第七話

「……氷室の昼飯?」


「なんだよお嬢、そんなの気にしてどうしたんだよ。学食で食ってるだろ、普通に」


「けど俺、一度も学食で氷室さんと会ったことないっすよ」


「私もー」


「じゃぁ弁当? 自分で作ってるの? 弁当男子? マジかよ、あれで?」


 ゲタゲタ、と、お腹を抱えて笑う浩一こうさん。

 幾ら嫌い――いや、反りが合わないからと言って、そんな風に彼のことを言わなくってもいいだろう。そんなことを思う私の代わりに、馬崎さんが浩一こうさんを、その節くれだった拳骨でたしなめてくれた。


 気になったのはやはりそこだった。

 氷室くんは、自分の料理の腕前について、何かコンプレックスを持っているのではないか。昨日、私の前で、お米を焦がしてしまったことを引け目に感じているのではないか、ということだった。


 そしてもしそうなのだとしたら。


「で、そんなこと聞いて、いったいどうしようっていうんだよ、お嬢」


「……氷室の昼食事情に問題があるのか? なら、俺が弁当を作ろうか?」


「いやいや、なんでもない、なんでもないの」


 言えない。

 夜食にチャーハンを作ろうとして、ご飯を真っ黒にしてしまったなんて。

 そんなことは口が裂けても、氷室くんの名誉のために言うことができない。


 言えばきっと、浩一こうさんあたりが、盛大にからかうに違いないのだ。


 これは――この問題ばかりは、私が一人で解決しなくてはならなさそうだ。


「本当に、なんでもないの。ちょっと気になって聞いてみただけだから」


「ふぅん。なんでもいいけどよ。まぁ、あいつのことだから、食事もそつなくこなしてるんじゃないの」


 そんな気にするようなことじゃないと思うぜ、と、同室なのに完全に他人事という感じに、浩一こうさんは私に言うのだった。

 もう少し、同室の後輩の異変に、敏感になってくれても良いんじゃないだろうか。

 もっとも気づいたところで、浩一こうさんが彼を慰める姿なんて、少しも想像できなかったけれども。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 五月二日は、普通に登校日である。

