第3話 巣鴨少年は逃走した。

 青年は何かを探すように辺りを見渡しながら呟いた。


「あれ? おっかしいな。違う部屋吹き飛ばしちゃったかな」

「お、前は……」


 掠れた声で何とか言葉を絞り出しながら、駒込が立ち上がる。大崎と代々木に比べれば大分軽傷だ。その姿を見て、青年は苦虫を嚙み潰したような顔をした。


「げ、駒込じゃん。なんだよ、死んでくれればよかったのに」

「何しに来た……」

「何って、テロ!」


 無邪気な笑顔で、あっけらかんと青年が笑う。まるで張り付けていた仮面を取り換えるような変わりように、巣鴨は震えた。

 その時、代々木が微かだが動いた。腕を潰している瓦礫から逃れるように、口の端から零れる悲鳴を殺しながらもがく。


「う、ぐぅ……いっ……!」

「おっ、まだ生きてる!」


 青年は代々木を嗤い、彼の上を覆う瓦礫を踏みつけた。代々木は激痛に、もう声すら出ない。


「おいおい、そんな慌てんなよな。今逃げられちゃ困るんだよね」

「や、めろ四ツ谷……!」


 青ざめた表情で、必死に駒込が叫ぶ。四ツ谷、と呼ばれた青年は、にんまりとその口角を吊り上げた。その笑顔は、先程までの作られた表情とは大違いだ。

 四ツ谷は、代々木が下敷きになっている瓦礫の上にどっかりと座り込んでその長い足を組んだ。王座に君臨する暴君の如き横暴さで、彼は喋り始める。


「そもそもさあ、俺たちは今日ここに保管されてる「鍵」をもらいに来たわけ。それが見つからないから困ってんだよ」

「「鍵」、だと……?」

「そ。まさか長月に知らされてないの? 天下の国家憲兵隊特務が?」


 げらげらと下品な笑い声をあげて、四ツ谷は腹を抱える。駒込は四ツ谷を見ながら、眉間の皺を深くした。


「お、いいねその顔。その嫌そうな顔を拝めただけで今日の収穫はあったってもんよ」

「大崎!」

「はいっ……!『縛――」

「遅い。『吹き飛べ』」

「ぐあぁっ!」


 陰から拘束を試みた大崎を、四ツ谷は首を傾げるだけで難なく避けた。それだけにとどまらず、言霊一つで彼女を文字通り吹き飛ばす。壁に激突した大崎の身体は、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。苦し気に目を閉じているが、息はあるようだ。駒込は歯噛みするが、それすらも四ツ谷にとっては楽しみの材料にしかならない。


「遅い遅い。俺の事捕まえたいならやり方があるだろ、なあ?」


 中指を立て、駒込を挑発するように舌を出す。子供じみた仕草に、駒込は舌打ちをした。

 その間にも、代々木の血は流れ続けている。冷や汗を流しながら、早くなる呼吸のなかで代々木が呟いた。


「こま、ご、め、さん……」

「代々木……!」

「ぼくは、いいですから……にげ、て……」

「美しい絆、泣けるねえ」


 四ツ谷の口は止まることを知らず、挑発を繰り返している。


「俺にはそんなもの、なかったのに。あんたは教えてくれなかった。幸せとか絆とか友情とか愛とか、そんなきらきらしたもの、俺にはくれなかったくせに。なあ、駒込。お前ほんと最低だよな」

「四ツ谷……!」


 目の前のテロリストに憎悪を向ける駒込を、そんな憎悪を受け止めて嗤っている四ツ谷を、巣鴨はただ見ているしかなかった。吹き飛ばされた先で、地べたに這いずってただ震えることしかできない。


「うっああぁぁああ!」


 下卑た笑みを浮かべる四ツ谷の下で、代々木が叫んだ。無理やり瓦礫から腕を引き抜こうとしている。筋繊維が断ち切れられ、シャツが赤黒く汚れ、血だまりがさらに広がっていくのも構わず、彼は重い戒めから逃れんと足掻いた。


 ずるり。


「っは、は、は、ぁ」

「すごいすごい! 駒込、あんたのお仲間ってガッツあるんだな!」


 手を叩いて四ツ谷が喜ぶが、事態はそれどころではない。何とか瓦礫の下から抜け出した代々木は、既に意識が朦朧としているのか目の焦点が合っていなかった。


「や、やばい……これ、死んじゃう……」


 巣鴨が、本能的な恐怖に震えながらうわ言のように呟いた。どうして、こんなことに巻き込まれているんだ。俺はただ、田舎から仕事を探して東響に来ただけなのに。テロとか、憲兵隊とか、良く分からないのに。


