第1話 決意
「ママ、がんばる。わたしがんばるから、どうか旅のあいだ見守っててね」
宿に馬と母の遺骨の入った骨壺がある小さな箱馬車を預けて、少女・アンルティーファはどこか獣臭い匂いのするテントのある広場から続く早朝の大通りへとピンク色のポシェットを斜めにかけてちまちまと歩きながらやってきた。市場だ。獣臭いのは突然の雨に降られても大丈夫なよう水をはじくためにテントに獣脂が塗られているからだと、アンルティーファは母であるルチアーナに聞いたことがあった。
そんな日常のさりげない匂いですらも思い出を抉ってくることにぎゅっと唇を噛みしめながら、テントの下に敷かれたござの上の品物たち……真っ赤に熟れたトマレやごつごつしたジャガー、フライパンに豚の腸詰を売る店にも目をくれずアンルティーファはごった返した人の波の中をその身長からもみくちゃにされながらも目線をまっすぐにして進む。目指すべき場所は知っている。
奴隷市場だ。
この島国であるリールレント王国には2つの特色がある。
1つは奴隷と呼ばれるエルフが存在すること。エルフ以外は例え階級が落ちようとも囚人であり、奴隷にはならない。この世界にはエルフと人間しかいなく、人間はエルフを支配しているからだ。元は特殊な能力を持ち身体的に強度もあるエルフが支配層に立っていたらしいが、人間はいつしか数を増やし知識を覚えてエルフの王を打ち倒し、その支配権をにぎったとされている。いまは野良のエルフはただの狩り対象であり、歩く金貨だと言ってもいい。それに「支配の首輪」と呼ばれるものを首につけてしまえば、あとは本当の奴隷になり果てるしかない。
「支配の首輪」は特殊なものでこのリールレント王国でしか製造していない。持ち主登録されたものの意思に反することをすればすぐさま心臓へと強い電気が走り激痛を伴わせ、ひどいと死んでしまうのだ。これには暗証番号があり、それを首輪についているロックに合わせれば首輪は簡単にとれる。しかしそんなことはめったにない。当然だろう、ロックが外れた瞬間いままで酷使してきたエルフたちに襲われるかもしれないのに自由にさせる愚か者はいない。ゆえに、老いると老後資金のために売って金に換えるか子どもたちに継がせるかの2択なのだ。
2つめは切絵師と呼ばれる存在だ。それはこのリールレント王国だけに存在する切絵職人たちの頂点だ。頂点と言っても毎年開催されるリールレント王国主催切絵品評会が開かれるようになってからはや12年。すでに12人の切絵師が存在する。今年のリールレント王国主催切絵品評会は新年とともにすぐに開催されるためすでに終わっており、最年少の10代の少女が受賞したらしい。その時の作品はその美しさからいまだだれにも食されず、聖堂に飾られているという。そう、このリールレント王国では切絵は食べ物として認識されているのだ。食用の紙が簡単に市場で手に入るからである。そして美しければ美しいほど、幸運を運んでくると言われている。それは伝説や口伝ではなく、人類が長い歴史の中で知り得、確証を得た事実なのだった。なによりこの品評会に関しては切絵侯爵の力が強い。この侯爵は切絵師たちのトップ、切絵職人たちの憧れの的である。この地位は前侯爵が後継者にと選んだ者がなるのであって、血筋ではないため切絵師になれば誰もが侯爵になれる可能性がある。切絵のことに関しては国王から絶大な支持を得ている代わりに、政治への介入は一切できないという不便さもあるが。
それはともかく、裕福な家庭には庶民でもお手伝いとしてエルフがいるくらいだ。半年前、事故で亡くなったルチアーナを火葬してくれた、たまたま立ち寄ったキレベアル村の有権者であるガロフ家にもいた。エルフの奴隷はそれくらい一般化している。
しかしそれは、ひどいことだと思うのはアンルティーファだけなのだろうか。アンルティーファの知識や思想はほぼルチアーナの考えから来ているから、一概にいいえとは言えないが
いまいち気がのらない、ふとその幼い顔に暗い影を落としてアンルティーファは笑った。
「まあ、わたしもこれからひどいこと、するんだけどね……」
エルフは少し人と違う容姿を持つだけの別の生きものだと思っているものが、この島国には大半だろう。でも、アンルティーファは、ルチアーナはそうは思わなかった。ちょっと違う容姿をしているだけでちゃんと考えがあって、思いがあって。人間と同じ言葉を話す、そんな存在をどうして違う生き物だと、気まぐれに殺しても構わない存在だと言えるのだろうかと不思議でならなかった。だから決してルチアーナはエルフを買ったりしなかったし、旅の途中野生のエルフを見かけても、お金に困ることがあっても、食べ物をわけたりすることをしても狩りはしなかった。そしてけして人間に近寄らないように声をかけて来た。
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