第10話 交錯する刃

「ありがとう! 無事でいてね!!」


 少女の声がヴィーダの耳に届く。

 健気な声援に、思わず口元が緩む。守り通さなければならないと、刀を握る手に力がこもった。

 だが、気を緩めるのもここまでだ。相手は、メンシュハイトが誇る十三騎士団のファイン・レッツェル。油断すれば、即座にあの世へと旅立たされるだろう。


「黙って見送ったな。追わないのか?」

「尻尾を巻いて逃げ出すのであれば、追いはしないわ。なにより、今は貴方に興味があるの。正義の味方さん?」


 獲物を捕らえた肉食獣にも似た鋭い眼差し。

 常人なら、それだけで身動きが取れなくなってしまうほどだが、彼は苛立ちのみを返した。


「誰が正義の味方だ。斬り殺すぞ?」


 ヴィーダにとっては、もっとも腹立たしい名称の一つ。

 頭に血を上らせるには十分な挑発だ。今にも斬りかかりたくなる。ファイン自身には、挑発したという意識はないだろうが。

 ファインは、肩をすくめる。


「仕方ないでしょう。だって、私は貴方のお名前を知らないもの。それなら、こちらで決めないといけないでしょう? なにがいいかしら。銀髪の君とか?」

「…………ヴィーダ・クヴィスリングだ」


 名乗りたくはなかったが、戦闘中おかしな名前で呼ばれて集中を欠いてもことだ。死因が間抜けなあだ名では目も当てられない。

 ファインは、記憶に刻み込めるようにヴィーダの名前を口の中で何度か転がす。


「じゃあ、ヴィーダくんね。ちなみに、私はファイン・レッツェル。親しみを込めて、ファインと呼びなさい」

「くだらないことをほざくな」


 親しみなどあろうはずもない。

 あるのは、胸糞悪い凄惨な状況を作り上げたことへの苛立ちだけだ。

 故に、対話もなく殺してしまいたいが、彼にはファインに問わなければならないことがあった。


「一つ聞くが、お前はゼーレとかいう貴族の目的を知っているのか?」


 問われたファインは、目を丸くしきょとんっと呆けると、なにがおかしいのか口元に手を添え笑い出す。


「おかしなことを聞くのね。ヴィーダくんは」


 なにを当然のことを聞くのか、という調子で彼女は言葉を続ける。


「彼の目的に興味があるから、協力をしているのよ。なにも知らずにお仕事を受けるほど、私は間抜けではないわ」

「そうか」


 狂気を宿す瞳は三日月を浮かべ、クスクスクスと屋敷中に笑い声を響かせる。

 なるほど、こいつは狂っている。

 騎士を殺し尽くし、世間で勇者だその仲間だともてはやされている少女達を襲い、あまつさえ国が滅びかねない事態を興味があるからという理由で協力するなど、狂っていなくてはできない所業だ。

 ヴィーダにとって、国が滅ぼうが興味はない。ないが。


「――――なら、死ね」


 見て見ぬ振りをするほど、腐ってはいない。

 ヴィーダは、力強く踏み込むと、一足飛びに踊り場のファインへと斬りかかる。

 点から点に瞬間移動したように見える程の速さ。

 熟練の騎士も反応すらできない速度だが、ファインは平然と反応してくる。


「あら、速いわね」


 口ではそういいつつも、煌めく刃を受け流す様は見事の一言。

 どこか余裕を感じさせる一言に、ヴィーダは舌打ちをすると、続け様に斬りつける。

 一刀。二刀。三刀。

 瞬間的に数十もの斬撃を見舞いする。

 上、下、右、左。あらゆる角度に逃げ道などなく、受ければ肉塊必死の剣の舞。

 だが、相手もまた化け物染みていた。

 ヴィーダの攻撃を、受け流し、弾き、避ける。ドレスも合わさり、まるで舞踏会でダンスを躍るような華麗な動き。それを、薄く笑みを浮かべながら、動き難いドレス、更にはハイヒールというおよそ闘いには向かない靴でやってみせるのだから恐ろしい。


