第五話

 高木連太郎くんに対しての評価は真っ二つに割れた。

 いや、正確には、浩一こうさんと氷室くんとで、意見が食い違ったというのが正しい。


「ありゃ言っちゃなんだがたまたまだ。お嬢がそうじゃないかと言うから、ちょっとそうかもと思っちまったけれど、大したことはねえ、それくらい人間その気になれば跳べる」


「馬鹿か。人を飛び越えるなんて、影縛術も使わずにできることじゃない。無意識にその力を使ったんだ。確かに報告書の内容と食い違うのは気になるが――馬崎先輩の例もある、潜在していた才能が突然開花したということも十分考えられる」


「考えられねえ」


「可能性は否定してはならない」


 やんややんやと、窓とテーブル、離れた場所で言葉の応戦を繰り広げる浩一こうさんと氷室くん。議論するのはいいけれど、もうちょっと、静かにしてくれないだろうか。

 はぁ、と、溜息を吐き出すと、いつの間に用意したのだろう、馬崎先輩が、ほどよく熱い紅茶を私の前に置いてくれた。


 中学・高校とボクシングに打ち込んできたせいか、妙にごつごつとしているその手。

 しかしながら、意外と繊細にその手も、その手の持ち主も動いてくれる。


 ありがとうございますと返すと、馬崎さんが照れくさそうに鼻頭を擦った。


「……まぁ、俺は新参者で、影縛術のことも、『天眼の衛士』のこともよく分からないからな。お茶くらいしか入れてやることくらいしかできない」


「それでも、その心遣いが嬉しいです」


 ありがとうございます、と、もう一度御礼を言うと、私はそれを口につけた――。


 その時。


「美紀お姉さまァっ!!」


 突然、文学部の入り口の扉が横にスライドしたかと思うと、そこからショートボブの黒髪をした女の子が、こちらに向かって突進してきた。

 当然、私が紅茶を手にしていることなど見えていない。


 そのまま胴に向かって強烈なタックルを打ち込まれた私は、せっかく入れてくれた馬崎先輩の紅茶を口から噴き出した。

 横に椅子ごと倒れそうになるのは、流石の反射神経で、馬崎さんが止めてくれた。


 それは、さておき。

 問題は私の胸にすりすりと頬ずりをする、この少女だ――。


「お会いしたかったです!! お会いしたかったです!! お会いしたかったです!! 本当に大切なことですので、三回言いましたわ!!」


「……元気そうね、香奈ちゃん」


「そんなことはありません!! あぁ、お姉さまと離れ離れになってしまったこの一年と一カ月――香奈は香奈は、一日たりとてお姉さまのことを思わぬ夜はありませんでした!! お姉さまの肌の温もりを、忘れることはありませんでしたぁあぁ!!!!」


 そう言って、私の胸にぐりぐりぐりぐりと、痛いくらいに顔を押し付けるこの少女。

 名前は暁香奈。


 彼女もまた若き『天眼の衛士』であり、先祖代々、それこそ名跡が出来た江戸時代の頃から『大太郎亭』に仕えている家系の少女だ。

 私の一つ年下で、中学校時代――御陵坂学園中等部――には、同じ寮の同じ部屋で暮らしていた間柄である。


 しかし、断じて言いたい。

 彼女と肌を重ねたことなど一度もないと。


 なんだこいつは、と、氷室くんがちょっとドン引きした目でこちらを見ている。

 馬崎さんも、そつなくテーブルの上にこぼれた紅茶を布巾で拭いながら、眉をひそめてこちらを見ていた。


 違うの、香奈ちゃんが勝手に言っていることなの。

 そういう関係じゃないから。


 あぁ、だから、できればこちらから会いには行きたくなかったのよね。


「……はぁ」


「お姉さま!? なぜそんな深く傷ついたような溜息を!! さては、何かお悩みですね、この治癒術の使い手である、香奈にどーんとお任せください!! お姉さまの体の傷も、心の傷も、すぱっと治してさしあげますわ!!」


「おぉおぉ、相変わらずきゃんきゃん吠えるな、香奈は」


 その懐かれっぷりに、どうしていいか分からず私が困惑していると、浩一こうさんが助け舟を出してくれた。


 あら、火男かなん師匠と、香奈は私からぱっと体を離すと、うやうやしく浩一こうさんに香奈ちゃんが頭を下げる。彼女も、大太郎亭一門の末席に所属している人間だ、当然、その高弟に当たる『大太郎亭火男だいたろうていかなん』を襲名している浩一こうさんにも礼を尽くさなくてはならない。


 浩一こうさんが作ってくれた一瞬の隙。

 それに乗じて、私は急いで手にしていたカップをテーブルの上に置いた。

 再び、香奈の情熱ハグに備えるためだ。


 案の定、浩一こうさんへの挨拶もそこそこに、彼女はまたすぐ、情熱ハグを私の胸へと仕掛けてきたのだった。


 あぁ、もう――慕ってくれるのは構わないけれど、もうちょっとこう、遠慮みたいなものはないのかしら。


「世代交代で治癒術の使い手が不足していると聞きましたわ!! この香奈が来たからにはもう安心してくださいまし!! お姉さまの珠のような柔肌には、この香奈が、傷の一つもつけさせませんことよ!!」


「いや、香奈ちゃん、それ、治癒術使いの仕事と違う」


「……騒がしい娘だな」


「大太郎亭の一門はどいつもこいつもこうなのか。まったく、もう少し門弟の躾けはしっかりとするべきではないのか」


 氷室くんが蔑みの視線を香奈ちゃんに向けて、馬崎さんがまた感情なくそんな言葉をぽつりぽつりと呟く。なんですの、と、氷室くんに食いかかろうとした香奈ちゃんを止めようとした矢先、ぼつり、と、天井のスピーカーに音が入った。


「――閉校時刻です。校内に残っている生徒は、速やかに帰寮してください。繰り返します。閉校時刻です。校内に残っている生徒は速やかに帰寮してください」


「……さて」


「いよいよ、勧誘の具体的な話はできなかったが」


「どうするお嬢。香奈の奴もこうして来た事だし、風の影縛術使いは足りちゃいないが、一つ、繰り出すか――」


 どこへ、か。


 決まっている。

 月が照る夜の街へとだ。

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