に、肩を寄せ合いながら震えている。

 街に在中する騎士達に連れ添われながら、避難してくる人々を見つめているシュトレに、獣の耳と尻尾を揺らした燈凛が声を掛けてきた。


「シュトレ様のお声掛けもあり、避難は順調なようですね。街の方々も、貴女の言葉には良く耳を傾けてくれます」

「別に。慌てず騒がず、こちらの言う通りに行動しろと言っただけでしょう。誰でもできるわ」

「それは謙遜ですよ。貴方の言葉だからこそ、皆素直に従ってくれています」

「私じゃないわ。勇者に、よ」


 獣人の女性は、否定せず微笑むばかり。

 事実、その通りなのだから、否定しようもない。

 勇者という名の威光がなければ、シュトレはただの小娘でしかない。多少、力があるとはいえ、それこそかつての勇者と比較するのもおこがましい。

 実際、いくら強敵を前にしたからといって、腰を抜かし怯えるだけだった者が勇者などお笑い種だろう。

 自身の情けなさから逃れるように、シュトレは目の前のことに意識を集中させる。


「貴女の言う通り、街の人間を集めたけれど、これからどうするのかしら? 私としては、他の街へ移したほうが安全だと思うのだけれど」


 いくら渦中から離れたとはいえ、未だに街は視認できる位置にある。

 悪魔というのがどこまで脅威かシュトレには未知数であり、どこまで離れても安心はできない。


「ヴィーダ君達と避難の状況の兼ね合いになります。ここに街の人々が避難し終わった時、悪魔の討伐が完了していればこの場所に留まり、そうでなければ近くの街へと移動となるでしょう。とはいえ、どう転ぶかは分かりませんので、先んじて騎士様のお一人には、近くの街へ避難民の受け入れ態勢を整えていただくよう走っていただいております」

