第2話 教会
夏休みの終わり。
リビングに居る小学二年生の圭吾はゆううつでした。
もうすぐ学校が始まるからです。
ああ、イヤだ。もっと遊びたいよ。
釣りに行ったり、湖で泳いだり、山を登ったり。
一日中ゲームをして、アイスやお菓子を食べて、ゴロゴロ寝転がり、テレビを見たりマンガを読んでいた日々も、もう終わり。
なんて楽しかった夏休みだったのでしょう。
それが、一週間後にはきゅうくつな制服を着て、固いイスに座ってじっと先生の話を聞いていなければならなくなるなんて。
考えるだけでゾッとします。
「ヘイ、ケイゴ! 教会の神父さんに焼きすぎたクッキーをもっていってちょうだいヨ!」
甘い匂いがするキッチンから、キルゼおばさんの声が飛んできました。キルゼおばさんは最近、とても機嫌がよくウキウキとしています。もうすぐ圭吾が日本に帰るので、それが嬉しいのかもしれません。
「わかったよ」
圭吾は舌うちをして、寝転んでいたソファーから下り、立ち上がりました。
圭吾は夏休みのあいだ、お姉ちゃんと結婚したロランゾおにいさんの親戚の家に遊びに来ていました。
ロランゾおにいさんは、日本人ではありません。
マスカダイン島という島で生まれた外国の人です。
そのマスカダイン島に、圭吾は飛行機に乗り、船に乗ってやってきたのでした。
マスカダイン島は北半球の海に浮かぶ島で、日本とよく似たような温暖湿潤気候です。マスカダインというブドウがどこにでも生えています。
美しい湖もあり、砂漠もあり、高い山もあり、観光客が多く訪れる島です。
戦後、マスカダイン島に移住した日本人の子孫が多く住み、日系人だらけです。日本語がどこでも通じるところでもあります。だから安心して圭吾はこの島に遊びに来たのでした。
丸い顔をしたキルゼおばさんから、圭吾は紙袋に包まれたクッキーを受け取りました。
靴をはき、家から少し離れたところにある山の手の教会に向かって、圭吾は夏の陽射しの中を歩き出しました。
マスカダイン島の教会は、キリスト教の教会とは違います。
独特の島の宗教で「マスカダイン教」というもののようです。
島の人たちの中には、洗礼を受けた人と受けていない人が居ます。
違いがよく分かりませんが、洗礼を受けた人は「ワノトギ」と呼ばれていて、みんなから一目置かれているようでした。
キルゼおばさんも洗礼を受けた人でワノトギです。
紫色の壁をした教会の階段を上り、圭吾は呼び鈴を鳴らしました。
「ハイ」
ポロシャツを着た神父さんが出て、ニッコリと圭吾に笑いかけました。
ミゲロ神父さんは顔が穴ボコだらけですが、とても愛想の良い男の人です。
「キルゼのクッキーかい? ワオ、これはみんな大喜びだな。……ケイゴ君も中で一緒にどうだい?」
「中に誰か居るの?」
「君と同じくらいの子供たちがいっぱいさ。ちょっと遊んで行かないかい?」
「……」
めんどくさい、と圭吾は思いました。
「新作のゲームを持ってる子がいてね。みんなでオオハシャギさ」
ミゲロ神父の声に圭吾の心が動きました。
「少しだけ、どんなゲームか見せてもらっていいですか」
「モチロン! みんな歓迎するよ」
ミゲロ神父が扉を大きく開き、中に入ったとたん、ミゲロ神父の後ろにいた小さな男の人の姿に圭吾はおどろいて立ち止まってしまいました。
「こんにちは」
「おい、スーゴ! びっくりさせるなよ」
低い声であいさつしたスーゴという男の人は化け物のようなみにくい顔をしていました。白くて長い、裾を引きずる神父さんの服を着ています。目や鼻が歪んでいて、頭が禿げています。
この人は生まれつきでこんな顔をしている人なのだろうと思った圭吾は、見つめるのは失礼だと思って目をそらしました。
「アハハ、こわかったよね、ケイゴ。このちょっと変わった顔をしたスーゴは、僕の神父仲間さ。今日、遊びに来たんだ」
「こんにちは」
目をそらしたまま、圭吾は頭を下げました。
スーゴ神父も頭を下げました。
「さあ、中へ! 賑やかなもんだよ!」
ミゲロ神父は明るく言って、圭吾を礼拝室の奥まで連れて行きました。
礼拝室の中はマスカダインというブドウが飾られており、甘い匂いが充満しています。
奥まで行くと、ミゲロ神父は地下への階段を下りはじめました。
地下室?