 もっとも、授業自体は、明日からのGWに備えて、先生も生徒も気の入ったものではない。どこかそわそわとして落ち着きのない授業の果てに、昼休みのチャイムが鳴った。


 いつもならば、気の合う友人たちと机を突き合わせて、購買で買ったパンを食べる所なのだけれども――。


「美紀。ご飯食べよう」


「ごめん、今日はちょっと用事があって」


「えぇ? なになに、どういうこと? 彼氏できたの? まさか、例のヤンキー先輩?」


「ちーがーいーまーすー!!」


 私は友達の誘いを断って、今いる普通科Bクラスの教室を出た。

 向かうのは、氷室くんが居る、特進クラスの教室だ。


 御陵坂高校の生徒の中でも学業優秀、旧帝大への進学が狙える、学力を持ち合わせた生徒たちが集められているのが、特進クラスである。

 普通科が四つもあるのに対して特進クラスは一つだけ。

 その授業内容はもとより、授業のコマ数にしても、普通科よりも一つ多いという、なかなか私立学校にしては厳しいカリキュラムのクラスであった。


 あくまで『天眼の衛士』の育成が目的の御陵坂学園。

 けれども、誰もが高木くんのように、その才能を開花させることが出来る訳でもない。

 多くの生徒は、自分が異形と戦うことができる才能と可能性を、知らないままに卒業して大学へ――そして、一般社会へと出て行くことになる。


 そんな場所だから、一応、教育も相応のことをしているという訳だ。

 浩一こうさんは、『天眼の衛士』であれば、進学も就職も困ることはないと言っていたけれど、そうでない生徒たちは、一生懸命、自分の未来のために努力をしている。


 そんな切磋琢磨の場に身を置いているからだろうか。

 氷室くんは、同年代の私でも驚くくらいに真面目だし、しっかりとしていた。


 そんな氷室くんが、昼休み、いったい何を食べているのか。

 思えば今まで一度も気にしたことがなかった。


 昨日の様子を見る限り、自分で料理を作れるような腕前ではない。

 お弁当男子という線はなさそうだ。

 かといって、みんなの話を聞く限り、学食で彼がご飯を食べている様子はない。


 だとしたら、彼はいったい何を食べているのか。


 何か話の筋がズレている気がしないでもないが、それを知ることで、彼が怒っている理由、そして、彼との関係を修復する理由が見えてくるような気がした。


 とはいえ。


「……用もないのに、特進クラスの教室に入るのは、なんだか気が引けるなぁ」


 いざ特進クラスの前に来てみると、どうしていいのか分からなくなってしまった。


 普通科クラスと同じように、多くの生徒は、学食へと向かっているようだ。

 残った生徒も、机をひっつけて、各々、自作の弁当――任意で、寮の調理場を使って作ることができる――や、私のように購買で買ったパンを食べている。


 そっと、入り口から、その中を覗き込んで、氷室くんの姿がないか探す。

 学食での目撃情報がないことから、教室で食べているのは間違いないとおもうのだけれど――と、思っていると。


「居た」


 果たして、氷室くんは、教室の最奥。

 窓側の一番後ろの席に座って、外の景色を見ながら口元を動かしていた。


 口にしているのは、忙しい学生のための携帯補助食品だ。

 薄茶色をしたチーズかプレーン味のそれを、もしゃもしゃと彼は食べている。

 なんて寂しいお昼ごはんなのだろうか。


 いや、それよりもなによりも、最も寂しいのは――。


「なんで一人で食べてるんだろう? まさか、友達居ないの、氷室くんてば?」


 彼は一人でそれを食べていたということだった。

 普通、学生のお昼と言ったら、その日の一大イベントと言ってもいい。


 浩一こうさんと馬崎さんは、よく一緒に学食でご飯を食べているようだった。

 香奈ちゃんと高木くんも、それぞれの友人たちと、親しくお昼を食べていると聞く。


 それなのに――氷室くんは一人。


 どうしてこんなことになってしまったのだろうか、と、自分のことでもないのに胸が痛む。

 二年生だ。もう一年も一緒のクラスに居れば、話す相手くらいできるだろうに。

 なのに――。


 と、またしても、ここで私は大切なことを忘れていた。

 相手が天眼の衛士であるということを、またまた、失念していたのだ。


 私のしつこい視線に気がついた氷室くんは、じろり、と、いつも浩一こうさんに向けているような、侮蔑の視線を向けてくる。それは先日、彼が料理を失敗したときに、私に向けられた感情よりも、もっともっと、強い拒絶の意志が籠っているように感じられた。


 自分のプライベートをのぞき見するようなことをするな。

 そう、言われた気がして、あわてて私は特進クラスの教室を覗くのをやめると、逃げるようにしてその場を後にした。


 ダメだ。

 やることなすこと、全部が全部、裏目に出ている。


「私はただ、氷室くんとの関係を、修復したいだけなのに――どうしてこうなるの?」


 人間、ムキになればなるほど本来の目的から遠ざかるなんていうのは、ままあることだ。けれど、こればっかりは遠ざかっちゃいけない。


 だって氷室くんは、私たちの大切な仲間なのだ。

 単なる部活仲間のそれとは違う。

 背中を預けて一緒にカゲナシと戦う、そんな間柄の人間なのだ。


 そんな仲間との関係が、このままでいいはずがない。

 いいはずがないと、分かっているはずなのに。


「……やっぱり私、リーダーとして失格なのかも」


 開いてしまった彼との距離を、詰める方法が思いつかない。

 失意のまま、私は、買っておいたパンを手に、屋上へと向かうと、一人寂しく、校庭を眺めながらその日のお昼休みを過ごすことになった。


 けれども、氷室くんは、きっとこんな日々を、毎日続けているんだろう――。

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