第十一話
時刻は、夜の八時を回った。
待ち合わせの時間になったが、まだ、青林女学院の生徒会長は、姿を現す気配がなさそうだった。
待ち合わせに遅れるとは、お嬢様学校なのにそういう躾けはできていないのか。
それとも、お嬢様学校だからこそ、そういう所に対して世間知らずになるのか。
まぁ、それを私があれこれと考えた所で始まらない。
来ないのだから仕方がない。
スマートフォンで、LINEを操作すると、文学部の面々――若き『天眼の衛士』たち――に、連絡を取った。
皆、それぞれ配置についてくれているらしい。
最後の最後まで、私を一人にするのを渋っていた
今回の作戦で、最も重要になるのは氷室くんだ。
彼が指定したポジションにちゃんとついていてくれているかどうかが、私が囮になる意義に大きく影響してくる。
どう、と、メッセージを送ってみる。
すぐに既読がついて、準備完了、と、だけの、簡単なメッセージが返って来た。
なんというか、こういうコミュニケーションツールでのやり取りまで、実に氷室くんらしいといえば氷室くんらしい。
高木くんはメッセージが過剰だし。馬崎さんは……そもそもスマホを持っていない。今どきガラケーだけでやりくりしているのだから、それはそれで凄いと思う。
と、そんなことを考えていると、視界の向こうにゆらりゆらりと、こちらに向かってくる人影が見えた。
水銀灯の光を受けて揺れる、その髪の色は亜麻色。
おしとやかな純白のブレザーに、濃紺のチェック柄をしたスカート。
夜の公園を歩くだけにしてもいちいちその所作が美しい彼女は、まさしく、私が待っていた人物だ。時刻は八時三分。三分遅れならばまぁ、遅れた内にも入らないだろう。
「よかった、ちゃんと待っていてくれましたのね」
そう言って、安堵の表情を見せる青林女学院の生徒会長。
名前は――伏見さんだったか。
なるほど。
確かにその足元には、影がなかった。
さて、ここはどう出るべきか。
さっそくカゲナシであることを指摘して、先制攻撃を仕掛けるが吉か。
それとも、彼女の話に暫く付き合って情報を引き出すべきか。
思いあぐねいていると、くすり、と、また、青林女学院の生徒会長――に擬態したカゲナシは、口元を隠してお上品に笑った。
「そんなに身構えなくっても良いでしょう。天崎美紀――御陵坂学園の『天眼の衛士』たちのリーダーよ」
「……どうして私のことを?」
知っていた?
どうして?
私たちが御陵坂学園の『天眼の衛士』であるということを知った上で、この青林学園の生徒会長は接触を図って来たというのか。
そんなことを知っているのは、ごく一部の人間に限られる。
それに、そもそも、私たちが正式な『天眼の衛士』の部隊として動くようになったのは、ここ最近のことである。木っ端なカゲナシを退治して回るようなことは前からしていたけれども、実働部隊として動いていた実績はほぼない。
内外で、私たちの存在はそれほどメジャーではないはずだ。
なのに、何故、彼女はそれを知っているのだろう。
そんな反応を楽しむように、青林女学院の生徒会長に擬態したカゲナシは、にんまりと邪悪に口角を吊り上げるのだった。
「まんまとこちらの罠にひっかかってくれて助かったわ。そうよね、単独で面会を要求されたら、普通は仲間を連れてぞろぞろと会いに来ることはできないわよね」
「……何が目的」
「ふふっ、自分が何者であるかも分かっていないようね」
自分が、何者かも、分かっていない。
なんの事だろうか。
まぁいいわ、と、呟いて、青林女学院の生徒会長が、ぱちりと指先を鳴らした。
それと同時に、ぞろぞろと、公園内から人影が現れる。
どれもこれも――人の形をしているが、人の気配を感じさせない者たち。
青林女学院の制服を着ているが、その中身は間違いなく、人外のモノ――カゲナシ――に相違なかった。
これだけの数のカゲナシを人知れず揃えていたというのか。
そして周囲には、彼ら以外の人影なない、という様子だ。
私たちに気取られない、公園内に人が入ってこないように、それとなく人払いをしていたのだろう……。
これなら、外から見て、女学生たちがなにか公園で活動している。
そんな風に見えなくもない。
巡回の警察官などが通りかかれば、は
この青林女学院の生徒会長に擬態したカゲナシは、相当に頭の回る種らしい。それこそ、先日相手をした、土偶のカゲナシとは一線を画す。
すぐに、私は灼銅鎖を制服の袖の中から展開した。
しかし――。
「これだけの人数を相手に、その鎖一つで何ができるというの?」
侮るように彼女は私に言い放った。
数の優位は何物に勝る。
十数体からなるカゲナシの群れを、この手に握りしめている灼銅鎖だけで駆逐できるとは思っていない。なんといっても鎖は一連。良くて同時に両端の分銅を打ち込んで、二体。絡めて、縛影術により熱を流しても三体が限度だろう。
それをしているうちに、背後を取られてしまえば、もうお終いである。
なによりも、目の前の青林女学院の生徒会長――に擬態したカゲナシの相手で、こっちは手一杯だろう。これが、
