第8話 ファイン・レッツェルとの闘い
十三騎士団。
メンシュハイトが世界に誇る最強の騎士団。
求められるのは、強くあること。それだけだ。
国に所属する騎士団の中でも、特に個の強さを求められる騎士団であり、この団に所属する者は国内で最も力のある騎士として扱われる。
その強さは他の騎士を圧倒し、騎士団全員が反逆した場合は、国が滅ぶとさえ伝えられている。
故にか、それとも個々の性格の問題か、騎士団として動くことはなく、個々人での活躍を求められた。そのせいか、名称から団を抜いた十三騎士という呼び名が、世間的に広まっている。
そんな、メンシュハイトの最高戦力である十三騎士の一人、ファイン・レッチェルが敵対するなど、悪夢でしかない。
肩から胸元に掛けて肌が透けて見える黒い薄布で覆われた、妖艶な色気を醸し出す黒衣のドレスを身に纏い、ファインはどこか楽し気に赤い瞳を細める。
黒を基調とした装飾品の数々は、白雪のような髪や肌をより艶やかに際立たせる。
神という名の人形師が手掛けた美しい女性は、ミュンツェにとって死の訪れを予感させる黒き妖精だった。
彼女は、くすり、と笑みを零すと、先程のミュンツェの問いに答える。
「私がここに居て、貴女達に敵対する理由? ふふ、そんなもの決まっているでしょう? ここの、なんといったかしら。そう、貴族様に頼まれたの。この屋敷を訪れる者を排除してほしいって」
「排除……それは随分と穏やかではないね」
ミュンツェ達からすれば、堪ったものではない。
十三騎士と戦うなど自殺にも等しい行為だ。現にカイン騎士団長が率いる騎士団は、瞬く間に全滅した。
勇者とその仲間などと言われてはいるが、ミュンツェとシュトレの実力は一般的な騎士の中なら上位という程度。十三騎士とは比較にすらならない。新米騎士のフロンは言わずもがな。
先程殺された騎士団よりも劣るミュンツェ達が、ファインと戦って勝てる可能性は皆無。戦いになれば、彼ら同様血の海に沈む。
ならば、どうにかして隙を付いて逃げるしか策はない。しかし、出口側はファインが待ち構え、通り過ぎることを許さない。
ミュンツェは後ずさりながら、小声でシュトレに話し掛ける。
「シュトレ。とにかく、逃げよう。会話で注意を逸らしつつ、突っ切って――」
「――無理よ」
「は?」
思いもしなかった返事に、硬い声が漏れてしまう。
一体なにを言っているのか。どうあれ、ミュンツェ達には逃走の道しか残されていないというのに。
ファインを警戒しながら、視線をシュトレに移すと、目を見開き驚いてしまう。
あろうことか、シュトレは膝を付き、顔色を土気色に染め上げ、小刻みに震えているではないか。
そこらの小娘と変わらぬ怯えた姿。命の危機に怯えるのは理解できるが、流石にこれは異常だ。
ミュンツェとシュトレは学生時代からの同期であり、共に過ごした時間は長い。その中で、強大な魔物を前にして命の危険に晒されたこともあったが、幼子のように怯えたシュトレなど見たことはなかった。
どうして、立ち向かうことなく心が折れてしまっているのか。その疑問は震える声で呟かれた、彼女の独白のよって判明した。
「絶対、殺されてしまう。私達が敵うわけがない。逃げることだってできない。だって、だって。お姉さまと同じ十三騎士を、どうこうできるはずないもの」
「…………っ」
最低最悪。
シュトレが十三騎士に所属する姉に対して、コンプレックスを抱いていることは知っていた。毛嫌いしながらも、尊敬していることも。
だが、戦う前から負けを認めるほど絶対視しているとも、まさかそれが、十三騎士にまで波及しているとは思ってもみなかった。
シュトレにとって十三騎士とは、姉と同格の存在であり、敵うはずのない絶対者となっていたのだ。
元々、生きる目が少ないというのに、シュトレが使い物にならないというのは痛手どころの話ではない。