「既に手は打ってある、ということね?」

「先程も申し上げた通り、このような可能性も考えてはいましたので」


 全て予想の上というような行動の速さに、シュトレは驚くばかりだ。

 王都の騎士学校を首席で卒業したシュトレは、自身のことを優秀だと思っていた。相手が十三騎士でなければ、自分は十分に戦えるという自負すらあった。

 だが、蓋を開けてみれば未熟を晒すばかり。首席卒業なぞ、価値すらないと宣告されたようだ。

 大海を知らない蛙だと自覚させられたシュトレには気付かないのか、燈凛は六角柱の耳飾りに触れながら続ける。


「念の為、王都へと連絡もしました。街の状況を鑑みれば、物資は多くあって困るものではありませんので」

「いつの間に。王都への連絡のほうが時間が掛かりそうなものだけれど……いいわ。方法は聞かないであげる」


 聞いたところで教えてはくれないでしょうけど。

 シュトレの考えを肯定するように、微笑むばかりの燈凛。言外に余計なことは話さないと告げているようだ。


「話を戻すけれど、彼は大丈夫なの? あれだけの悪魔相手にたった二人で」


 認めたくはないが、ヴィーダも含めれば十三騎士並の実力者が二人。

 メンシュハイトでも有数の戦力ではあるが、敵は御伽噺や英雄譚でしか語られていなかった悪魔、しかも群れが相手となると戦況なぞシュトレにはわかりようもない。

 下手をすれば、今すぐにでも瓦解してここまで攻めてくるのではないかという不安もあったが、燈凛はあっさりとシュトレの想像を否定した。


「今、街を襲っている悪魔については、あまり心配していません。ファイン様が裏切らない限り、時間さえあれば討伐できるでしょう」

「……あれだけの化物の群れを相手に、大丈夫と断言できるなんて、とんでもないわね」


 ヴィーダ達が凄いのか、シュトレが考えていたよりも悪魔が弱いのか、判断はできないが、よい知らせではある。

 だが、待てば悪魔達を殲滅できるというのであれば、シュトレ達の動きも変わってくるのではないか。


「それなら、ここで討伐と補給を待つのも手だと思うのだけれど?」

「ええ。ですので、一つの手段として、そちらも動いております」


 シュトレとしては、そちらに絞っても良いのではないかという問いであったが、燈凛はあくまで選択肢の一つとしてしか取り合わなかった。

 不測の事態を想定しているのか、それとも、既になにかしらの事態が起こることを把握しているのか。

 疑うように瞳を細めると、意志が伝わったのか獣の耳を垂らし、苦笑してみせる。


「私としても、どうなるかわからないのは本当です。このような事態、そうあるものではありませんから。その為に、打てる手は打っておかなければならないというだけです」

「全ては第二王女レイン・メンシュハイト様のご命令、ということでいいのかしら?」

「さて、どうでしょうか?」


 どこまでも惚ける燈凛に、実は犬の獣人ではなく狐か狸なのではないかと疑ってしまう。

 第二王女レイン・メンシュハイトの側近、日隠燈凛。

 勇者として王城に上がることの多いシュトレは、レイン第二王女に付き従う彼女を目にしたことがあった。レイン第二王女があまり公の場に出ることを好まないせいか、数える程だが。

 それでも、メンシュハイトでは珍しい和装に身を包む獣人を見間違えるということはまずありえない。

 故に、彼女がレイン第二王女の命令の元動いているというのは、ほぼ間違いないはずだが、腑に落ちない点もある。

 鎌をかけようかとも思ったが、舌先で彼女に敵うとも思わず、正直に訊ねてみることにした。


「けれど、不思議ね。なぜ彼には所属を明らかにしないのかしら? わざわざ私達にまで口止めまでして。彼を騙している、というわけではないのでしょう?」


 ヴィーダと合流する前、燈凛はとある一つの約束をシュトレ達に交わさせた。

 それこそが、ヴィーダに燈凛の所属と、国の関係者だと伝えないことだった。

 お願い、などと口にしてはいたが、あの状況ではほぼ強制であった。命を救われ、未だ恐怖を色濃く残していたシュトレ達に、その程度の願いを断れる通りがない。考える余裕もなかった。

 しかし、今にして思えば不可思議でしかないのだ。共に行動し、信頼し合っているように見える二人に、その程度の隠し事など。

 真意を探るように燈凛の瞳を覗くが、彼女に揺らぎは一切見受けられない。


「お互いに事情がありますので。誓っていいますが、ヴィーダ君の不利益になるようなことは一切ありません。お優しい勇者様が、気にする必要はありませんよ?」

「そういうつもりで言ってないわ」

「ふふ。そうでしょうか?」


 頭の片隅でちらついていたものを指摘され、微笑ましそうに見つめてくる燈凛にたじろぐ。

 シュトレとて、別段本気で気にしていたわけではない。それこそ、魚の小骨が刺さった程度の、ほんの些細ななものだ。

 燈凛がヴィーダを大切に想っているのは十分伝わってきている。そこに嘘があるとは思えない。ただ、レイン第二王女と天秤に掛けた場合、どちらに傾くかは、本人にしか計りえないことだ。

 だが、そこまでシュトレが気にするものではないし、これ以上追及しても話すとも思えない。これまで同様、柔和な微笑みで真意を隠し、のらりくらりと躱してみせるのだろう。


「ともあれ、打てる手は打ってあります。後は、事の成り行きを見守るしかありません」

「…………そう」


 今では遠く離れ、小さくなった街へと視線を向ける。

 ここからではどうなっているのか、戦況を把握することはできない。

 ただただ、街を望み、願うばかりの情けない勇者の沈黙を破ったのは、この地に避難してきた人々だった。

 シュトレの傍に集まってきた人々の表情は、誰もが焦りの色を浮かべている。


「勇者様っ。娘が見当たらないのですが、避難してきた人達はここにいる者達だけなのでしょうかっ!?」


 妙齢の女性に問われるのを皮切りに、せき止められていた水が決壊した如く人々の感情が押し寄せる。


「まだ夫がいないんですっ! どこにも! もしかしたらまだ街に残っているのかもしれなくって!」

「お母さんがいないの……。どこにも、いなくって」

「兄を探してはくれませんかっ? どこにもいなくて。もし、街に残されていたらと考えたら……っ!」


 勇者様、勇者様。どうか、どうかと懇願の波は収まらない。

 助けを乞われているのは理解できるが、声と声が交わりなにを言いたいのかが全く聞き取れない。

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