だが、私のような、『天眼の衛士』として、並み程度の実力しか持っていない者では――詰んだと思うのも、思われるのも仕方ない。
もっとも――。
「油断しているのは、そちらではないの?」
「……なに?」
ぱん、と、青林女学院の生徒会長に擬態しているカゲナシ――その亜麻色をした髪が揺れて、その頭部の半分が、大きな音共に弾けた。
ぱぁあぁという気の抜けた声が公園の中に木霊する。
すぐに彼女の弾けた半身から、紅色をした炎が立ち昇る。
どうやら火系のカゲナシのようである。
はじけたところから、急速再生していくそれから距離を取る。そちらについては、彼に任せることにして、私は、まずは近づいて来ていたカゲナシの群れの一つに、灼銅鎖を打ち込んで消滅させた。
「……ナ、ドコカラ!?」
「探すだけ無駄よ。見つけた所で、届くような所に居ないわ」
そう言っているうちに、また、彼女の体が弾けて飛び散った。右腕を完全に破壊された彼女の体から、血の代わりに炎が立ち昇る。
しかしその炎もすぐに、黒化して――熱を奪われて炭になって――もろく崩れ落ちた。
火系のカゲナシには、水系の縛影術。
今、彼女の体を襲っているその攻撃は、遠く、この京都の街の夜に紛れた氷室くんが発している縛影術に他ならなかった。
氷室くんが所属している『水月亭』は、主武装として近代兵器を利用する。というより、最新の武器に合わせて、その戦闘術を変化させるのを得意とする一派だ。
まさしくその流派の体現者である氷室くんもまた、普段は拳銃型の武器を使い、それを核にして影縛術を発動させている。
しかし――彼が使うのは何も拳銃だけではない。
今日のように、軍用のライフルを持ち、遠距離からの射撃というのも彼の得意とする戦法の一つであった。
水の流れは絶えずしてなんとやら――ということらしい。
変幻自在、いかようにも姿を変える彼ら『水月亭』の技は、原理こそ『大太郎亭』という他流派である私には分からなかったが、見ていて実に衒学的なものであった。
閑話休題。
再び、氷室くんの放った銃弾が、青林女学院の生徒会長の腹を射抜いた。
「グ、グソォオオオオ!!!!」
「観念しなさい、この公園は既に、氷室くんのテリトリーよ」
そうこうしているうちに、私の下に、
数十体いた彼女の部下であるカゲナシ――土偶のカゲナシの下位の者と、風のカゲナシの下位の者たち――は、
属性有利がここまで気持ちよく決まるものか。
なんにしても、趨勢は一瞬にして逆転し、もはや、どちらがどちらを罠にはめたのか、分からないような状況になっていた。
いける、と、思った時だ。
「……チョウシニ、ノルナァアアアァアァアア!!!!」
叫んだ青林学園の生徒会長。完全に、人の体から姿を変えた彼女は――大きな燃える山椒魚、すなわち、
先ほどまでのはっとするような美しさはどこへやら、ぶつぶつとした荒れた肌をした彼女は、その四つある足を踏み慣らして、ごぉ、と、炎を吐き出した。
すかさず、
「大太郎亭が影縛術はその秘奥が七式――
振り下ろした朱柄の槍が、迫りくる炎を左右に切り分ける。
形勢逆転を狙って放ったその炎は、私たちの体を焼くこともなければ、掠めることもなくその横を通り過ぎた。
何も、影縛術で操ることができるのは、自分の力だけではない。
自然に存在する事象についてはいわずもがな、カゲナシの使う術についても扱える。
よって、相手の力が同系のものであれば、このようにして、防御して無効化することも可能なのだ。
と言っても、
名跡『
腹の中に溜め込んでいた魔力を全て吐き出したのだろう。
大きな
「ナンダトォ!?」
「ははっ、あの
そう言ってこちらを振り向く浩一さん。
形勢逆転したからと言って、ちょっと気が緩みすぎじゃないだろうか。
けれども、戦いの趨勢は既に決した。
「悪いけれど、貴方の負けよ――青林学園の生徒会長さん」
その言葉を待っていたとばかりに、その眉間に向かって、極大級の氷の塊が飛来したかと思うと、地面にバケモノの体を打ち付けたのだった。
きゅおん、という、断末魔と共に、その体が闇へと還っていく。
今回もまた、なんとか任務を果たすことができたようだ。
ほっ、と、胸を撫でおろすと共に、私は弾が飛んで来た方向を振り返る。
どこに潜んでいるのだろうか、氷室くんの姿を探すと――。
「わっ、ちょっと何あれ」
「花火? 季節外れっすね」
「にしても、アイツにしては珍しく、気の利いたことをするじゃねえかよ」
暗い京都の夜空に向かって、水色をした氷の華が突然に咲いた。
その下に、きっと氷室くんはいるのだろう。
ほんとうに彼にしては珍しい。
いつも冷静沈着で、余計なことをしない彼がこんな洒落の利いた行動をするなんて。
けれども。そんなどこか子供っぽい氷室くんも、私は悪い気がしなかった。
いいじゃない、彼だってまだ、私と同じ年齢なのだから。
自分の立てた手柄に、はしゃぎたくなることだってあるわ。
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