無作法と知りながらも、舌打ちしたい気持ちに駆られる。それをどうにか我慢し、今度はフロンへと視線を動かす。
彼女もシュトレと同じように震えてはいる。顔も真っ青だ。だが、ミュンツェの目が自分へと向いたことに気が付き、目で返す程度の意識はあった。
取り乱さず、意識を保っているだけ十分肝が据わっている。それだけでも、大いに助かる。
だが、現状を打破するだけのものではない。
ミュンツェはどうにか隙を見出そうと、ファインへと話し掛ける。
「騎士団を殺す、勇者を殺す。これは国家への反逆だけど、そのこと理解してる?」
「ええ、当然。けれど、それがなに? 反逆したから、どうだというの?」
平然と返され、ミュンツェのほうが動揺してしまう。
彼女にとって、国家など脅威ではないということか。犯罪者として追われることなどどうでもよく、自身の都合以外どうでもいいと切り捨ててしまえるというのか。
気が狂っているとしかいいようがない。だが、そんな命知らずの行動を平然と取れてしまうほどの力があると示唆しているようでもあった。
息を飲む。隙を伺おうと会話を試みても、これでは逆効果もいいところ。それでも、諦めるわけにはいかない。
「たとえ、ここから逃げれても、犯罪者として指名手配される。追手が来る。それでも、恐れはないの?」
「そういっているのだけれど、どうにも伝わらないわね。ああ、でも、本当にそうなるかは、わからないでしょうけど」
「それはどういう――」
意味か。そう問おうとした時、黒衣の妖精は口を三日月へと変える。
「――会話で油断を誘いたいなら、相手に考えさせる、驚かせるといった意表を突かないと、意味がないわよ?」
結局のところ、ミュンツェの浅はかな考えなどファインにお見通しであった。
彼女は息を吸うように自然な動作で、両手の細剣を投擲する。
逆に不意を打たれたミュンツェの動作は一歩遅い。とにかく、剣を抜かなければと体を動かす。
迫りくる脅威を、一閃で払い除ける。
打ち落とせたのは偶然に他ならない。気が急いたのが逆に功を奏したか。一つの幸運を拾い上げ、どうにか寿命を延ばしたが、それも僅かな時間。振り抜いた姿勢のままでは、時間差で迫る第三の細剣には対応できなかった。
肩を突き抜け、体を貫く鋼。熱を持ち、滴る血が床に散った後、遅れて強烈な痛みが体を襲った。
「あぁぁぁぁああああああっ!? いっっっっっ!?」
一体どうして!? 投げられた二本の剣は弾いたはず!? そもそも、両手に一本ずつしか剣を持っていなかったのに、どこから取り出したの!?
混乱極まる頭で、必死に思考を巡らせる。
未だ激しい痛みを発する肩に食い込む剣。下手に抜けば血を失い過ぎて立っていられないか。
足掻き、最善手を指そうとするが、ことごとくミュンツェの予想は裏切られる。
抜かずにいようと決めた細剣は、手で触れさえしていないというのに瞬く間に消滅した。傷口を塞いでいた栓がなくなり、血が溢れ出す中、なにが起こったのかようやく悟る。
「生成魔法……っ」
「あら? よくわかったわね」
パチパチと拍手をし、ファインはよくできましたと褒めたたえる。手も足も出ないミュンツェにとっては皮肉でしかない。
生成魔法。特定の物体を一時的に再現する魔法だ。
呪文を唱えず、魔法陣も発生していないことから、魔導具と呼ばれる特定の魔法を再現するアイテムを使用しているのだろう。
だが、原理が分かったところで、こちらの不利が覆るわけではない。
それでもと、諦めるわけにはいかないと自身を奮い立たせて剣を構える。けれど、それは気持ちばかりで体は付いていかない。肩から赤い血が流れ続け、段々と意識が朦朧としていく。
――やばいかも。眩暈がする。
視界が霞み、ファインを捉えることすら難しい。
そんな獲物の状態を見抜いてしまう死神は、一歩一歩近付き、死へと誘う。
「もう、終わりかしら、ね?」
