平成神話

ハマー

分相応

 昼下がり、大学の図書館は午前の授業を終えた学生であふれていた。俺もその一人で今日中の課題を片付けたくてその中に混じろうとしている。

 テーブルはおおかた埋まっていた。いや埋まってはいないか。というのは学生たちが席を一つ空間を開けて座っているからだ。

 席に空きが見当たらなかった。居心地は悪いが他の学生の隣に座るしかないかと考えていたとき、見知った顔を見つけた。大学で知り合った友人である。

 丁度ちょうどいい。俺はそそくさとそちらへと足を運び、何も言わずに席へ座った。友人は眉間にしわをよせて、こちらを一瞥いちべつ。そして二度見。

 友人は呆れたようにため息を鼻から出した。

「びっくりしたか?」

 おそらく俺の顔はしたり顔なのだろう。友人のうざったそうにしているのをみれば分かる。

「びっくりした。なにか言えよ」

 そう言うと何もなかったかのように友人は手元のプリントに目を落とす。

 俺は席に座りながらそれを覗いた。

「何やってんだ?」

「今日の課題だよ。5限目の」

「お、一緒」

 かばんから取り出したクリアファイルをテーブルの上に放り投げた。

「だろうな。ふつう課題が終わってたら5限目の始業に間に合わせてくるもんな」

 まったくその通りである。課題さえやっていればこんなに早く大学に来ることもなかったのに。とはいえ学生は学業が本分ほんぶん。やらねばならない。

 そう決意を固めてクリアファイルからプリントを抜き出し、かばんから筆箱を取りだそうとしたとき、筆箱がないことに気がついた。家に忘れて来てしまったらしい。

「すまん筆箱忘れた。ペンを貸してくれ」

 俺は友人に助けを求める。

 そう言うと友人は何も言わず、自分の筆箱をあさって一本のペンを渡してくれた。

 青いメタリックの4色ペンだった。そうとう使い古されたペンらしく、キズだらけで、手があたるところは剥げている。その上グリップは変形、変色までしている。

 一見すると使えそうに見えない。しかし渋々プリントに試し書きしてみると、しっかりとした線がびる。手に伝わる感触も心地よかった。とはいえ見た目からして使うのをためらうような代物だ。

「ずいぶん使い込んでるな」

「まぁ昔から使ってるからな」

「どこ製の商品なんだ? 新しいのにえたらいいのに」

「知らねえし、それ小学校の卒業記念品だから替えようがねえんだ」

 そう言われてペンを回す。塗装が剥げていて学校名はちゃんと読めないが、小学校という文字が読める。

「そりゃ長持ちだ。思い入れでもあるのか?」

「別に」

 あっさりとした返答。

「じゃあ気に入ってるのか?」

「ふつう」

 あしらうような答え方。しかし、どうやらそれが本心らしい。

 友人は握っているペンをすっとこちらに見せた。

「メインで使ってるこのペンが使えなくなったら使う用のスペアなんだ」

 なるほど。ようは代打のような存在か。なんとなくに落ちた。

「俺もそこまで使うつもりはなかったんだけどさ。こういう記念品って無駄に質良くて長持ちするんだよな」

 友人は俺の持つペンを見つめる。そう言われるとそうだった。

 小学校を卒業するときにもらった写真立ては俺の部屋の机に鎮座しているし、中学のステンレス製のコップは家で未だ現役だ。ましてや高校卒業のときにもらった印鑑はいまやなくてはならない大事な貴重品となっている。

「貰いものだから雑に使ってるはずなんだけどな」

 俺はうんうんと頷く。

「確かに、長持ちするよな。そのせいでいつの間にか持ち物に馴染なじんでるんだよな」

「馴染むってことはそれが自分に分相応のモノってことなんだろ」

「じゃあお前は小学校の卒業記念品のペンがお似合いだってことか」

「そう言われるとなんか嫌だな」

 友人がこちらを半目で睨む。無視だ、無視。

「でもそうなのかもしれないな。なんとなく『まぁこれでいっか』って手に取っただけど、結果使いやすい文房具として俺の筆箱に入っているわけだし」

 ペンがメタリックのにぶい輝きを放つ。まるで喜んでいるかのようだ。

「こいつは分相応ぶんそうおうなお前のところにやってこれて良かったわけだ」

 友人は「まあそういうこった」と相づちをうつ。

「俺の趣味が変わるか、そいつの寿命がくるかどっちかは分からないけど、そのときがくるまで使うとするよ」

 そう言葉をつないだ友人はプリントをクリアファイルにしまい、それをまたかばんの中にしまい込んだ。

「じゃあ、俺は課題終わったから飯食ってくるわ」

「おう。あ、このペンはどうすんだ」

「5限のときにでも返してくれ」

 そういって友人はさっさと行ってしまった。

 借りたペンで課題を続ける。書きやすさは申し分ないのに、いつも使ってるペンと違う感覚に少しやりづらさを感じる。

 もしこのペンが俺のところへやってきていたら、間違いなく使われることなく引き出しのすみにでもしまい込まれていただろう。やはりこいつは友人に馴染むべくしてやってきた、分相応の存在らしい。


