第7話 悪夢

「あのね、フラン。一緒にねてくれないかしら?」

「……お前、そういう趣味があったの?」

「いつも冬は寒いからママとねてたの。でも、いないからフランとねられたらあったかいだろうなって。ダメかしら?」

「……そのママはどうしたのよ」

「あれ、言ってなかったかしら? ママ、亡くなったのよ。8か月前に。わたしの目的は、王都にあるパパのお墓にママの骨を届けることなの」

「……そう」


 いっそわかりやすいほどに明るい声で言うアンルティーファの顔には深い悲しみがのっている。それなのにそのことに気付いていなさそうな陽気な様子に、フランは顔をしかめ夜空を仰いだ。ぽつぽつと小さな光が浮かぶ黒い布にも似た空に、いつもより暗いと思ったらそういえば今日は新月かと思い直す。月のない空はまるでフランの心のように暗くて。でも反するかのように高く高く澄んでいて。だから、だからだ。


「……いいわよ。用意しなさい」

「ほんと!? ありがとう、フラン!」


 どっちが主人なのかわからないほどに上から目線のフランに嬉しそうに2人分のなめし革の敷物を箱馬車の後ろに敷いた幼い少女の後ろ姿に、同情にも似た感情がわき上がってくるのを。フランは必死に蓋をした。相手は人間なんだから。冷酷非道で、醜い生き物なのだからと。

 いざというときのために敷物の上で片膝を立てて座っているフランの横で、毛布にくるまって座りながら眠るアンルティーファの頭が二の腕らへんに当たる。くうくうと眠るその様子は、フランがアンルティーファを害することなんて露にも思っていないことを思わせて、少しおかしかった。フランの細い指ですら添えて力をこめてしまえばたやすく折れてしまうだろう頼りない細い首に、フランは革手袋をとって手を当ててみる。とくん、とくんと脈が取れてこれは確かに生きているのだということがわかって、はあっと吐き出した息は口の中で温められたのか白かった。

 正直、いまのフランに眠りは必要ない。この身体は人間とは違い頑丈にできていて3、4日眠らなくても平気で。睡眠はたっぷり、あの奴隷商人のところで取ってきたからなんの問題もなかった。

 ほーほーとフランがいる側の森の中からふくろうの鳴き声がする。草むらの隙間から光る2対の目がこちらを見ていることに気付いてフランはじっと無感動なまなざしで睨み返す。冴え冴えとしたその視線に特に何をしたわけでもないのに、きゃうんっと哀れな声を上げて先に視線を外した狼は去っていった。夜は深まり8つめの鐘が鳴った頃。


「……マ」

「……」

「ママ、ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 うなされて謝り続けるアンルティーファの目尻からつうっとこぼれた、涙の粒に。フランはぎくりとしてぱっと首から手を離した。その時に少し揺れたのだろう、緩い衝撃にうっすらとアンルティーファが目を開けた。


「ママ?」

「……私はお前のママじゃないわ」

「あ……うん、ごめんなさいねフラン。フラン、あったかいから。いつもママとこうしてねてたの、思い出しちゃっただけなの」

「……」

「……ママね、死んじゃったの。わたしを、馬車からかばって。貴族さまがのってた馬車なんだって。いきなり横から飛び出してきてね。わたし、ぜんぜん動けなくなっちゃったの。そうしたらママが、わたしをつきとばして代わりにひかれちゃった。治療院に入ってる間に貴族さまの遣いの人がきて、わたしに金貨4枚を渡して帰っていったの」

「……」

「それ、見られてたんだろうね。治療院で金貨1枚請求されちゃって、でもママは助からなくて」


 治療院は民間のための医療機関だ。その治療費は多くても銀貨5枚までのはずだ。銅貨10枚で銀貨1枚、銀貨10枚で金貨1枚。つまり、1ローナで銅貨1枚、10ローナで銀貨1枚、100ローナで金貨1枚だ。普通のそこらへんの屋台で食べ物を買えば銅貨3~4枚なのに比べたら銀貨5枚でも十分に高価だが。その辺の事情に疎いフランだったが、アンルティーファの口ぶりからそれがおかしいことなのだと知る。同時になぜこんな幼い少女が金貨なんて大金を持っていたのかも。

 ぽた、ぱた。静かに何かが落ちる音がしてアンルティーファの顔を覗き込んだフランは固まる。アンルティーファは泣いていた。目を閉じて、無表情にぱたぱたと流れた涙が毛布に吸い込まれては黒い染みを作る。呼吸は正常で、しゃっくりをすることもなく。ただ淡々と涙を流すアンルティーファに、フランは何も言えなかった。ああ、だから今日、この子どもは『自分以外のすべてが大好き』だなんて言い方をしたのか。自分が、そんなに嫌いなのか。

 フランはいままで奴隷狩人に捕まるまでは1人で生きてきた。奴隷狩人に捕まってからはいつも自分を捕まえた奴隷狩人を自分を商品という奴隷商人を主となる人間を脅し、暗証番号を奪い殺すことだけを考えて生きてきた。だからできるだけ脅しやすそうな人間に買われるために人間を怒らせる口調を身に着けて狡猾な目つきで自分を見て、金持きんもちと知りつつも買おうとする人間がいれば嘲ってやった。それでも怒らなかったのはアンルティーファくらいだ。


「人間は汚いわ」

「うん、そうかもしれない。でもね、汚いのも優しいのも人間の一部なのよ。そしてわたしはどうしようもなく人間なの」

「……」

「そう……そうね。ねえ、フランわたしとお友達にならない?」

「は?」

「だってわたし、フランのこと大好きだもの。お友達になりたいわ」

「無理よ」


 刃のように凍えた声でフランは答えた。涙の筋を残したまろい頬がかすかな星灯りに照らされながら輝く。きっぱりと言い放ったフランをアンルティーファが疑問気に見る。どこか強張った顔で、フランはアンルティーファを見下ろした。

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