再度生成したのか、再び両手に握られた細剣は、まるで首を刈り取る鎌だ。
動く気力も体力もなく、意識を保つことすらどうにかという状態。
これはもうダメかもしれないと諦めたかけた時、ミュンツェの横を赤いなにかが勢いよく通り過ぎた。
飛来する球体をファインは余裕を持って躱すが、目を丸くし驚いていた。
「縮こまって、なにもできないと思っていたのだけれど、動けたのね。当たるかと思ったわ」
「ぜんぜん、当たりそうにないじゃないですかっ」
振り向けば、重ねた両手を突き出し、ブレスレットの宝石を魔力によっていくつか発光させたフロンが、青ざめながらも果敢に叫んでいた。
今のはフロンが放った火球の魔法か。
騎士団の全滅。絶対者たる十三騎士との対決。死への直面。
それらを前にし、恐怖で身動き一つ取れずにいた少女は、瞳を潤ませながらもミュンツェの危機に立ち上がった。
ここに来る途中、国王の期待する飾りの役目を最も果たしているのはフロンだとと考えていたが、どうやら撤回しなくてはいけないようだ。
現在どころか、かつての勇者の仲間と比較しても遜色ないほどの心の強さであった。
想像しえなかった援護に、緊張が緩む。自分一人ではない、仲間がいるという安堵が、心を軽くした。
本来であれば、それは過度な緊張を解し、混乱を抑え、死へと遠ざかる一歩であったろう。しかし、それは彼女達が相手をしているのが十三騎士でなければ、という話である。
そもそも、一人で軍すら相手取れる者を相手に、一人から二人になったところで意味はなく、寧ろ相手を頼ろうとする意識は隙しか生まない。
現にファインは、ミュンツェが緊張を解いた一瞬の隙に、寄り添う程に彼女へと接近していた。
肉薄する死。気が付いたところで手遅れだ。
「残念ね。これでお終い」
「ミュンツェ先輩っ!!」
叫んだところで、どうにもならない。全ては後の祭り、だ。
ミュンツェは振り返ることもできず、迫る白銀は彼女の意識の外だ。
死ぬと実感することもなく、少女は死を迎えるだろう。痛みもなにも感じず死ぬのが、せめてもの救いか。
こうして、ミュンツェ・アーデルは死を迎える。彼女の物語は、ここで閉じる。
――そのはずだった
だが、どうしたことか。死の鎌は彼女の首を狩らなかった。そして、背後にいたはずの死神は、ミュンツェを飛び越えたのか、彼女の眼前に着地する。
目まぐるしい状況の変化に意識が追いつけないでいると、突然首根っこを掴まれ、そのまま背後に放り投げられる。
人形のように、意志もなく突っ立っているだけだったため、碌な抵抗もできず勢いよく尻餅を付いてしまう。
痛む尻など気にもならず、頭の中は真っ白だ。
「え、え、なにが」
「――下がってろ」
一体いつの間に現れたのか。
見上げた先には、和洋の特徴を併せ持つ不可思議な恰好をした銀髪の少年が、二本の刀を構えて背を向けていた。
彼は音もなく視界から消えると、ミュンツェが気が付いた時にはファインへと二刀を閃かせていた。
激しい剣戟音。火花が散り、反射する光が後になって刀が通った道を示す。
目によって動きを追うことは敵わず、音と光のみが戦っていることを教えてくれる。
「少し、厳しいわねっ」
一言、ファインは漏らすと、大きく飛んで踊り場まで後退する。その際、追撃をされないよう剣の投擲も忘れない。
銀髪の少年は、舌打ちとともに飛んできた剣を叩き落すと、階段の前まで進み出る。
見下ろす形となったファインは、突然現れた乱入者の少年へと驚きの目を向けた。
「貴方、何者?」
「誰が名乗るか」
吐いて捨てるような言葉。
およそ、正義の味方とは思えない態度の悪さ。だが、十三騎士を相手一歩も退かない姿に、大きな安心を覚えた。
――勇者、様?
自分の立場も忘れ、ミュンツェは彼の背に、かつての英雄を重ねた。
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