 ***


 なにもない空間がある。

 そこに人の形をした白いもやがいた。かぎりなくぼやけた存在で輪郭りんかくは靄のゆらめきで捉えることはできない。ただ人の形をしているということだけが分かる。

 白い靄の側には球体がある。それは宇宙だった。銀河や恒星や流星がさんざめき賑やかで、まるで宝石をばらまいたかのように宇宙は漆黒に輝いていた。その中にはもちろん地球もあった。

 白い靄は宇宙を大事そうに持ち上げて眺めていた。

 そんなとき、なにもない空間に灰色の煙が立ち上る。これもまた人の形をしていた。

「何を見ているんです?」

 灰色の煙はたずねる。

「宇宙です」

 白い靄は端的に答えた。

「なぜ見ているのです?」

 灰色の煙も端的に訊ねた。

 これに白い靄は困ったかのようにしばらく黙ってから「なんとなく」と答えた。

 そう言われると灰色の煙は混じり合うように白い靄の側へと寄った。

「人間ですか。懐かしいですね。教練の記念品でもらったのを覚えています」

 灰色の煙は懐かしむように話を続けた。

「ずいぶんと昔に使ったのを覚えています。なかなかの文明生成力を持っていました。ただ知能はあまりよくなくて運命を切り開けず絶滅しましたが」

 それに白い靄は何も言わなかった。

「他の生命体に替えないのですか?」

「これでいいのです」

「似た生命体ならいますよ。それにさらに利口で、運命を切り開く力も数倍です」

 白い靄が激しく揺れた。首を振ったようだ。

 灰色の煙は首をかしげるようにたなびいた。

「何か思い入れがあるのですか?」

「いいえ」

 それに灰色の煙はさっきとは逆へたなびいた。

「気に入っているのですか?」

「ふつうです」

 灰色の煙はうなり声をあげる。

「うーん、ならなぜ人間を使うのです?」

「なんとなくです」

 曖昧な答えに灰色の煙は納得できていないといったゆらめきかたをした。それを見た白い靄は言葉を続けた。

「ただそこにいたから選んだまでです。理由はとくにないのです」

 灰色の煙は「ほーう」と納得したような、納得していないような声をあげた。

「人間は面倒ではありませんか」

 灰色の煙は白い靄が持つ漆黒の宇宙の周りをぐるぐる回った。そのたび白い靄とぶつかって、お互いが霧散しては人の形へと戻るを繰り返しいる。

「面倒ですね。愚劣で馬鹿。すぐ争いを始めて殺し合う。なのにしぶとい」

 白い靄は一息入れてから「でも」と続けた。

「感謝してくれます。祈りを捧げてくれます」

「あれは我らに向けられたものではありませんよ」

 灰色の煙はきっぱりと言う。白い靄は「たしかに」とつぶやき、

「それでも、それがわりと嬉しいです」

 それにまた「ほーう」と灰色の煙はうなった。

「人間の繁栄を最後まで見届けますか?」

「それは、分かりません」

「そうですか」

「はい」

 それっきり会話はぱったりとなくなった。それから無限のように長い間をおいてから、

「他の生命体を見に来ませんか?」

 灰色の煙が白い靄を誘った。

「いいですね。何を見ましょうか?」

「イルカなんてどうでしょうか?」

「イルカはこちらに気づくので、少しやりにくいです」

「気にしなくていいですよ」

「でもなんだかそわそわします」

「大丈夫です。私が一緒にいますから」

「はい」

 そう言うと、白い靄と灰色の煙はどんどん霧散していき、その姿を消していく。

「この際、イルカにしてみるのはどうですか?」

「いえ、当分は人間でいいです」

 声がどこから聞こえてくるのか分からないほど白い空間に靄と煙も消えてなくなった。

 そして、かすか小さな声だけが残った。

「我には人間が分相応なのです」

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