第九話

 高木くんの怒りに呼応するように渦巻いたつむじ風。

 私や浩一こうさん、氷室くんや香奈ちゃんのように、影縛術としての修練を幼い頃から受けてきた人間には、その術を使うことは体系だったものであり、印を結ぶことで発動するというのがもはや基本となって染みついている。


 しかし、馬崎さんのように、特に修練を受けていない人間は、ちょっとしたきっかけで突然にその力の使い方を開花させる。

 激しい感情の高ぶりは、そのきっかけの最たるものであった。


 高木くんが微かに見せた、影縛術使いとしての片鱗。

 そうだ、居るではないか――。


 ここに風系の影縛術を使うことができる――かもしれない――人間が。

 しかし、彼をこんな簡単に、私たちの戦いに巻き込んでしまっていいのだろうか。


 高木くんの才能の開花、そして、戦闘へ巻き込むことへの躊躇。

 そうして立ち止まっている私たちに向かっても、土偶は攻撃の手を緩めない。


「きゃはは、きゃはは、きゃはははははは!!!!」


 笑い声と共に、振り上げられたその右腕が、頭上からこちらに向かって落下する。握りこぶしこそ造られていないが隆起したその腕は、私たちの体を簡単に叩き潰してしまうことだろう。


 いけない、と、思うより早く。


「いい加減にしろよ、このバケモノ野郎!!」


 つむじ風が巻き起こり私たちを包んだ。振り下ろされた土の腕は、その強烈な風の奔流の中に瞬く間に風化させられ、その形をみるみると失っていく。


 土は水に強く、風に弱い。

 四属性の相性の理に乗っ取ったその現象に、私は、ようやく渦巻いている風が――無意識に高木くんが発している影縛術だと確信した。


 間違いない。

 高木くんは『天眼の衛士』としての素養がある。

 それも、今、最も私たちが必要としている、風系の影縛術を得意とする才能が。


 土の腕が風化していく光景に、目を見開いて、これは、と、驚く高木くん。

 自分が力を使っているということを、彼はきっと自覚していないのだろう。


 ただ、私たちを圧倒していたバケモノの腕が、いとも簡単に、風の中へと溶けていく、その光景にすっかりと心を奪われていると言う感じだ。


 これだけの影縛術の才能を見せつけられたのだ。

 もはや、私に迷いはななかった。


「高木くん、落ち着いて聞いて欲しいの」


 この局面を切り抜けるために、彼の力が必要だ。


 若き『天眼の衛士』のリーダーとして。

 みんなを守る為に。この京都の夜の平和を守る為に必要なのだ。


 天崎の家のことは関係ない。


 私は、彼の力を欲していた。


「私たちは、あのバケモノから、人間たちを守る為に戦っているの」


「……先輩たちが?」


「そう」


「……そっか。それであんな、鼻血くらいでお騒ぎしてたんすね」


「信じてくれるの?」


 高木くんがじっと私の目を見る。そして、にっ、と、その影縛術の能力と同じように、爽やかに笑ってみせた。


「先輩が嘘つくような人には、俺には思えないです」


「……ありがとう」


「それで、何をすればいいんですか、俺は? 何か、できることがあるんですよね?」


 私たちを包んでいる風が止んだ。

 右腕を粉々に粉砕されて、うろたえる土偶のカゲナシ。それに向かって、私は視線を向ける。


 同じように、高木くんが私の視線を追ってそれを見た。


「さっきから巻き起こっている風は、貴方が起こしているものよ」


「え?」


「あなたは『天眼の衛士』――そして、風の影縛術の使い手としての素養を持っている」


「……俺が?」


「その力を、私たちに貸して頂戴」


 コァ、と、また、土偶が喉を鳴らす。虚から吐き出される土塊。

 しかし、それを渦巻くつむじ風が、こちらに届く前に分解霧散させた。


 土偶のカゲナシの攻撃は届かない。

 無意識のうちに――防御だけではあるが――高木くんは風系の影縛術を無意識に使いこなしている。


 いける。

 確信して、私は視線を、浩一こうさんに向けた。


浩一こうさん!! 刀を!!」


「……そいつにくれてやるのかい!! 勿体ないぜお嬢、天崎家御入用の一刀だ!!」


「風を操るは刀にて、貴方も桝井先輩と一緒に戦ってきたから知っているでしょう!!」


 そうだけれどと渋る浩一こうさん。

 早く、と、一喝すると、彼はしぶしぶと言う感じに、腰に佩いていた刀を、鞘に刺したままこちらに向かって投げてよこした。


 刀の扱いになれていない人間には、鞘を抜くのも一苦労になる。

 高木くんの代わりにそれを受け取った私は、鞘から刃を抜くと、その柄の上半分を握りしめて、下半分を高木くんの方へと差し出した。


 握って、と、言うと、彼はおっかなびっくりに刀に手を触れる。

 私の小指に、彼の親指が、少しだけ触れたが――そのまま続けた。


「念じてくれるだけでいいわ。この刀のように、鋭い風の刃で、あの目の前の敵を切り刻む。そうイメージしてみて」


「してみてって、言われても」


「やるの」


「……分かりました!!」


 私の言葉を信じた。

 そんなことでも言いたげに、彼は、刃を力強く握りしめた。


「馬崎さん!! 高木くんが攻撃をしかけます、ぎりぎりいっぱい、カゲナシをひきつけて、離脱してください!!」


「……分かった」


 先輩も、後輩も、私のことを信頼してくれている。

 同級生の氷室くんは――戦線離脱しているから、ちょっとどうかは分からない。


 けれど、この土壇場で、私の言葉を信じてくれることが嬉しい。

 私のやろうとしていることを信じてくれて、私について来てくれることが、嬉しい。


 リーダーとして未熟。

 そんな思いにくじけそうになる。

 今でも、自分がその器だとは思っていない。


 けれど。


「イメージはできた? 高木くん?」


「……なんとか!! 先輩となら、やれるような気がします!!」


 私も。

 君たちとならやれる気がする。


 いくよ、そう、声をかけて、私は刀を土偶のカゲナシに向かって振りぬいた。


 今まで、つむじ風となり、渦巻いていて高木くんの力。それが、はっきりと、刃の形となって顕現する。それは、幾百、幾千の風の刃になり――土偶のカゲナシへと降り注いだ。

 土偶のカゲナシの笑い声が止まる。


「キィアアアアアアア!!!!」


 降り注ぐ、無尽蔵の風の刃。

 尽きることなきその風の奔流に、体を木っ端みじん、粉みじんに切り刻まれたカゲナシは――あれほど、私たちを苦しめたのもまるで感じさせずに、そのまま影の中へと還っていった。


 あまりにあっけない幕切れに、ぽかん、と、誰もが口を開いていた。

 属性有利の言葉だけで片付けられることなのだろうか。

 いや、違う。


 これだけ同時に、大量の風の刃を発生させることができるのは、並みの影縛術の使い手でも難しい。卒業した桝井先輩も、同時に五つも放つことが精一杯だった。


「……おいおいおい」


「これは」


「凄いです」


「……危なかったな」


 高木くんの力が――風系の影縛術使いとしての才能が特別スペシャルなのだ。

 どうして、その実力を測りそこねたのか。

 あるいはここに来て、その才能が一気に開花したのか。


 なんにしても、この子が凄いのは間違いない。

 けれど、今は。


「……先輩!! やりましたよ!!」


 そう言って、どこか誇らしげに、私に笑いかけてくる彼の顔が、夜だというのにとにかく眩しくてしかたなかった。

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