てっきり二階にある広間だと思っていた圭吾は拍子抜けしましたが、ミゲロ神父のあとに続きました。
「この子の処置は手配済みなのか?」
後ろでスーゴ神父がミゲロ神父に話しかける声が聞こえました。
「ああ、キルゼとロランゾがする予定だ」
ミゲロ神父が爽やかに笑いました。
階段を下りると頑丈そうな扉が現れました。
扉を開けます。
びっくりするほど、ぶ厚い鉄製の扉でした。中で騒いでも、めったなことでは外に聞こえないでしょう。
クーラーのきいた涼しい風が圭吾の頰に当たりました。中の部屋は明るく、九人の子供たちが居て、そろってこっちを見ました。
「みんな、新しい仲間だよ。そして、クッキーだ」
ミゲロ神父の言葉にわっ、と子供たちが寄ってきました。そのうちの一人の男の子に神父はクッキーを渡しました。
「さあ、ケイゴ君、みんなと楽しくしてなさい」
圭吾が部屋に入るなり、ガチャン、と後ろの扉がいやに大きな音を立てて閉まりました。
ミゲロ神父、スーゴ神父は一緒にクッキーを食べないようです。
いきなり、見ず知らずの子供たちの中に放り込まれて圭吾は緊張しました。
ああ、それにしても地下室の部屋のものすごい散らかりようと言ったら。
圭吾は言葉を思わず失いました。
絨毯の上にはぬいぐるみ、ロボット、パズル、LEGO、モノレール、マンガ、お菓子の袋……といったものが散乱しています。
茶色の染みがそこかしこにふんだんに絨毯に付いているのは、チョコレートかコーラの跡でしょうか。
散らかしぐせのある圭吾でさえ呆れるほどです。
「日本人だよね。君の名前はケイゴ? 僕はフラサオ」
クッキーを手にした男の子が圭吾に話しかけました。その男の子は圭吾と同じような年にみえましたが、真っ青な髪の毛とひとみでした。子供のくせに、髪の毛をこんな色に染めているなんて不良だ、と圭吾は思いました。
しかし、マスカダイン島ではこれが普通なのかもしれません。
他の子たちも日本人の圭吾から見ると不良の見本のような子たちだったのですから。
緑の髪の女の子が言いました。
「私はシャンケル」
とんでもないピンクの髪の女の子が居ました。
「ミュナよ」
紫の髪の男の子が笑いかけます。
「僕はユシャワティン」
次に挨拶したのは茶色の髪の男の子。
「クヴォニスって言うんだ、よろしく」
うすいオレンジの髪の男の子が手を振ります。
「こんにちは。ヲン=フドワだよ」
プラチナブランドの長い髪を二つに分けて高い位置でお団子にした女の子がニッコリしました。
「チム=レサというの」
なんだか具合の悪そうな赤い髪の女の子がぶっきらぼうにつぶやきました。
「イオヴェズ」
最後に残ったのは、真っ黒の髪と目の男の子。
「ネママイア」
「ケイゴです。……新しいゲーム持ってるんだってね。僕に見せてくれる?」
圭吾はホッとして、みんなに挨拶して話しかけました。
不良っぽいと思いましたけど、赤い髪のイオヴェズと最後の黒い髪と目のネママイア以外はみんな、親しみやすい子に見えました。
「ゲーム……そんなことより、もっと面白いことしようぜ」
黒髪のネママイアが唇を歪めて言いました。
「そうだ、そうだ!」
「カエルがいい! カエルにしよう!」
「モジャモジャ、モジャモジャも!」
「死刑! ブタの死刑も! みんなしよう!」
ネママイアの言葉に男の子たちがとたんに、わっ、と盛り上がりました。
うわあ、と圭吾は心の中でうんざりしました。
小さい子が遊ぶようなつまらない「ごっこ遊び」をする気なんだと思いました。
