第二王女の依頼書

ななよ廻る

第1話 師匠との決別


「ごめんね」


 憂いを帯びた表情の師匠は、地に伏しても獰猛さを失わず、睨み続ける弟子に謝った。

 石造りの屋敷に囲まれた中庭は、かつて師弟が出会った場所であった。青々とした芝生に、屋敷に寄り添うように伸びる数本の木々。竜を模した白い像は、今にも動き出しそうなほど精巧な作りをしている。

 出会いの場所。少年にとっては別段良い思い出ではない。

 かつても、こうして負かされては地面を舐めるように顔を付け、悔しさばかりが募っていた。

 彼女と旅をし、心身共に鍛えたというのに、何一つ当時と変わらない結果。なんら成長していない自分に、弟子は歯がゆさばかりがわき上がる。


「謝るぐらいなら、行かなければいいだろう」

「無理よ」

「嘘だ」


 即座に否定した。

 無理なんてない。誰も成しえなかった奇跡を起こした女神の寵児に、無理などあろうはずがあるものか。


「逃げればいい。それだけで生きていける。むざむざ死ぬことなんてない。そもそも、死ぬ理由なんてないだろうがっ」

「……ごめんね」

「謝るぐらいなら生きろって言ってんだろうがっ!!」


 肺腑から炎を吐くかの如く。

 だが、叫ぶだけの熱量を持っていても、師匠が痛めつけた体はまともに動かせず、彼女に触れることすら叶わない。

 四肢と両翼をもがれた竜に残されたのは、火を吐く顎のみだった。


「俺は絶対に許さないぞ。絶対にだ。誰でもない、師匠をだ! 例え、世界中の誰もが勇者だ英雄だと貴女を称えても、俺だけは許さない! 貴女の名前が空に響くたび、俺は怒りの咆哮を上げてやる! 自ら命を捨てる愚か者が、勇者などであるはずがないと!!」

「……ごめんね」


 どれだけ叫んでも、師は謝るばかりで逃げようとはしない。

 そうこうしている内に、空は夕闇へと姿を変える。刻一刻と迫る死の刻限を、止めることができない不甲斐なさに涙が頬を伝う。

 涙に熱などなかろうに、この時は我が身の怒気が乗り移ったのように熱かった。


「ごめんね。それでも私は行くしかないの。だって――勇者だから」


 あらゆる未練を断ち切るように、師匠は弟子に背を向けると振り返ることなく去っていく。

 その背を睨み、ふざけるなと、行くなと喉から血が溢れるほど強く絶叫するが、彼女が振り返ることはなかった。

 自己犠牲の果てに一体なにが残るというのか。そんなもの自己満足でしかなく、他人の気持ちを理解しようとしないエゴイストに他ならない。

 どれだけ師の行動を否定しようとも、力のない少年に彼女を止める術はない。そう悟る他なかった弟子は、強い覚悟を持って最後の咆哮を上げる。


「どこの誰ともしれん奴に殺されるぐらいなら、俺が師匠を殺す! この手で! つまらん自己犠牲のためでなく、俺が貴女を超えたという証として死ね!!」


 師匠の耳に届いたかは、分からない。それこそ、答えは本人か女神しか知りえないだろう。

 そして当然ながら、彼の願いはついぞ果たされることはなかった。

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