第5話 フラン
「ねえ、あなたお名前は?」
宿から馬と箱馬車を引き取り、レーメの森へと続く土がむき出しの道を小石を踏みながらがたがたと揺れ舌を噛みそうになりつつもアンルティーファは隣に座るエルフに聞いた。宿に入ったとき、エルフを見た宿主が宿代はいらないから早く出てってくれと半泣きで言われてちょっとラッキーだと思ってしまったのはいけない傾向だと思う。
エルフは持て余していると言わんばかりに長い足を組み、腕を組んで御者台の背もたれにもたれかかっていた。背中も若干そっていて、大きな胸を強調させる形となる。アンルティーファでは足の届かない御者台の床に簡単に足がついていることが悔しかったが、それは気にしないことにして。このエルフはなんでこんなに偉そうなんだろうと思った。御者台にいるくせに、馬の扱いは習わなかったと言っていたのに。
エルフは面倒くさそうに顔をしかめて、ルチアーナに教わった通りに馬を操るアンルティーファをみる。
「なんでそんなこと、お前に答えなければならないのかしら」
「わたしが、あなたの名前を呼びたいからよ」
「アリスでもエマでも好きに呼んだらいいじゃない。人間ってそういうものでしょ」
確かにそういう人もいるかもしれない、むしろそっちの方が大半ねと思いながらアンルティーファは苦笑いを浮かべた。エルフを使役するときは大体の場合使役者がエルフに名前を付ける。そのほうが呼びやすいからで、単純に「エルフ」や「奴隷」と呼ぶ人たちもいる。彼らにとって、奴隷は交換のきく道具なのだ。それを物の固有名詞で呼んでもたいして差はないと思っているのだろう。
でも、アンルティーファは違う。今回は仕方なく使役する形となってしまったが、本来であれば冒険者ギルドに依頼をしていたところだ。こんな信条に反することをする気はなかった。少なくとも8か月前までは。だからせめて、名前だけはちゃんとした、そのエルフ個人が持っているものを呼びたいと思ったのだ。それがせめてもの礼儀だと思ったから。
「そういう人もいるのかもしれないわね。でも、わたしはあなたの名前が知りたいの。だって、名前で呼ばれないなんてくつじょく的じゃない」
「……その年齢で屈辱なんて言葉を知ってる方に驚いたわ。お前の親はよっぽど」
「ママの悪口はやめて。おねがいだから」
ふんっと流れていく景色を見るようにそっぽを向いているエルフに、アンルティーファは食い気味にその先を紡がせはしなかった。別に自分がどうこう言われることはいいが、ルチアーナに対する悪口だけは許せなかった。まっすぐ前を見て馬を走らせるアンルティーファに、エルフがついっと視線を移す。
やがてその重い沈黙に耐えられなくなったのか、しぶしぶと言わんばかりに低く呟いた。
「シエル=フランツァルフ・イベリスタよ」
「すてきな名前ね。とってもきれい。名は体を表すっていうけど、その通りだわ。あ、わたしはアンルティーファ・ヴェルトフォードね」
「褒めたところでなにもでないわ。……長いわね」
「いいのよ、わたしの感性の問題だもの。そうね、ティファでいいわ。それでどこが名字で名前なの?」
「全部が名前であって、そうでないわ。シエルは生まれ、フランツァルフ・イベリスタが私が生まれたときの音よ」
「……音が名前っていいわね。じゃあフランツァルフ……は長いから、そうね。フランでいいかしら」
「好きに呼んだらいいじゃないって言ったでしょ。お前は私の使役者なんだから」
「……うん、そうよね」
改めて言われると気持ちのいいものではなかった。自分は信条を捻じ曲げたのだというルチアーナに顔向けできないという気持ちと、奴隷として買ってしまったフランに対する罪悪感で押しつぶされそうになる。
アンルティーファの箱型馬車はイエズの町を抜ける。その間も御者台に座るフランを見た人々は悲鳴を上げたり腰を抜かしたり、嫌悪に顔を歪めたりと忙しかったようだがアンルティーファは知らないふりをした。それを愉快そうに見て口の端を上げていたフランのことはもっと見ないふりをした。
収穫前の艶やかで赤く形の良いアプルの実った果樹の林を抜け、まばらな常緑樹が道の左右に見え始める。それは間違いなくレーメの森の中に入ったという証で。イエズの町に広がっていたのとは違う、どこか温かい空気はなく湿ったく冷え切る人の気配のない森の空気を感じながら、アンルティーファはちらりと視線をフランへとやってからまっすぐ前を向き直ると馬に鞭をくれた。馬の走る速度が速くなる。
「わたしね、護衛がほしくてフランを買ったの。でも、王都まででいい。そこから先はあなたの好きにしていいわ。暗証番号を教えるから」
「……冗談かしら、その言い草だとまるで私を解放するって言ってるように聞こえるんだけど」
「その通りよ、まちがってないわ」
「は……なにを言ってるの? 金貨よ? 普通の人間なら半年は遊びながら暮らせる金額のものを無駄にするの?」
心底信じられないものを見る目でフランはアンルティーファを見た。優しく、聖母と言われても納得できるほどに柔らかい笑顔をするアンルティーファを。
「無駄なんかじゃないわ。フランが自由になれるもの。それにフランはものじゃないわ。思考があって想いがあるってこともわかってるから。あのね、わたし人が好きよ。フランも好き、エルフが好きよ。わたしは、わたし以外のすべてのものが大好きなの」
「……」
「だからねフラン、わたしがいなくなったら。あなたは自由よ。好きに生きてね。あ、でも一応首輪はしといた方がいいかも。また奴隷狩人に捕まっちゃうかもだしね」
「金貨で買ったエルフを逃がすなんて、そんな頭がおかしい人間はいないわよ」
「ごめんなさいね、頭がおかしい人間で。わたしはただ、エルフと人間は共存しえると、お友達になれるって知ってるだけよ」
「そんなの、夢物語だわ」
一度鋭くアンルティーファを睨みつけると、フランはそのまま黙り込んでしまった。アンルティーファが何を話しかけようと、それからは一切応じようとはしなかった。それに困った顔で笑って、アンルティーファはそれ以上無理に話しかけようとしなかった。
無言のままの2人を乗せて、どこか湿った空気の森の中へと入っていったのだった。
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