第25話 大好き
「フランにははずかしいところばっかり見られてるね」
「別に大声で泣くことくらい恥ずかしいことじゃないわ。お前はまだ子どもなのよ。それくらいは全然許容範囲よ」
「……おんぶだってしてもらってるし」
「サービスよ。次はないと思いなさい」
「えー」
アンルティーファには広いと思えるフランの背中に頬をつけながら、アンルティーファは小さく笑った。きっとフランは、この優しいエルフは、アンルティーファの新しい家族は。アンルティーファが望めばまたおんぶくらいしてくれるんだろう。それなのに次はないと言うことは、今度はこんな事態を引き起こさせることはしないということなんだろうと悟ったから。フランは言葉は足りないけれど、あふれんばかりの優しさを持っていると知ったから。
ふと、思い立ったことがあった。それを1度考えついてしまったら、どうしようもなく身体がむずむずして仕方ない。背中で楽しそうにしていたアンルティーファが突然黙り込んだことにフランが振り返る。さらりと額にかかっていた白金色の髪が光を弾いて揺れた。碧色の瞳は心配そうな色を宿してこちらを見ていた。
「ティファ?」
「フラン、わたし切絵を作りたい」
「作ればいいじゃない」
「でも、馬車も馬もフランのものだから……」
「あれはお前に返すわ。私にはいらないものだから」
「……」
切絵紙はルチアーナやアンルティーファたち切絵師、切絵職人にとっては宝だと言っていい。あれをいらないというものは職人ではない。切絵によって寿命を延ばし、怪我を癒すというエルフであるフランにそれをあっさりといらないと言われたことに対して。アンルティーファは複雑そうな顔をしたが、次のフランの言葉に目を見開いた。
「私がどこかへ行きたいとき、お前が乗せてってくれればそれでいいし、私が切絵を食べたいときにお前が作ってくれればそれでいいのよ」
「フラン……」
「なによ?」
「……えへへ、フラン大好き」
「私も好きよ」
「ふふー、照れちゃうの」
ふふーとまた独特の笑い声でアンルティーファはフランの広い背中に顔をくっつけて幸せそうに目を閉じた。
切絵を作りたい、形は決まっていないけれどその思いだけがアンルティーファの全身を急かすようにぐるぐる回る。だからかもしれない。さっきより速足になったフランが、その長い足で小高い丘を下って芝生を踏み歩き、見えたアンルティーファの箱型馬車はすぐそこだった。
緑色のカットマットの上に手のひらにのるくらいの小さなたった1枚の黒い切絵紙を、アンルティーファは熱心に切り込んでいた。
それはまさしく一心不乱という言葉がふさわしいくらいに。それ以外なにも目に入らない、息をするのさえ最低限にするくらいに息を詰めて描いていた。
想ったのは家族、陽気なルチアーナと気高いフラン。どちらもアンルティーファの大事な家族で、大切な存在。天国にいるだろうルチアーナに、そんな存在ができたことを伝えるために、作ろうと思った。
頭に浮かんだのは縦に長い丸の中。柔らかく微笑んでいる女性と唇を引き結んだ女性。そこに仲の良い家族の象徴ともいわれるルースの花をくわえて、ルチアーナが好きだったキャッル、フランが美味しいとは言ってはくれなかったが、「悪くない」と言ってくれたアオネの花を入れる。2人の影を繋ぎ止めるように掴んでいるミニキャッルは自分を意識したものだ。
まず最初にルチアーナを切り描く。いつも髪を革紐でハーフアップにしていたルチアーナ。その横顔を描く。額は丸く、鼻先はまっすぐで唇は微笑んでいるように切った。顔にかかった亜麻色の髪は流れるように幾重にもデザインナイフを入れて。革紐だけじゃ寂しいから大輪のパラの花を髪に飾る。そこからいくつもの小花を足すと、まるで見違えたように美しい女性像ができあがる。気づけばその流れるような髪にキスするみたいに王冠をかぶったキャッルが顔を寄せていた。
紙を1回転させて、ルチアーナの像を下にこさせる。
次はフランだ。紙のちょっと上に思い出されるのはいつも箱型馬車の御者台で見ていた無表情。額は緩やかにカーブしていて、まつげは長く影を落とすくらいに。鼻は高く唇をきゅっと結んでいる。腰までのお下げになった金色の髪は細く細く繊細に何度も切り込みを入れた。何度も何度も切りこみを繰り返してやっと美しい白金色を描くことができたような気がする。細く絹糸のような、光の束を集めたようなその髪は記憶の中では御者台に吹く風の中で靡いていた。あくまでたての楕円のなかで切絵をすませようとすれば、それはかなり細かい作業になるが、そんなことアンルティーファには関係なかった。ぎりぎりまで顔を近づけて時折自分の息を利用して切ったくずをとばす。お下げの部分にアオネの花を入れて、あくまでもこっちは簡素に。だってフランはその美貌だけで十分なのだから。こちらにも流れて行く髪にキスするように王冠をかぶったキャッルをくわえて。
2人の切絵を横に向けて、わざと開けた隙間にミニキャッルを描く。どちらも放したくない、放さないと言わんばかりに2人の影を捕まえているのは自分だ。このミニキャッルはアンルティーファなのだ。まんまるく弧を描く尻尾に小さなやせっぽっちの身体。しょんとたれた耳はどこか情けなさと庇護欲を刺激する。その猫の口にルースの花をくわえさせて、その周囲にも降らせる。ルースは花びらが4枚ある、花弁の先にぎざぎざと3つ刻みのついた四角形の花だ。その小さな花が塊になって1つの花として扱われる植物である。それをいくつも、いくつも何回も何回もデザインナイフを取り換えては描き込んでをくりかえして、やっと完成した。
アンルティーファが手を止めたころには、箱型馬車に入ってくる日差しが目にもまぶしい山吹色になったころのことだった。太陽があと少しで暮れるという時間帯だった。
フランが迎えに来てくれたのはまだ2つ目の鐘が鳴る前だったから、早朝と言ってもよかったのにそれからこんな夕暮れまで休みもいれずに細工をし続けていた自分に驚き。同時にできあがったそれがアンルティーファの小さな手のひらにのるくらい小さいことに呆れた。こんな小さなものによくもまあこれだけの時間をかけたと。
けれど。そうしてできあがったものはアンルティーファの最高傑作と言ってもよかった。
今年の王家主催の切絵品評会に出したものとは違う種類の、いまのアンルティーファの魂の1作と言ってよかった。
だから、これは天国にいるだろうルチアーナに捧げるための作品だ。
荷台から降りて、御者台の上に座って暮れゆく太陽をじっと見ていたフランに声をかける。
「フラン」
「出来たの?」
「うん。ねえフラン。昨日の雑木林に行こう」
たき火したいの。そう言えば、なにかを悟ったかのようにフランはこくりと静かに頷いた。そのままアンルティーファは御者台へとのぼると、手綱を引き芝生を食んでいた馬に鞭をやって踏み固められた土の道を馬車ごと駆けだしたのだった。
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