 目を固く閉じて、胸の前で拳を握りしめる。怖い。死ぬのが、怖い。ビルの崩落に巻き込まれたときとは違う、明確な死の恐怖が彼の意識を支配していた。


「巣鴨くん」


 震える巣鴨の肩に、誰かが手を置いた。はっと顔を上げれば、そこには真剣な表情をした駒込がいる。彼は囁くように巣鴨に問うた。


「君、言霊はどういったものが使えるのかな」

「え、あ、俺は『奔れ』です……ただ速く走れるってだけで、役に立たなくてごめんなさい……」

「走れる、か……」


 口元を手で覆いながら、駒込が呟く。何かひらめいたのか、突然「聞いてくれ」と耳打ちした。



「何、こそこそ相談してたけどおしゃべりは終わった?」

「わざわざ待ってくれるなんてお前らしくないな、四ツ谷」


 駒込の言葉を、四ツ谷は鼻で笑って返した。巣鴨は、駒込の合図を固唾を飲んで待機している。



≪いいか。俺が合図をしたら巣鴨くんは――……≫



「お仲間を見殺しにする駒込が見たかっただけだよ。もういい? 俺さっさとあんたの事殺したいんだけど」

「口が悪いな。そんな汚い言葉を使えと教えた覚えはないぞ」

「は?」


 今度は四ツ谷が眉間に皺を刻む番だった。彼はため息交じりに掌をかざした。向けた先は、巣鴨と駒込だ。


「やっぱ俺あんたの事嫌いだ。さっさと『吹き飛べ』」

「今だ巣鴨くん!」

「は、はい!」


 四ツ谷の言霊が、不可視の力となって二人を襲った。ただ目の前を『吹き飛ば』すための意思が、命を奪うために喰らいつこうとする。床のコンクリィトはめくれ上がり、砂塵と小石をまき散らして近付いてきた。


 それを、駒込は待っていた。


「『止まれ』!」


 四ツ谷の言霊が動きを止めた。駒込が手をかざし、対抗するように自らの言霊を発動している。

 駒込が有する言霊は、動いている物を制止させる『止まれ』だ。ただし、この力は生きている者に対しては発動しない。

 巣鴨は、駒込の合図と共に走り出す。四ツ谷の足元に倒れている代々木の傍に駆け寄った。



≪……――代々木を助けに行くんだ。四ツ谷の言霊は強力で狂暴だが、あれは発動している間その場から動けない。あれは俺が食い止める≫



「大丈夫ですか!」

「……っ、ぅ」


 まだ息がある。顔色は青を通り越して土気色になっているが、辛うじて代々木の生命活動は停止していなかった。巣鴨はまだ無事な代々木の右手を自分の肩に回して、立ち上がった。ひしゃげて原型を留めていない逆の腕は、意図的に見ないようにする。


「っ、駒込さん! まだ生きてます!」

「くっそ! 駒込は囮かよ……!」


 二人の意図を察した四ツ谷は悔しそうに顔を歪めたが、既に遅い。


「大崎を拾って奔れ!」


 駒込の声に反応して、巣鴨が踏み込んだ。



「……――『奔れ』!」



 一歩。靴の底のラバーが軋む。

 二歩。蹴り上げられた砂ぼこりが舞い上がる。

 三歩。倒れている大崎の腕を取り、蝶番ごと吹き飛んだ扉をくぐる。


 一陣の風になって部屋を駆け抜けた巣鴨に、四ツ谷は瞠目した。目で追えないほどの速度で部屋の外に消えた彼は、もう到底追いつけない程に遠く彼方にいた。


「なっ」

「じゃあな、四ツ谷」

「はっ、おい待――」


 四ツ谷の返事を待たず、駒込が何かを地面に投げつけた。緊急時に使用が許可されている、長月謹製の煙幕弾だ。地面に激突した衝撃で割れた球体から、爆発的な蒸気が発生する。一気に視界が白に染まり、四ツ谷は咳き込むしかない。


 気が付けば、拮抗していた駒込の言霊も消えていた。


「ちっ……『吹き飛べ』」


 四ツ谷の言葉に呼応するように、辺りの蒸気が吹き飛ばされる。そこには誰もおらず、ただ代々木が流した赤い血液だけが残されていた。

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