僕はゲームを見せてもらいにきたのに。
まあ、いいや。途中で用があると言って、早めに抜けよう。
圭吾はみんなに乗るフリをしました。
「今日は誰の番?」
「クヴォニスだよ、今回はクヴォニスの番」
「なあんだ、つまらないなあ」
茶色の髪のクヴォニスはぼやきながら、部屋の真ん中へと行きました。
大理石で作られた祭壇のような台の上に寝転びます。
「最初はカエルだね。フラサオ、して」
オレンジの髪のヲン=フドワが楽しそうな顔で部屋の隅から漏斗を持ってきました。そして、仰向けになったクヴォニスの口の中に先を差し込みます。
「君は腕を押さえてよ」
紫の髪のユシャワティンがクヴォニスの足を台に押さえつけながら圭吾に言いました。
「何をするの?」
言われたとおり圭吾はクヴォニスの手を上にあげ頭の上で押さえつけました。
「見てのお楽しみ」
すぐ横に立っている青い髪のフラサオが目を輝かせて言い、くるくると指を回しました。
圭吾には何も変わらないように見えました。
しかし、クヴォニスがごぼっとえづくような声をあげたのにやっと気がつきました。
いつの間にか目の前の漏斗の中には、なみなみと水が入っていました。
クヴォニスはどんどんその中の水を飲まされているのでした。
「え、何の手品なの? どこから水を出しているの?」
びっくりして圭吾は聞きました。
みんなはニヤニヤしました。
不思議なことに漏斗の中の水は無くなりません。
確かにクヴォニスの口の中に注がれているのですが、ちっとも減らないのです。
「僕はフラサオ。水の神霊さ」
フラサオがくるくると指を回し続けます。
圭吾は、あっけにとられて目の前の漏斗を見ていました。
が、やがて気がつきました。
水を飲まされ続けているクヴォニスのお腹がどんどん膨らんでいくのを。
「ねえ、やめよう。もう、飲みすぎだよ」
「ダメダメ、カエルになるまでだよ」
「それがゲーム」
不安になった圭吾にみんなが笑い返しました。
ぐげ、とクヴォニスがまたえづきました。
「ダメだよ、死んじゃう!」
圭吾は手を離し、漏斗を取ろうとしましたーーが、出来ませんでした。
両手がクヴォニスの手首から接着剤で貼り付けたかのように離れないのです。
「今から面白いんだよ。邪魔するな」
クヴォニスの脚側に立っている黒い髪のネママイアが低い声で言いました。
圭吾はネママイアの顔を見るなり、身体が硬ばって動けなくなりました。
ネママイアの黒い目。
その目から圭吾は目が離せません。
声を出そうとしました。
しかし、どうやっても出ないのです。
息をするのがやっとです。
そうする間にもクヴォニスのお腹はどんどん膨らんでいきます。
クヴォニスが白目をむきました。
喉の奥からゴボゴボと変な音がします。
「あははは、カエル、カエル」
男の子たちがはやしたてました。
やめてやめてやめて!
出ない声で圭吾は必死に叫びました。
ネママイアはクヴォニスを見ずにそんな圭吾を見て、面白そうにニヤニヤしています。
クヴォニスが手足をバタバタとけいれんし始めました。
圭吾は目をつぶろうとしました。
しかしそれさえも出来なかったのです。
ネママイアの黒い瞳がさせまいかとするように、圭吾をじっと見つめていました。
クヴォニスのお腹はパンパンに膨らみ、本当にカエルのようです。はちきれそうです。
――――やめて!
圭吾は心の中で悲鳴をあげました。
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