「ふふ」


 ファインは一歩下がると、翼でもあるかのような跳躍をし、ヴィーダの頭上へと逆さまに飛び上がる。

 空中ですら乱れぬ体勢のまま、彼女は剣の雨を降らせる。

 ヴィーダは見上げ、降り注ぐ鋼の雨に向けて、刀を構えた。


「ふんっ!」


 降り注ぐ剣の雫を、一本残らず叩き落す。

 周囲に散らばる剣は音もなく消え去り、彼にはかすり傷一つなし。

 踊り場から二階に続く階段に着地したファインは、自身の攻撃が防がれたというのに嬉しそうに頬を緩める。

 そのにやけ面を斬るとばかりに、ヴィーダは再度突撃する。

 そこからは、止まることのない応酬だった。

 斬り合い。離れ。投擲。打ち落とす。

 エントランスを縦横無尽に駆け回りながら、相手の隙を作り出そうとひたすら繰り返す。

 あらゆる場所で刃と刃がぶつかり合い、火花が散る。

 一体どれだけの時間が経ったか。一瞬か、はたまた半刻か、一時か。

 エントランスの床や階段、果ては天井にまで刀傷を作りながらも、互いに息も切らせず、血も流れていない。

 実力が拮抗しており、互いの技量も高い。隙を作り出せず、一切攻撃が通らないということも起こりえるのかもしれない。

 しかし、今回に限っていえば、この状況は偶然ではなかった。

 ヴィーダ、ファイン共に踊り場で剣を構え、向かい合う。

 ファインはどこか興奮した面持ちで、なにかを抱きしめようとするように両腕を広げる。


「ええ、ええ! 貴方、凄くいいわ。最高ね! その若さで十三騎士並の実力。一体どのように鍛え上げたのか、そしてこれからどれだけ成長するのか、楽しみでしかたないわ」

「殺る気ないな、お前」


 そう、彼女は一切殺す気を見せず、ヴィーダの攻撃を捌き、距離を取り、防戦に徹していた。

 狂っているように見えて、自身の成すべきことは忘れないらしい。

 ヴィーダの腕が立つと判断してからは、無理に攻めてこない。

 だからといってヴィーダが無理に攻めれば、彼女は的確にその隙を付き、彼の首を落としただろう。

 結果生まれた膠着状態。


「ふふ、さて」


 真意を掴ませない、得意の笑みでとぼけてみせる。

 この後のことを考えれば、体力も時間も無駄にしたくない。だからといって、ファインを無視できるかといえば、答えは否。心情的にも、彼女は殺しておきたい。

 どうするか。手をこまねいていると、彼女は頬に手を添え、首を傾げる。


「それにしても、不思議ね。ヴィーダくんほどの実力であれば、直ぐにでも十三騎士に推挙されるでしょうに。それとも、私が知らないだけで、王女専属の特殊部隊なんてものがあるのかしら?」

「ほざくな。俺が国なんぞに関わるか」


 突然なにを言い出すのか。

 会話に乗りたくはないが、打つ手のない現状に変化を与えるためにも、仕方なしに返事をする。

 ヴィーダの返答に納得しえないものがあったのか、彼女はしばらく口を閉ざす。


「………………貴方、国の依頼で動いているわけではないの?」

「当たり前だ。国、特にメンシュハイトなんぞ大嫌いだからな。誰が好き好んで国家絡みの依頼なんぞ受けるか」

「メンシュハイトが、嫌い!」


 あらあらあら、と。

 おもちゃを与えられた子供のように、ファインは顔を輝かせた。


「それはそれは、おかしいわね。おかしいわねぇ。ああ、なんてことなのかしら!」

「鬱陶しい。なにがだ」


 会話に持ち込んだのは間違えだったかと、既に後悔し始めたが遅く。ファインは多分に含みを持たせた笑みを手で隠し、おかしいおかしいと語り出す。


「だって、貴方が連れている相方は――」


 途端、空気を斬り裂く音が鳴る。

 気配を完全に絶ち、ファインに接近していた燈凛が、音もなく抜刀したのだ。

 不意の斬撃を紙一重で躱し、ファインは二階への階段を上がる。

 虚を突く一刀にも笑みを崩さず、彼女は刃物のように冷たい瞳を向けてくる燈凛を見下ろす。


「ふふ、気配を殺して斬りかかるなんて、無作法にもほどがあるわよ」

「無作法はどちらでしょう。暗黙の了解を、土足で暴くものではありませんよ?」


 普段、燈凛が見せることのない静かな怒気に、ヴィーダは身震いしてしまう。

 女性の怒りとは怖いのだ。特にいつもは怒らない温和な人ほど、切れた時は恐ろしい。竜とて走って逃げだすほどに。

 彼女は油断なくファインを見据え、ヴィーダの元へと近付く。

 現状、どちらかといえばファインよりも燈凛のほうが怖い彼としては、味方といえど身構えてしまう。


「ヴィーダ君。シュトレ様達も逃がしましたので、一度撤退しましょう」

「そう、だな。そうするか。それがいい」


 本来の目的とは別だが、シュトレ達の回収は果たした。

 ヴィーダとしては、ここでファインを討ち取ってしまいたかったが、状況的に難しいのは理解している。

 なにより、刃物のように冷たい怒気を放つ燈凛を鎮めなくてはいけない。下手をすると、今後に関わる。

 燈凛が出口に向かうのを見届け、ヴィーダも後を追いかける。

 踊り場へと降り立ったファインは、やはり追いかけようとはしてこない。


「もうお終い? 残念ね」

「うるさい。次は殺す」

「それでは失礼致します」


 さっくり去っていく燈凛の背を追い、ヴィーダは屋敷を後にした。

 残されたのは、狂気に身を委ねる悪鬼が一人。


 ~~


「ふふ、面白い子ね。ヴィーダ・クヴィスリング。それと、日隠燈凛」


 揃って楽しい子達だった。

 騎士達や勇者達が期待外れだっただけに、彼らは大いにファインの心を満たしてくれた。


「ヴィーダくん達の目的によっては、直ぐに再会するでしょうし、楽しみね」


 将来の楽しみが増えたと、ファインはご満悦だ。

 鼻歌でも歌い出しそうな機嫌の良さで、与えられた部屋に戻ろうとすると、異変が起きた。

 薄黒い、霧のように濃い魔力が周囲を漂い始めたのだ。

 それは、騎士達の死骸へと集まると、一瞬で霧散した。

 騎士達の死骸があった場所には、鎧だけが残り、血の痕跡も見当たらない。絨毯にすら、死を示すものは消え去った。

 一連の現象を興味深く見つめていたファインは、くすりと笑みを零す。

 そして、ただ一言「楽しくなりそうね」と呟き、エントランスを後にした。

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